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第30食:再びの荒尾の嫉妬と可愛い小鉢たち

お客様の数が増えた。つまりそれは、必然的に荒尾だけの希望で料理が決まらない、ということになる。

まずはおやつがミルク餅という美味しいけれど、低カロリースイーツになった。荒尾はそれをしっかりと食べて、美味しいと感想を言いつつも、自分の要望が通らなくなった現実に不機嫌だった。


本来ならば、今までの方がおかしかったのであるが、彼にはそんな気持ちはない。客が1人だったのだから、その客の要望が通るのは必然と思っていただけなのである。そこへ新しい客がやってきて、提案された食事がなんと女性が好みそうな低カロリーでサッパリとしたものだ。


「体にいいのはわかるけどな」

食堂のテーブルに陣取って、荒尾はそんなことをニャーにつぶやいた。ニャーは暖炉が熱くなったのか、荒尾の側に来ている。

「どうしたんですか、荒尾さん」

「サッパリすぎやしないか、お客が増えたからって」

「あ、おやつですか?でも美味しかったでしょう、ミルク餅。片栗粉で簡単に作れるんですよ。豆乳でも美味しいんです」

純子のそんな言葉を聞きながら、違う―――と言いそうになり、荒尾は言葉を飲む。それを言ってしまえば、まるで自分が純子を独占できなくなったことに対して、思うところがあると取られかねない、と思ったのである。

そんな風に思われたくない、と荒尾は意地を張った。本音をこぼしてしまえば、大人の男として恥ずかしいし、純子とはそんな関係じゃない。でも、と思う自分がいることにもイライラした。

「荒尾さん、今日の夕食は野菜をたっぷり入れたキーマカレーにしましょう」

「キーマカレー……」

「まあ、正確にはキーマカレー風って感じですね。キーマカレーっぽく作ってるんですけど、野菜をたくさん入れているので美味しいですよ」

「それは……」


俺のためじゃないんだよな?


そう言いそうになって、荒尾は黙る。そんなことを聞いてどうなるのだ。お客が増えたのだから、そちらの要望を聞くのもペンションオーナーの仕事だ。それができなければ、これから客が増えたり、客層が変わったりすれば、純子自身が大変になるじゃないか。

荒尾は、自分で自分にそう言い聞かせた。言い聞かせて、言い聞かせて、やっとの思いで言葉を選ぶ。


「い、いいんじゃないか、カレー」

「そうですよね!ちょっと残っていたお野菜もあるので、それも使っちゃおうかな?」

楽しそうに純子はキッチンに立っている。それでいいじゃないか、と荒尾は思って、純子の笑顔を見つめた。今日は、心が乱されてしまって、どうしたらいいのか迷うことが多かった。荒尾にとって、三輪との出会いや、新しい客の登場は、十分に心を乱される出来事だったわけである。

「そうだ」

そんな荒尾の気持ちなど気づかず、純子はキッチンで料理を楽しんでいた。


キーマカレーに使う食材は、何でもいいと言ったら何でもよかった。それがカレーという味付けのいいところだと、純子は思う。残っていた野菜、鶏肉などを鍋で炒め、火が通るように煮込む。火が通ったら、カレー粉を入れて、さらに煮詰める。玉ねぎが焦げ付きやすいので、火加減と水の状態を調整しながらしっかりと混ぜる。

カレー粉はルーとは違うので、味をつけなければいけなかった。まず、それに使うものは悦子から作り方を教えてもらった塩麴だ。スプーンですくい、少しずつ入れて、味を見る。カレー粉に塩味がつくと、美味しいカレーになるのがとても不思議なのだが、特にこの塩麴を使うと美味しくできる。旨味があるから何でも美味しくできるわよ、と言っていた悦子のセリフを思い出した純子は、またいろいろ教えてもらう、と考えていた。

世間の若い女性は、健康志向と言って、腸活腸活と言っている。確かに腸活に発酵食品は大事だ。特に日本人にとっては、こういう昔ながらの麹や味噌などは、体に合っていると言えるもの。塩分が高くなる、と言われるがそこは特定のいい塩を使うことでカバーできる。玄米おじさんや悦子が教えてくれた、昔ながらの製法や材料は、すべてが体にいいものだった。


