刻んだ野菜とひき肉を混ぜて、卵、少し牛乳で柔らかくしたパン粉を入れる。味つけは子どもも食べるので、あまり濃くないようにする―――そんなことを考えているうちに、絵本は2冊目に入ったようだ。子どもは絵本が好きだなぁ、と純子は思いながら、2人が荒尾と仲良くしてくれていて、とても嬉しくて助かる。もしも嫌われたりしたら、数日とは言え、お互い嫌な気分になってしまうのではないか、と心配したのだ。
純子にとって、荒尾は知り合いだけれどお客様で、ケイくんとまーちゃんもお客様なのである。玄米おじさんにはお世話になっているし、入院することになった悦子にはもっとお世話になっている。だからこそ、お客様それぞれの要望に答えたい、と思う。しかし子どもがお客様であることは、その子たちの状況にも合わせねばならなかった。大人のように何でもできるわけではないし、何でも食べられるわけではない。
今まで、子どものお客様が一切いなかった、というわけではないのだ。どの子どもたちも、親や兄弟がいて、子どもだけでやってくるということはない。今回は、麻衣のことといい、なぜか子どもだけのお客様が多いな、と思う。
「つまり、今こそ子ども用メニューを充実させる時!?」
純子はとても前向きで、いい人だ。いい人だからこそ、ついついお客様のことばかり考えてしまうのである。自分の利益など特に考えず、ついついなんでもしてしまう―――だから、時々ひどく疲れてしまったり、困ってしまったりなど、被害もあった。それでも純子は、自分のやりたいこと、お客様への満足を忘れずにやっていこう、と決めている。
「子どもメニューも必要だとは思っていたけど……どうしようかな、無難にお子様ランチなんか作ろうかな」
ファミリーレストランの定番と言えば、お子様ランチだろう。今の飲食店は、どこでも子ども用が存在している。ハンバーガーショップからうどん屋、どんな店でも子ども用は充実している。お菓子やおもちゃなんかがついていれば、子どもたちは大喜びだろう。しかし、それするのにこのペンションでは荷が重すぎる。大人用のメニューを改良して、少し甘いものをつけるくらいだろうな、と思う。
「おもちゃはお金かかるもんなぁ」
ただでさえ少ないペンションのお客様に対して、何人やってくるかわからない子どもへのメニュー。食事は準備が必要だとしても、おもちゃまで準備できる資金がない。ため息をつきつつ、何かいいものはないか、と思いながら純子はハンバーグを捏ねた。
純子の記憶の中で、両親と一緒に食べたお子様ランチは、どこかのデパートだった気がする。いつも行く場所ではなくて、特別な日の、特別な食事。まさに昭和の時代だな、と純子は思ってしまった。可愛いライスの上には、国旗の旗がついていて、小さなゼリーがおやつについてくる。今日は何味のゼリーがくるのか、とても楽しみなのだ。
家族の時間は、純子にとってとても大事な時間だった。自分が学生になり、進路に迷った時、何か食事や栄養に関することが仕事にしたいな、と思って管理栄養士の道へ進んだのである。だから、彼女にとって食事と家族と、自分自身のことは切り離せない存在だった。
大学を卒業する頃は、就職することしか大事に思えなくて、とにかく一般企業に入社することだけしか考えられなかった。もっといろいろ考えて、何なら一度このペンションを手伝ってからでもよかったかもしれない。それなのに、なかなか自分はそれができなかったのだ。あの時―――もう一度だけ母の隣に立っていたなら。もしかしたら、今でも両親はここに一緒にいたかもしれない。
そんな、有り得ない未来を描いてしまうくらいに、純子は両親が恋しくなってしまう。麻衣の母が、彼女を思ってここまで来てくれた姿や、ケイくんとまーちゃんの姿を見ると、どうしても家族を思い出してしまうのである。
