焼けたパンケーキの側に、小さめのオムレツ、しっかりと焼き色がついたソーセージを添える。その反対側にサラダを載せて、ドレッシングをかけた。それらが完成すると、純子は満足そうな笑みをこぼす。
「よし、完成ね!」
きれいに焼けたパンケーキは、女子が好きそうな甘いメニューではなく、お食事として楽しめる一皿になっている。甘さ控えめなパンケーキだが、周囲と合わせて食べればちょうどいい甘さに感じるはず。日本人は甘じょっぱい、あの感じが好きなんだよなぁ、と純子は思った。
「たくさん焼いたから、足りると思うんだけど……」
純子はそんな心配をしながら、別の皿に山積みされたパンケーキを見る。荒尾のことだから、喜んで山のように食べるんじゃなかろうか。そうなれば嬉しいな、とふと思ってしまう。
「あれ?」
今まで、こんなに誰かに対して嬉しかったことがあっただろうか。もちろん、お客様に料理を出すのは楽しい。管理栄養士としての力の見せどころだとも思うし、楽しいと思える。でも、誰かに対してこんなに嬉しいなんて。
「ま、まあ、温かいうちに食べなきゃね!」
まずは食べよう。お客様を待たせるのは悪い、と純子は自分の中で引っかかる部分を無視するしかなかった。
食堂へやってきた荒尾は、テーブルに並んだお食事パンケーキを見て、目を輝かせた。
「な、なんだ、これは!?」
これは、と言われても困ってしまう。パンケーキにはいろいろな種類がある、と伝えたばかりだ。クリームやフルーツがなくても、美味しいパンケーキはいただける。
「お食事パンケーキです。甘じょっぱいって感じをイメージしてもらえるといいかなって思います!」
「甘じょっぱい……」
「はい。パンケーキはすごく甘いってわけじゃないんですけど、オムレツやソーセージがしょっぱいので、パンケーキは甘く感じるかもしれません」
「おお……」
まるで子どものように、荒尾はパンケーキを見つめている。純子は、そこへバターと蜂蜜を出した。
「お好みでかけてください」
「甘くなるじゃないか」
「ふふ、それがまた美味しいんですよね~!たくさんありますから、まあ試してみてください!」
試してみる、と言われるとそうだな、と思って挑戦してみたくなるのが、荒尾和弘という男だった。彼はまずパンケーキをそのまま食べ、オムレツも口に運ぶと、ケチャップの酸っぱさの中に、柔らかい卵の旨味を感じる。何とも言えない美味しいハーモニー。
「美味い……」
「美味しいでしょ?蜂蜜もかけてみてください」
「蜂蜜と、しょっぱいものを食べるのか?」
「はい!ほら、クアトロフォルマッジみたいな感じです!」
純子の説明を聞いて、その理解はできた。しかし、実のところ食べたことがないので、はっきりとした味のイメージがつかないのも事実だ。だが、ここで引いては男が廃る。荒尾はバターと蜂蜜をもらって、パンケーキにかけた。そしてそれを口に運び、そこへソーセージも放り込む。
「う、美味い!」
「甘じょっぱいのいいですよね!今度、クワトロフォルマッジも作ってみましょうか!」
「ああ、ぜひ頼む!」
その言葉が飛び出すくらい、この甘じょっぱいという感覚は荒尾を驚かせていた。今まで、クワトロフォルマッジなんて、女子が食べるピザだと思っていたが、そんなに美味しいならぜひ食べてみたい、と思ったのだ。
2人が雰囲気よく食事をしていると、ペンションのドアが開き、風が入り込んだ。
「あれ、お客さんかな……?」
ペンションの受け付けは基本的に15時以降にしている。夕食からといった雰囲気で受け付けているのだが、今日は予約はなかったはずだ。しかし、稀に客ではなく道に迷った人や、カフェと間違えて入ってくる人もいる。純子の昼時は、カフェを閉めているので、それを見てこちらに来たと考えれば、おかしな話ではなかった。
