「あ、三輪くん?」
純子が見たのは、清々しいほどの白い肌と茶色の髪をした若い青年。
彼の名は、三輪誠也と言い、このあたりではちょっと有名な―――白菜農家の息子だ。白菜農家の息子だが、しっかり大学も出て勉強もしてきているし、優男の雰囲気から人気なのは近所だけの話ではない。最近SNSで有名になって、驚くくらいに人気になっているのだ。その名も【白菜王子】彼が作った白菜を欲しい、という都会の女性が山のようにいるという。
「純子ちゃん、どうしたの、こんなところで」
「こんなところって、ただのホームセンターじゃない」
「何か買い物?」
「暖炉の着火剤を買いに」
「へー、純子ちゃんちの暖炉、立派だもんね」
小柄な純子と並ぶと、三輪の身長の高さは際立って見える。もともと身長の高い青年なのだが、特に運動はしていないというので、不思議な話である。このあたりで同年代というと、片手くらいしかいなかった。だから次第に2人は交流する仲になっていたのだ。年代が近いと、自然と話すことも増え、話題も合う。周囲はどんなに若くても、2人より10歳は上になるくらいだ。
「そういや、玄米さんとこのおばちゃんがさ、ペンションにお客さん来てるって」
「うん、2週間のお客さんで」
「へー、気前のいいお客さんだねぇ」
どんな人なの、と三輪が聞こうとした時、視界の向こうでびっくりした顔をする男性がいた。その男性の顔は、このあたりではあまり見ない顔だ。純子の知り合いだろうか、と思うとその男ににらまれた。
「あの人」
「荒尾さん!着火剤ありました?」
アレ、と三輪は思う。今まで男っ気のなかった純子が、男と一緒に着火剤を買いに来ている。そんな相手、いるはずがないのに、と思った。荒尾は緊張した面持ちで側へきて、純子に着火剤を手渡した。
「三輪くん、うちのペンションに泊まってくれてるお客の荒尾さん」
「純子ちゃん、お客さんと買い物に来たの?」
そう言われて、純子は目を丸くした。あ、と口が開いて、開いたままになる。三輪青年の言うとおりだ、と純子は思ってしまったのだ。どんなに知り合いと言っても、荒尾がお客様であることは間違えがない。それなのに、彼を連れて買い出しに出るなんて、やっぱりおかしいのだ。
困って何も言えなくなっていた純子を見て、荒尾が三輪の目の前へ来る。
「もともと知り合いだ」
「え、あー、そうなんですか?」
三輪がヘラッと笑って言う。荒尾は、彼の目の前に来て、彼の身長の高さに少し驚いた。自分も身長は低い方ではないのだが、視線が同じくらいの同性と会うこともあまり多い経験ではないので、正直に驚いたのだ。
「純子ちゃん、よかったね、お客さんいい人で」
「あ、うん、そうだね……」
「今度さ、うちの畑に寄ってってよ。ちょっと形悪いけど、美味い白菜ができてるんだ」
わざわざ荒尾の横から顔を出し、純子だけに言うところを見て、荒尾は今にも怒り出しそうになる。しかし、純子にそう言ったあとに、三輪は荒尾を見た。ニコニコときれいな顔で笑いかけてきた。
「荒尾さんも、ぜひ!」
「いや、俺は」
「じゃあ、また。まだ畑の手入れがあるから!」
若いってこういうことなんだろうか、と純子も荒尾も思う。若いと言っても、数歳しか違わないはず。それなのに、彼はとても快活に笑って、去って行った。年下の男性に会うなど、純子にとっても、荒尾にとっても初めての経験ではない。特に荒尾など、営業の仕事をしていれば、後輩もできるし、取引先の相手も若手はいた。しかし、三輪は何か違うのだ。
「荒尾さん、どうしました?」
「いや、別に」
「え、でも、顔こわ……」
「なんでもない」
何でもない、と言いながら荒尾はムスッとした仏頂面だった。三輪があまりにもお人よしだったから、気に障ったのか。もっと違う挨拶だったらよかったのか、と純子は首を傾げる。