カレーの味がついたら、今度は小鉢を作る。小鉢は少しずつたくさんの種類があると見た目も華やかで、楽しく食事ができるだろう、と純子は考えていた。だから、このペンションを引き継いだ時から、小皿やっ小皿にできそうなものを選んで集めていたくらいだ。

どこかの可愛いカフェでは、一口ずつを小鉢に入れてお盆に敷き詰めて提供していると言うし、お弁当を細かく仕切って、少しずつ詰めていくのも可愛い。そんな可愛い料理をしたい、というのは純子の夢のようなものである。せっかく若い女性のお客様が来たのだから、こんな時くらい楽しい食事を作りたい。


冷蔵庫から野菜を引っ張り出し、白菜の和え物、ほうれん草のサラダ、人参のグラッセ、ポテトサラダ、豆腐を小さくカットしただけの冷ややっこなど、さまざまな小鉢を作っていく。小鉢の良さは、量がたくさん要らないこと。少しずつの種類が多い、という感じなので、とても面白いのだ。詰めていくと、小鉢の色と食材の色を考えることになるし、今度はどんなものを作ろうかな、と考えることにもつながる。

「ちょっと頭の体操みたいな感じだよね」

純子は料理に向かいながら、そんなことを考えたりもした。野菜の味を活かしながら、若い人にも楽しめるもの。自分も楽しめて作れて、美味しい。そして、荒尾も喜んでくれれば―――と思った時に、純子は飛び上がって驚いた。まさか、荒尾のことをそんな風に思っていたのか?と自問自答だ。

最近、こんなことばかり考えてしまう。荒尾は元上司で、知り合いで、今はお客様。何かと助けてくれているが、それだけの人だし、そこにそれ以上の気持ちを抱いてはいけない、と純子は思う。菜箸を握る手が止まり、少しだけ視線がニャーを抱っこする荒尾を見た。

彼は、もうすぐ有給休暇を消化し終わって、去っていく。元の生活に戻れば、立派な営業マンになって、また優秀な成績で会社に戻るのだ。純子はそこに戻らない、と決めて、ここにいる。もしかしたら、また休みを使ってきてくれることはあるかもしれない。もしかしたら、今度は彼女や家族を伴って。

「か、かのじょ……」

荒尾の側に、誰か知らない女性が立つ。それは自分ではない。自分ではない別の人が、彼と笑い合い、食事をして人生を歩む―――少しだけ、いいな、と思ってしまったのは、自分が結婚適齢期だからとか、彼氏がいないから、疲れているから、と純子は言い訳をした。

彼はあくまでもお客様。お客様だから、そう接していかねばならない。あと数日、彼はここにいてくれる。その間を、楽しんでもらえればいい。純子は自分の気持ちを押し込めて、さらに小鉢を作っていった。


それらが出来上がった時、純子はとても満足した。今まで作ってみたかった、小さな小鉢の集まったお盆の上は、まるで花が開いたように小鉢が並んでいる。どれも一口程度の料理しか入っていないが、これだけ可愛ければ写真にも収めたくなるし、食べることも楽しめるはずだ。

「荒尾さん、できましたよー!」

「キーマカレーか?」

「あ、すみません、こっちは小鉢のお膳で」

「小鉢……?うお、すごいな、中野瀬!!」

荒尾は、いつもの少年のような笑顔で喜んだ。そこにあるのは、男性でも驚くほどにきれいな小鉢が乗ったお盆。テーブルに置けば、とても華やかなテーブルができた。

「これにキーマカレーです。荒尾さんは大盛りにしますね」

「中野瀬、この小鉢の中身はもうないのか?」

やっぱりそう言うか、と思って純子は笑う。


「ありますよ、荒尾さん用にたくさん残してます」

「ありがとう!」

お互いのことを理解し始めている感覚は、2人にとって心地よいものとなりつつあった―――

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