席を立った純子の後ろ姿を見送りながら、荒尾は少し不安を感じた。こんな時間に人が来るということがなかったので、自分以外のお客はカフェを利用する人ばかり、と思っていたのである。自分も客なので、席を立つとおかしいか、と思ったので聞き耳と視線だけを動かすが、はっきりとはわからなかった。
「すみません……急なんですけど、一晩泊まれませんか?」
そこに立っていたのは、地味なワンピースを着た女性だった。表情がしっかりと見えないが、楽しそうな雰囲気でここにきている、という印象ではない。
「はい、構いませんが……ご予約ではなかったですよね?」
「すみません、急に思い立って、来ちゃって……」
「そうですか、ありがとうございます。では、受付をいたしますので、こちらに記載をお願いいたします。あと、うちは先払いなんですけれど大丈夫でしょうか?」
純子は、女性に丁寧に説明をする。ペンションのルールは、純子が1人でここを経営していくために必要なものだ、と荒尾に言われたのだ。1人でやっているのだから、いつ危険な目に遭うかわからない。それを考えると、まず代金は前払い制にすること。男性客はたくさん受け入れないこと、もしも男性客の団体予約が入った場合は、近所の人に応援を頼むことなど、いろいろアドバイスを受けていた。
まだ深く話をしたわけではなかったが、純子にしてみればそれらの話は、とてもためになった、と思っている。食事のことだけでなく、そういった安全面でのことなどとても大事だ。最初は分かっている、と思ったが、荒尾と話をするうちに、もっとしっかり考えねばならない、と思ったのである。
「はい、お金はあるので……」
「では、お受けいたします」
「あの、申し訳ないんですけど、お昼ってカフェでもらえますか?」
女性は空腹なのだろうか、支払いを済ませるとすぐにそう言ってきた。チラリと見えた財布は高級なもので、中にはカードや現金もそこそこ入っていそうだったので、純子はそういうことに不自由していないお客様なんだろうな、と思う。つまり、急に何かを要求しても、お金を払えばいいという思いが、目の前の女性にはあるのではなかろうか。
「はい、もしよければパンケーキなどいかがでしょうか」
「パンケーキ……あ、それしかないってことですよね?」
あれ、と純子は思う。少し棘のあるような言い方だったように感じたからだ。
「そうですね、サンドイッチとかでしたら、すぐにお出しすることはできますけど……」
「いえ、すぐ欲しいんで、パンケーキでいいです」
で、と言った女性の声に、純子は少し首を傾げそうになった。しかし、純子もOLの経験があるからわかるのだが、女同士でそんな態度を相手に見せたら、そのあと何を言われるかわからない。だから今は、笑顔で対応するのみだ。
純子が女性を食堂へ招いた。荒尾の後ろを通り、女性は席に着く。
「本日はお食事パンケーキです。サラダはこの近辺で採れた新鮮な野菜を使っています」
パンケーキの皿を見て、女性は目を見開いていた。想像していたものと違ったのだろうか、と純子は思ったが、目の前の女性はどんなに地味な格好をしていても、お金を持っていそうな雰囲気なのでそんなことはないだろう、と結論付ける。
「え、パンケーキって、こう……箱に入ってないの?」
「は、箱?」
「ほら、ハンバーガーショップのって、箱に入ってるじゃない。これくらいの」
これくらい、と言って、女性は自分の手で箱の大きさを見せる。それはチェーン店のハンバーガーショップのパンケーキだ。ファーストフードのパンケーキを想像していたのか、と純子は思うと、丁寧に説明をすることにした。
「パンケーキには、バターを落として、蜂蜜をかけてください。サラダはおかわりできます」
「ふーん」
そのふーんは、どういう意味なんだろうか、と純子は思ったのだが、女性の顔を見てもはっきりとはわからなかった。