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第31食:お母さんのオムライス

その日、彼女は部屋から出てくることはなかった。純子はそんなお客様ga

いたとしても、特に気にしないでおこうと決めている。彼女にとって大事なのは、お客様がどれだけ快適にこのペンションを利用したり、カフェで美味しいものを口にしてもらえるか、だ。

未成年かと問いかけたのは、ちょっと不用意だったかもしれない。何か事情がなければ、未成年でペンションにやってこようとは思わないだろう。もしかしたら、あとから親と合流するつもりだったのかも。もしかしたら、親が近くまできているのかも。

純子はどうにかして、いい結果になるような妄想をするしかなかった。


翌朝、それもなかなかに早い時間。純子はペンションのドアを思い切り叩く音と、女性の大声で飛び起きた。なんだなんだ、と部屋を出ると同時に、荒尾も部屋から飛び出す。ラフなシャツとパンツの格好で、彼もよく寝ていたのが理解できた。

「なんだ、あの声は!?」

「わ、わかりません……何かあったのかも?」

「中野瀬、とりあえず俺が見てくる」

「あ、荒尾さん!?」

客とはいえ、男性だ。得体の知れないモノを相手にするのだから、今回はお願いした方がいいだろう、と純子は早々に考える。もしも強盗だったら、外で何か事件でも遭っていたら、と不安になったが、ドアを叩く音と女性の叫び声以外は聞こえない。


荒尾はドアの向こうにいるのが人間であることを、声から確認してドアを開けた。そこには中年の女性が立っていて、とても焦った様子である。

「すみません、このペンションに女の子来てませんか!」

「ど、どちら様ですか!?」

「私、麻衣の母です!あの子、学校からいなくなったって、言われて、探し回って!」

麻衣の母、と言われて荒尾は昨日やってきた女性が麻衣なのだろうか、と思った。彼はお客の情報を見ていないし、話もしていない。純子に確認を取ろうか、と思った時に純子がやってきた。

「はい、麻衣さんはお泊りになっています」

「よ、よかった……!」

母親はヘナヘナとその場に座り込んでしまう。その様子を見て、よっぽど焦り、急いでここまでやってきたのだろう、ということが理解できた。

「お母さん、まだ時間が早いのでよかったら少しお話でも聞かせていただけませんか?」

純子はそう言って、母親を暖炉の前へ連れて行く。そして、温かい紅茶を出した。ニャーはお客様が来たとわかったので、どこか別の場所へ移動してしまっている。このペンションのマスコットのような存在だが、気に入った客にしか接客してくれないので、困った従業員だ。

「すみません、お世話になってしまって」

「いいえ、麻衣さんはご自分で代金も支払っておられます。ここまでも1人で来たみたいで、しっかりしてますよ」

「お、お金も……」

お金を心配していたのか、母親は少し安心したように紅茶を飲み始めた。荒尾は同席するわけにはいかない、と言ってコーヒーを淹れると勝手に決め、行動に入っている。純子は母親の正面に座って、彼女を見た。

「あの、麻衣さんは何か問題でも?ここには一晩だけだと言っていたので、今日には戻られると思いますが」

「……麻衣は、最近私が仕事から帰らないとか、外に男がいるとか言っていて。実際は、夫との離婚の話で揉めてしまっていて、いろいろと忙しかったんです。娘にそんな両親の姿は見せられない、と思って、距離を置いたりしたので、誤解しているんじゃないかと」

「えっと、そのご説明はされましたか?」

「説明は、はい、しましたけど……これから私が麻衣を育てるつもりなので、仕事ももっと頑張らなきゃいけないって思って」

母と子のすれ違い。純子は、母が死んでしまった後に、あの時の話は自分を思ってしてくれたのか、と思うことが多くあった。失って初めて気づくこともある、というよくある話だった。純子の場合は、それが両親の事故死であった、という永遠の別れ。

「でも、麻衣さん、インフルエンサーで頑張っているのでは」

「私、麻衣がインフルエンサーを頑張っていることを応援したいって思ってました。でも、それで麻衣が夢を追いかけられるならいいんです。たくさん夢を追いかけて、楽しい人生を送ってほしい。でも、だんだんとあの子は笑わなくなって」

母親から見る娘は、年相応の少女には見えなかったという。いつも周囲の目を気にして、着飾って、どうにか自分をよく見せようとするばかり。そこに楽しさや明るさはなくなって、彼女は次第に沈んでいくのだ。

「大学に行きたいって思ってるみたいなんですけど、間に合うのかしら……」

母親は本当に娘のやりたいことを応援したいのだろう。とてもよく娘のことを見ている人だな、と純子は思った。

「麻衣さん、起こしてきましょうか」

「まだ、寝てますよね……」

「あ、そうだ!」

純子は立ち上がり、母親を見る。そして、彼女の手を取った。


キッチンでコーヒーを淹れていた荒尾は、純子と母親がやってきたので自然に追い出される形になった。追い出された荒尾は、行くべき場所がなくなり、コーヒー片手に仕方なく暖炉の前に座るしかない。一方純子はとても楽しそうに、母親に話しかけている。

「お母さん!ここで麻衣さんの好きな料理を作ってみませんか!?」

「え、でもここはこちらの」

「材料や道具がそろっていないかもしれませんけど、あるものは使ってください!」

そう言われて、最初は戸惑っていた母親だったが、ついに意を決した。

「わかりました、作ります!」

さすが母は強し。純子はそう思うと、母ともっと一緒にキッチンへ立っておくべきだった、と少しだけ後悔する。しかし過去ばかりを見ていても、前に進むことはない。今は麻衣のために、料理を作る母を手伝うのだ。

「麻衣さん、何が好きなんですか?」

「あの子は……そうですね、昔からオムライスが好きで」

「オムライス……」

「甘めのケチャップライスに、柔らかい卵。お弁当にも持って行くって何度も言ってくれました」

それしかない!と純子は目を輝かせる。そして、母のあたたかい手を取った。

「お母さん、オムライス!作りましょう!!」

「はい!!」


オムライスは、こだわらなければ難しい料理ではない。材料も味付けも、シンプル。でも、とても好みが分かれると純子は思った。シンプルな中に、こだわりの良さがあるのだ。ケチャップライスが好きな人もいれば、バターライスを好む人もいる。トロトロの卵がいい人もいれば、クレープのような卵で包まれたものが好きな人も。人によって、さまざまなオムライスができるのだ。

子どもの頃、お子様ランチにオムライスは定番だった。でも高値のお子様ランチを何度も食べるには、お金も時間もかかるから、母は誰もが手作りしてくれる。そうやって、人は料理で思い出を作りながら、生きていくのだ。手際よくオムライスを作っていく母親の姿は、決して家事や育児に手を抜いていた人の動きではない。頑張りすぎて、娘とすれ違ってしまっただけ。娘の好きなオムライスだって、しっかり覚えてくれていた。

できあがった時、純子はそれを見て、とても嬉しかった。純子も母からオムライスを作ってもらったことがある。忙しくても父の大きなオムライスを作ってから、中くらいの母のオムライスを作り、最後に可愛らしいサイズの純子専用を作ってくれる母。特別な日でもなんでもなく、今日はオムライスにしようか、くらいの気持ちでそれはできあがっていく。

「純子さん、どうかしら」

問いかけられて、純子は微笑んだ。

「美味しそうです!」


純子の言葉を聞いて、照れたように笑う麻衣の母。

それが純子の母の笑顔と重なった―――

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