「そうだ、赤坂さん、お昼はもう食べましたか?」
不意に純子がそんなことを聞いてくるので、赤坂はそういえば、と思い出したような顔をする。
「まだだけど、握り飯くらい食べておけばいいさ」
「それなら、台所と冷蔵庫にある食材を借りてもいいですか?悦子さんが急に入院しちゃったから、冷蔵庫の片付けもできていないんじゃないかって、思ったんですけど」
「そういえば、そうだなぁ……。家の中のことは、全部アイツに任せっきりだったからな。でもいいのかい、純子ちゃん?仕事を増やしちまって」
「構いません。できる範囲でしか、お手伝いはできないものですから、できるだけのことをしますね」
そう言って、純子はニコニコしている。荒尾は、子どもたちの手を引いて、赤坂宅の庭で遊ぶことにした。
普段、悦子が使っている台所は、年季が入ってこそいたがきれいに整っている。掃除が行き届いているし、物が使いやすいように整理されていた。丁寧な暮らしをしていたんだろうな、と感じられるような、そんな台所である。
「悦子が戻ってくるまで、どれくらい時間がかかるかわからん。好きに使っていいよ、純子ちゃん」
「ありがとうございます。まずは冷蔵庫を確認して、お昼の準備にしますね」
「助かる。俺は孫を見て、庭の手入れをしてくるから、何かあったら呼んでくれ」
この家の庭は、悦子の大事な庭だ。家庭菜園をしているだけでなく、季節の花が植えられていたり、悦子が気に入ったものを植えていた。本当は、純子も庭の手入れが好きなので、一緒にしたかったが、今は昼食の方が先だと思う。荒尾や子どもたちもいるので、長くは待たせられなかった。
冷蔵庫を開けると、台所と同じようにきれいに整っていた。賞味期限が近いものを確認して、出していく。どれも丁寧に整理されているので、わかりやすく、まるで悦子の人柄がわかるような印象だった。
「悦子さんこまめだなぁ、中途半端な食材は全部袋に入れてるし……。無駄なく使おうってしているから、野菜の残し方も上手いし」
残ったから残す、ではなくて、最初からこれくらい使って、これくらい残そう、という計画性が見えるような切り方や、保存の仕方だと、純子は思う。残そうと思えばいくらでも残せるが、いざ使う時になってどんな風に使うのか、難しく考えなくていいようにしているのは、とても勉強になる。人に料理を出すということは、ただ作って出せばいいというわけではないのだ。
さまざまなことを考えながら、普段見ることのない他人の冷蔵庫に、純子は興味津々だった。冷凍庫もきれいに掃除され、ストックは分かりやすくメモがついている。冷凍してしまうと、中身がなんだったか忘れてしまうことがあるので、そうならないようにしているのが、よくわかった。
残っていたのは、卵や牛乳など、子どもでも食べやすそうなものだ。2人ともアレルギーがないので、食べることができる。本当はパスタで、カルボナーラにするとおいしいだろう、と思ったが、この家にパスタというものは存在しなかった。
「うーん、何かあったような……そうだ!」
純子は、冷凍庫を開ける。そこにあったのは、以前悦子が便利で助かる、と言っていたものだ。
「冷凍うどん!」
茹でても美味しく、レンジで加熱するだけでも食べられ、冷凍してあるので日持ちもする。量もちょうどよくて、味もいい。悦子は、この冷凍うどんを食べて以来、うどんはずっと冷凍を買っていた。
「この冷凍うどんをカルボナーラにしよう!」
かつて、純子が会社員だった頃、居酒屋で出てきて以来気に入っているメニューの1つ。明太子があれば、クリーム明太うどんもできる。日本人はうどんが好きだなぁ、と純子は思いながら、手際よく冷凍うどんを人数分準備した。そして、鍋に牛乳と卵を落として、ゆっくり混ぜる。レンジで温めたうどんを鍋に入れ、混ぜながら塩コショウで味を調えた。
「チーズがあると美味しいんだけど」
そんなことを考えながら、棚を開けば、粉チーズが出てきた。悦子にしては珍しい食材だが、今は使わせてもらうことにする。鍋の中に粉チーズを入れて、更に混ぜた。カルボナーラのソースは、卵が固まらなければ、十分に美味しくできる。きれいに牛乳と卵、チーズが混ざってしまえば、あとの味付けは好みでいいと思えるくらいだ。
「そして、何よりもいいのは、お箸で食べられることよね」
このカルボナーラうどんは、パスタのようにおしゃれに食べなくていい。美味しいものを、美味しいまま、食べやすいお箸でいただくだけ。好きな人は、ベーコンやソーセージなどを入れてもいいが、今回はそういったものはなしだ。それでも、美味しくいただける一品。
鍋の中で、うどんにソースがきれいに絡まった。だから、今度はそれを食べやすい皿に盛りつける。
「できた!」
パスタのようで、パスタではなく、うどん。そこが美味しいところ。純子は全員分を盛り付け終わると、それを持って台所を出た。
悦子は、もともと縁側で食事をするのが好きな人だ。ここにいると庭も見えるし、天気も分かる。時々ニャーなどお客様もやってくるので、楽しいのだという。いつも悦子が座っている場所に、今日は赤坂が座っていた。庭の手入れは終わったのか、視線の先には枯葉を集めた山ができている。
「赤坂さん、できましたよ」
「お、さすが純子ちゃん!何か使える食材があったのかい?」
「はい。悦子さん、とてもきれいに整理整頓してたから、素敵な台所でした」
「昔から整理整頓は悦子の仕事だからなぁ」
そう言う赤坂は、本当に悦子のことを大事に思う夫の顔をしていた。普段、ここにいるのは悦子だけなので、純子にとって悦子以外の人がここに座っていることが、少しだけ珍しい。でも、これからは悦子の隣には、赤坂が多く座ることになるだろう。
庭で転んだという話だが、更に年齢を重ねれば、1人で歩くことも厳しくなるかもしれない。そんな時、目の前の彼はどうするのだろうか。遠くに住まう子どもたちを頼るのか、夫婦2人きりでここで暮らすのか。純子は、亡くなった両親に思えなかったことを、赤坂と悦子に思った。
「中野瀬、子どもたちは手を洗ってきたぞ」
「ありがとうございます!」
少し、寂しくなるようなことを考えてしまったが、まずは昼食にしよう。純子はそう思って、縁側に全員で座り、カルボナーラうどんを食べることにした。
「カルボナーラのうどんだ……」
荒尾が不思議そうにつぶやく。
「え、荒尾さん食べたことありませんか?ほら、会社の近くの居酒屋で、出てきたことあるでしょ?」
「存在は知っているが、食べたことはないんだ。たまにうどん屋にもあるよな?」
「はい、ありますよ!それの簡単バージョンですけれど!」
「初めて食べるが、うどんもありだな。でも、このうどんコシがあって、美味いなぁ」
「冷凍うどんなんです。冷凍されるからなのか、コシがあって美味しいですよね!子どもたちのは、長めに茹でて柔らかくしてます」
2人は、食事を通してとても楽しそうに、素直な笑顔で話をした。まるで、長年一緒にいた友人か恋人のように、とても楽しそうに話している。そんな2人を見て、赤坂はとても安心できた。
「じーちゃん、うどん」
「おう、そうだな。美味しいなぁ、このうどん」
「うん、ばーちゃんもたべるかな」
「そうだ、もう少ししたらばーちゃんのお見舞いに行こうな」
赤坂は、孫にそんな話をしながら、こんなに穏やかな時間が続くなら、もう少し味わっていたいとも思ってしまうのだった。