一方荒尾は、もともと恐い顔をしているのに、もっと恐い顔になっていた。実のところ、本人でもまだよくわかっていない感情が、渦巻いている。純子の目の前に、若い男がいた。男から見ても、悪い顔ではない。いいや、イケメンの部類だ。つまりはそんなにいい男が純子に話しかけていた。それを目の前で見て、荒尾は自分が不機嫌になるのがよくわかった。でも、それを知られるのが嫌だな、とも思う。
「荒尾さん、他に買い出ししますか」
「そうだな」
そうだな、としか返事をしなければ、純子が困ってしまうことは分かる。しかし荒尾にはそれ以上の言葉を発する、という思いが出てこない。さっきの男は誰なんだ、どんな関係なんだ、と聞きたくなったが、それを聞く権利が自分にはない、とも思う。
「荒尾さん、どうしたんですか?」
「なんでもない」
「えー?そうですか?なんだか、眉間にしわが……」
眉間のしわは昔からだ、と荒尾は言いたくなったが、言葉が出てこない。とにかくさっきの三輪という青年が気になる。気になってしまって、頭の中が前に進まない。
「もー、荒尾さん、ちょっと休憩して帰りましょうか?」
「休憩……そうだな」
「じゃあ、ちょっとそこに停めてください」
荒尾の運転する車を指定の場所に停めさせ、純子は車を降りた。その先には、きれいな川が広がっている。
「ここ、眺めがすごくきれいなんですよー!」
「本当だ……」
「春には桜が咲きますし、夏は涼しそうで、秋は紅葉、冬はなーんにもありません!」
「面白がってるのか、中野瀬?」
本当ならば、もっと楽しいことを話すべきだろう、と荒尾は思った。しかし純子は気にせず、適度なテンポで話しかけてくる。
「もう少し行くと、道の駅が見えてきますよ」
「寄って行くか?」
「お饅頭でも買いましょうか!」
「そうだな……」
まだ気分の乗らない荒尾だったが、やはり何か口にしたい欲は出てくる。腹が減ってはなんとやら、というが、その反対のような気分だ。腹がいっぱいになっても、と思ってしまう。
しばらく景色を眺めた2人は、その足で道の駅へ向かった。まだ昼時なので、野菜や総菜など、さまざまなものが店頭に並んでいる。純子は、その中からお気に入りの饅頭を持ってきた。パックの中に4個入り、作った人の名前は女性のようだ。
「このお饅頭、美味しいんです」
「他にもいろいろあるみたいだが……」
「今日はこれくらいにしましょう!ペンションに戻ったら、また何か作りますね」
純子が買った饅頭を、車の中で2人で食べる。ふんわりとした皮の中に、餡子がぎっしり詰まっている。手作りの饅頭だが、サッパリとした甘さの餡子はいくらでも食べられそうな印象だ。
「美味い」
「美味しいでしょ?このお饅頭、売り切れることも多いんですよ」
笑顔の純子を見ていると、荒尾は彼女に対する想いと、三輪に対するライバル心を認識しないわけにはいかなかった。こんなに心が乱されることは滅多になく、今回が本当に初めての感覚。つまりこれは、と思った時に饅頭を落としそうになる。
「荒尾さん、落ちます」
手を差し伸べてくれた純子を見て、荒尾は自分がペンションへやってきた本当の目的を思い出す。どうしても、ペンションに行かねばならないという、使命感のようなものまで抱いて、荒尾はやってきたのだ。
それは、少し前の会社でのこと。
営業部でいつものように仕事をしていた荒尾は気づいたのだ。
「あれ、中野瀬は?」
その言葉を聞いて、周囲は驚く。
「荒尾さん、中野瀬さんはもう何ヶ月も前に退職しましたよ?」
え、と荒尾は声にならないものを吐き出す。
そんな話、聞いてない―――なんで俺に何も言ってくれなかったんだ、と。