潤んだ瞳をグッと閉じ、もう一度開いた。まだお客様がいるのだが、しっかりとしなければ。今は自分がこのペンションのオーナーなのだから。純子は自分にそう言い聞かせて、ハンバーグの形を作る。荒尾には大きく、自分は普通。子どもたちには小さなサイズ。まるで家族みたいだな、とハンバーグを見ながら思う。
「え、あ……」
情けない声が出て、顔が真っ赤になるのがわかった。まさか、そんな。自分はなんてことを思ったんだろう。まさか、荒尾のことを―――と思いながら、彼が絵本を読み終えたのが聞こえてきた。ケイくんとまーちゃんがとても喜んで、手を叩いているのだ。
「中野瀬」
「は、はい!」
「夕食までまだ時間はあるか?」
「はい、あります」
「じゃあ、庭に出てくるよ。3人で。何かあったら叫ぶからな」
念押ししながら、荒尾は左右の手を握られて庭へ出ていく。そのあとをのんびりとニャーが追いかけていった。穏やかな時間、本当に家族のようにしている。その姿を見て、純子は荒尾がこれからどんな家庭を持つのだろうか、と思ってしまう。
営業部で一番人気の荒尾和弘は、それこそ営業の鬼と呼ばれるくらいだ。新人からは先輩ではなく、鬼上司と呼ばれてしまうくらいに恐くて優秀。彼に落とせない営業先はない、と噂されるくらいの人。そんな彼が選ぶ女性はどんな人なんだろう、と会社中の女子社員が妄想してしまうのは、日常茶飯事。純子も会社員時代は何度か、周囲から聞いたことがある。しかし荒尾は、飲みに誘われても二次会は行かない。女子社員をデートに誘うこともなければ、後輩を食事に連れて行くという心意気もないらしい。仕事とプライベートは完全に分ける―――それが荒尾和弘の人間性だ。
「あれ、じゃあ、このペンションでは何をしているんだろ?仕事もしてるって言っていたけど……」
その通り、荒尾は長期的に滞在している部屋で仕事もしていた。しかしくつろいでいる時もある。食事は山のように食べるし、純子の買い出しにもついてきてくれた。そして今は、子どもの世話だ。
「楽しいのかな……」
仕事とプライベートをきっちり分ける人だと思っていたから、今はどんな気分なのだろうか。
荒尾は、子どもたちと一緒に庭に出た。そして、庭の植物を見て回る。
「かずくん、ありさんだよ」
ケイくんはすっかり荒尾に懐いており、荒尾を引っ張って庭を歩き回った。まーちゃんは庭が苦手なのか、荒尾の手を握って放さない。
「かずくん、こっち行こう」
「走らないでくれよ。俺の足は2本しかないんだからな」
「あ、にゃーがさきいった!」
ニャーの後を追いかけて、ケイくんが走っていく。すると見事にひっくり返ってしまい、大泣きだ。泣き叫ぶケイくんを抱き上げて、荒尾が転んだ足を見てやる。
「中に戻って、中野瀬に見てもらおう」
そう提案すると、今度は寂しくなったまーちゃんが泣き出してしまう。これは困った、と思う荒尾は、急いで2人を抱きかかえた。
左右からの泣き声に、世の中のお母さんは本当に大変なのだな、と思うしかない。世の中の男性よ、もっと理解を示せ!と抗議運動さえしたくなってきた。2人を抱き上げたまま、戻ってきた荒尾を見て、純子も驚く。
「どうしたんですか!?」
「すまん、ケイくんが転んで」
「まーちゃんは?」
「まーちゃんは平気だ」
「じゃあ、ケイくんはこっちに」
子どもを抱き上げる純子を見て、荒尾はその姿に見惚れていた。いつもと同じエプロン姿なのに、何がそんなに違うのだろうか。そんなことを考えながら、荒尾はただただ、まーちゃんの背中をさすってやることしかできない。
こんな時、男は情けないなぁ、と荒尾は思うのだった。