「純子ちゃーん、いるかーい」
そんな声が聞こえて、純子は慌てて庭の方から返事をした。その声は、ペンションの中に向かって叫ばれていたが、純子が庭から声を出したのでそちらへ向かってくる。やってきたのは、近所に住まう玄米おじさんだ。
「どうしたんですか、急に」
「うん、ちょっとなぁ、うちのがさ」
「悦子さんが?」
「ちょっと庭で転んじまって。病院に行ってくるんだけど」
「え!?」
まさかそんなことが、と思って純子は驚いてしまう。しかし、玄米おじさんのお願いはそんなことではなかったようだ。
「実は純子ちゃん」
「はい」
「実は」
「はい!」
なかなかその続きを言わない玄米おじさん。しかし純子は、その続きを聞いて驚いてしまう。
荒尾は、ペンションの中が騒がしいことに気が付いた。おかしいな、と思った時には自分の足元に小さな子どもが2人引っ付いていた。
「うお!?」
「のぼれー!」
「わーい!」
子ども2人は、荒尾の足を登り始めてしまう。年齢は保育園か、幼稚園くらいの、まだ小学校に上がる前の男女だ。可愛らしいのは分かるが、さすがに子ども2人の重さは、荒尾でも堪えてしまう。
「ちょ、ちょっと!?2人とも!!荒尾さんに迷惑かけちゃダメよ!?」
「じーちゃんはいいっていうもん!」
そんなことを言う子どもを荒尾からはがして、純子は荒尾に頭を下げる。同時に荒尾は真っ青な顔をしていた。気分でも悪いのか、と純子が尋ねると、荒尾は青い顔で言うのだ。
「こ、子持ちだったんだな……中野瀬」
「へ!?」
「ま、まあ、いいんじゃないか、少子化だしな……」
「ちょ、違いますよ!?私の子どもじゃありませーん!!」
純子は大きな声で叫んだ。
純子は、玄米おじさんから孫を預かってほしい、と頼まれたのだ。息子夫婦が短期間だが海外旅行に行くことになり、子どもを玄米おじさんと悦子に預けて、出発したらしい。久しぶりの孫との時間、悦子は大変喜んだのも束の間、庭で転倒。病院へ連れて行くことになったが、もしかしたら入院、手術になりそうだという。どちらにせよ、玄米おじさん1人では孫2人の面倒と、病院に行った悦子の世話ができない。だから―――
「荒尾さんもいるから、今のうちに子育ての練習しときなって言われて」
「こ、子育ての練習!!??」
その言葉に、荒尾は真っ赤になってソファーから飛び上がった。小さな2人は、今度はニャーの側でゴロゴロして遊んでいる。
「た、確かに、お客さんはいませんけど」
「俺がいるだろ!」
「子ども2人で通常の宿泊料金取っていいって言われて!」
裏取引に負けたのか、と荒尾は思った。純子は優しい女性だから、それだけではないのだろうが、報酬もあるとなれば頑張れると思ったのだろう。同時に、悦子の心配もあったに違いない。彼女にとって、悦子はとても大事な人だ。そんな彼女が怪我をしたとなれば、本当はそちらに飛んでいきたいはず。でもそれが叶わないので、孫たちの面倒を見ることを了承したのかもしれなかった。
「でも、お前も子育て経験あるのか?」
「……ないです」
「おい!俺もないぞ」
あるはずもなかった。似ていない子ども2人を見て、純子の子どもと勘違いしたくらいなのだから。
「えっと、一日の流れとか、食事のこととか、荷物は預かってます!」
バックにパンパンに詰まった荷物。食事のことなどが書かれた紙。一日の流れを見ながら、荒尾も頭を抱える。
「おいおい……こんなにできるのか?風呂も入れなきゃいけないんだぞ?」
「それは荒尾さんが」
「俺が!?」
「私は外でキャッチして、着替えさせて、歯磨き担当です!」
いつの間に分担されているんだろうか、と荒尾は思った。しかし、すでに玄米おじさんは出て行ってしまったし、残された子どもたちを放り出すわけにもいかない。できることをしよう、と思って荒尾は仕方なく協力することにした。
「えっと、おやつにこれをもらったんです!」
「何を……なんだ、これ?」
