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第37食:夕食のあとは、お風呂ですか?

ケイくんの怪我は、大した傷ではなく、子どもならよくある程度の擦り傷だった。しかし心配する荒尾の視線が痛く、純子は丁寧にケイくんの傷を見る。そして、少し大げさではないか、と感じるくらいの絆創膏を貼った。

「いたいの、いたいの、とんで~」

小さな手は、自分の傷を優しく撫でながら言う。純子はそれを見ながら、ケイくんの頭を優しく撫でた。


「中野瀬、もう大丈夫か?」

「はい、絆創膏を貼りました」

「よかったな、ケイくん」

荒尾は、この数時間ですっかり子どものことをしっかり考える人になっていた。自分が連れ出して、そこで怪我をさせてしまった、と彼は後悔しているのだ。子どもに怪我はつきもので、そうやって少しずつ成長していく。大きな怪我、命に関わるような問題でなければ大丈夫だと、純子は思うのだが、荒尾はそうは思えないようである。

「まーちゃん、みて、じゅんこちゃんがぺたぺたしてくれた!」

まだ痛むであろう足を、ケイくんは自慢げに見せてくる。それを見て、まーちゃんは目を輝かせた。子どもにとって、その絆創膏は羨ましいと感じるものなのだろう。子どもは2人で、ニャーを囲み、楽しそうに遊び始めた。

「すまないな、忙しいのに」

「いえ、大丈夫ですよ。大した怪我じゃなかったから、骨とかも大丈夫だと思います。でも何があるか分からないので、おじさんが来るまでは様子を見た方がいいかもしれませんね」

「そうだな」

今はあんなに楽しそうにしている2人だが、子どもの無力さはよくわかる。怪我でなくとも、いつ熱を出したり、病気になるか分からないのだ。

「夕食は大丈夫か、間に合うか?」

「はい、そっちは任せてください!」

純子は笑顔で返事をした。


ハンバーグの付け合わせは、ブロッコリーとニンジンのグラッセという定番。ニンジンのグラッセは、母が残したレシピなのでとても美味しくできている。実は、これをシチューに入れてもとても美味しいという代物だ。このグラッセの作り方は、とても簡単。しかし火加減や砂糖の量など、ちょっとしたとこで母の味が決まってくる。

それ以外にスープを作る。ランチの定番なら、千切りキャベツに味噌汁といったところかもしれないが、今回のお客様は子どもだ。荒尾は何でも食べられるからいいとしても、子どもが食べやすいものを提供しなければいけない。それなら、味噌汁は朝食にして、夕食ではコンソメスープにしよう、と思った。あとは、簡単に食べられる野菜のサラダや、荒尾は食べたりないだろうから小鉢を何品か作る。

白米が炊き上がった頃、純子は盛り付けに入る。広い皿にハンバーグ、付け合わせなどを盛り付けて、ハンバーグソースをたっぷりかけた。それから、他の物を準備して、美味しそうな夕食の完成だ。

テーブルではすでに3人が並んで待っている。可愛らしい2人と、その目の前に座る荒尾。いいお父さんだなぁ、と純子は思ってしまった。可愛らしい2人の笑顔と、荒尾の笑顔がなぜか似てくる。

「はい、できましたよ。純子特製ハンバーグです!」

「「わーい!!」」

子ども2人は、椅子から飛び上がらんばかりに喜んでくれた。同時に、荒尾も目を輝かせている。

「かずくんのはんばーぐ、おっきいね!」

「かずくんは大人だからね」

少し自慢げに言う荒尾は、大人と言いながら子どものようだった。そこへ、白米やスープを持ってきた時に、事件は起こる。


「え、ごはんがへんないろだよ、じゅんこちゃん!」

変な色?と首を傾げて純子は見る。子ども用の茶碗には、きれいな白米が盛り付けられているではないか。玄米おじさんのところから、直接買い付けているいいお米だ。それなのに、どうして変な色、というのだろうか。

「ごはんは、もっとちゃいろなの!」

茶色、と言われて純子は理解した。玄米おじさんの家では、米はすべて茶色なのだ。茶色のご飯が食卓に並ぶのが、当たり前なのである。子どもながらによく見ているな、と思った純子は、ごめんね、と言った。

「今日は特別な日だから、ご飯の色が白いんだよ」

「とくべつ?」

「そう。ここにお泊りするでしょう?そういう時だけの、特別なご飯なの」

そうなんだーと子どもたちは、納得して食事を始めた。純子も自分の分を準備して、荒尾の隣へ座る。その時、荒尾は初めて純子が自分の隣で、こんなに近くで食事をするのを感じ取った。まるで肌が近いような、顔は横顔しか見えないのに、距離が近い。車を運転する時と同じ距離のはずなのに、と思いながら、どこか近い感じがして、どこか意識してしまう荒尾がいた。

「ほら、こぼれちゃうよ、ケイくん」

笑顔でハンバーグを頬張る子どもに向かって、彼女は話しかけている。まだ上手に食べることができない、まーちゃんの手伝いもしながら、純子はとても器用だった。

「まーちゃん、小さなお皿を持ってこようか?」

そんな気遣いのできる彼女を見て、荒尾は一番大きなハンバーグを食べた気がしなくなってくる。純子の隣にいて、こんなに彼女を意識したことがなかったのだ。彼女に会うためにペンションに来たのに、会ってしまえば、今までの延長線のような感覚だった。でもそれが今、やっと違う形になろうとしている。

「荒尾さん、ご飯おかわりしますか?」

「う、ああ、た、たの、お願いします」

「はい。どうかしました?」

「い、いや!美味いハンバーグだと思ったんだ」

「それならよかったです」

席を立つ純子。緊張する荒尾。それを見つめる、小さな瞳。

「かずくん、おねつ?」

「へ!?な、なんでもないぞ!?」

子どもの言葉に過剰反応して、荒尾は飛び上がらんばかりの声を上げる。

「かずくん、おかお、まっかー」

まーちゃんにそんなことを言われて、荒尾は慌ててしまう。水をガブガブ飲んで、自分を落ち着かせるしかない。焦って焦って、戻ってきた純子に変な目で見られてしまった。

「荒尾さん?どうしました?何か辛い物でも入っていました?」

「いや、た、ただ喉が渇いただけだ!」

喉が渇いただけにしては、水を一気飲みしすぎじゃないか、と純子は思ったのだが、荒尾はそれ以上を語らなかった。おかわりの白米をしっかり食べて、皿がきれいになるくらい丁寧に完食した。子どもたちも、少し汚れてしまったがしっかり食べ終わっている。

「2人ともすごい格好ね。お風呂に入らなきゃいけないかな」

お風呂、という単語に、子ども2人は喜んで走り出した。これくらいの年代でお風呂が好きなのはいいことだ、と純子は思ったが、食後の荒尾は顔を真っ赤にさせて困り果てている。

「荒尾さん、大丈夫ですか?おなか痛いとか、そんなのですか?」

驚いた純子が、声をかけると、荒尾は真っ赤な顔で純子を見た。


荒尾は、純子が子どもを風呂に入れてくれるものだと思っていた。だから、自分はそのサポートなのだ、と。

しかし実際は、純子が外で待機して、荒尾が子ども2人と一緒に風呂に入っていた。想像と違う展開―――おかしい、と荒尾は思いながら、子どもたちを洗ってやり、外へ送り出す。ドアの向こうで、純子と子どもたちの楽しそうな声が、響いていた。

「ふぅ……」

ため息混じりの、安堵の息。それを吐いてから、荒尾は自分も肩まで湯船に浸かる。子どもがいることは、楽しくて素晴らしい日々だ。世界中の母親に、感謝しなければいけないくらいの、それくらいの大変なことだと思う。

父親も大変だとは思った。どこに飛んで跳ねていくか分からない、そんな小さな命の手を、しっかり握っていなければいけないのだから。


「荒尾さーん、のぼせちゃいますよー?」

純子の声を聞いて、荒尾は出て行ってくれないと、出れないんだけどな、と言いたくても言えなかった。

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