「ポン菓子ですよ、荒尾さん!知りませんか?お米で作るんですけど、専用の機械もいるし、力仕事なのでなかなか作る人がいなくて」
袋に入ったそれを荒尾は手のひらに分けてもらった。小さな粒は米の形をしていて、光りの角度でキラキラ光る。
「昔、駄菓子屋さんにニンジンの形の袋に入って、売ってませんでした?」
「確かに……あれの中身だな」
口に運ぶと、少し噛んだだけで消えていく。優しい甘さのそれを食べて、荒尾はこれをあの玄米おじさんが作ったのか、と驚いていた。
「ヨーグルトに入れても美味しいんですよね。きっと孫が来たから作ることにしたんじゃないでしょうか、おじさん」
「ヨーグルトだと!?シリアルの代わりか!?」
「そうです。それがこの子たちのおやつで」
なんて健康的で、美味しいおやつだろうか。純子はそんなことを考えながら、子どもたちに準備をしていく。その横には荒尾も一緒に並んで座っていた。
「えっと、荒尾さんも食べますか?」
「ああ、食べる!」
子どもよりも元気よく返事をする荒尾。純子は少しだけ笑ってしまった。
男の子はケイ、女の子はまーと言った。不思議な名前だと荒尾が言うので、横から純子は本名から来る愛称であることを伝えた。まだ幼い子どもにとって、名前というのは難しいものなのだろう。
「まーちゃん、きょうははんばーぐたべたい!」
少女がそう言って、純子のエプロンを引っ張った。しかしその材料がないことに、純子は頭を抱える。今から買いに行ってもいいが、2人を連れて買い物に行くのは苦労する。
「ケイくんも、はんばーぐ!」
「子どもってハンバーグが好きですよねぇ、どうしようかな、荒尾さん……って、え?」
材料がなくて困っていた純子が荒尾に意見を求めた時、そこにいたのはすでにハンバーグを堪能したいという顔をした成人男性だった。しまった、食い意地に関しては、この人も子どものようなところがある。
「ハンバーグはいいぞ、あんなに美味いものを作り出した人類に感謝だ」
「ど、どこまで感謝してるんですか!?」
「今日はお客も増えたことだし、ハンバーグにしようじゃないか!いいリクエストだ!」
いいリクエストと言っても、子ども2人に大人が1人。オーナーである純子の意見は無視されている。仕方がないので、純子は足りない食材をメモ用紙に書き出した。冷蔵庫の中身と相談し、あれこれと書いていく。そして、その紙を荒尾に差し出した。
「おつかい、お願いします!」
「俺が行くのか!?」
「じゃあ、荒尾さんが子どもたちの相手しますか?」
ケイとまーを見れば、2人でニャーを追いかけ回している。先ほどは荒尾の足を登ろうとしたくらいだ。そのうち、ニャーを土台にして、木登りを始めてしまうかもしれない。そんな不安を感じた荒尾は、車のキーを握り、純子から財布を受け取って、ペンションを後にした。
出ていく車を見て、純子はこの2人をどうしようかな、と思う。あいにく、彼女には兄弟もおらず、親戚も年上ばかりだった。だから、こんなに小さな存在と時間を過ごすことがなかったのである。
「それにしても、孫ちゃんとはいえ、おじさんも無謀な人だなぁ。悦子さんに任せるつもりだったのかな?」
孫を預かって、大変な思いをするのは悦子だっただろう。それが今回は入院だ。大きな怪我をしていなければいいな、と思ったが、まだ連絡はない。
「じゅんこちゃーん」
ケイが純子のエプロンを引っ張った。祖父が呼んでいたのを真似して、ケイは『じゅんこちゃん』と呼ぶのである。悪気はないし、それが彼女のことなのだと認識していた。
「じいじ、まだかえってこない?」
「そうだね、まだかかるかも」
「じゃあ、きょうはニャーのおうちにおとまり?」
「えっと、ニャーのお家っていうか、ニャーと純子ちゃんお家かな?」
「えー!じゅんこちゃんってニャーのおうちにすんでるのー!?すごーい!」
子どもの考えることはすごいなぁ、と純子は思い、そのちょっと違うところを訂正することができなかった。