企画を通すことなんて、日常茶飯事だった―――荒尾はそういう仕事のやり方が常で、企画を立てては通す、改善する、顧客に提案する、という繰り返しだ。それは荒尾和弘という人間にとって、とても性に合っている仕事ともいえる。彼は、自分のしたいことと、相手のしたいことを上手く融合させて、文字にしたり、説明したりすることが得意なのである。同時に、それを誰かに説明することもあまり大きな苦労ではなかった。
しかし。
今、目の前にいるのは女子大学生。パン屋の娘という、その存在だけだ。それなのに、荒尾は今まで感じたことがないくらいの緊張感を持っていた。額から、タラッと一筋汗が落ちる。珍しい、と彼自身が思うくらいだった。
荒尾は、自分の持っているパソコンを開き、千香に見せる。そこにはここ数日、ここ数時間で考えがまとまった内容が書かれていた。このペンション・リガーレを使って行われる【食に関する企画】の一部分だ。今まで考えてきた、会社の企画とはわけが違う。純子の手伝いも必要であるし、自分は何をすればいいのかもわからない。それなのに、こんな企画ばかり立てて―――と思いながらも、これを成功させたいと思う、子どものような心は、荒尾の中にしっかりとある。
純子は、荒尾の企画を聞く前に、千香が持ってきてくれた食材を調理するためにキッチンへ行ってしまった。つまり、今の荒尾には助けてくれる存在もいないのだ。自分の情熱と今まで培ってきた営業職の経験しか、荒尾を助けてくれるものはない。相手は女子大学生だからと甘くも考えられなかった。千香がどんな女性なのか、まだはっきりとわからない。つまりは、ターゲットが謎の状態で挑まねばならないのだ。
(こんな経験、今までなかったぞ……本当は、もっと競合調査して、ターゲット層も調べて……)
自分に言い聞かせながら、荒尾はパソコンを操作する。それをニコニコと楽しそうに見つめてくる千香。きっと、これから先ここで何かイベントを開催すれば、こんな風に目を輝かせて荒尾を見つめてくる子どもたちは、山のようにやってくるだろう。その、練習と思わねばならない―――
ディスプレイには、白地に大きく表示されたタイトル―――【週末ワークショップ企画案】
その下に、荒尾がこの数時間で考えた企画の数々が、スライド形式で並んでいた。丁寧な造りのスライドは、荒尾の人間性をそのままに移しているかのような、きれいなものだ。千香はそれも分かりながら、企画を見ていく。
「まずは、企画名と対象者、簡単な内容と、目的だけをまとめたんだが」
「へー、すごい!荒尾さんってもともとどんなお仕事してるんですか?」
千香に尋ねられ、そういえば仕事の紹介はしていなかったな、と荒尾は思う。自己紹介とっても、とても簡単なものばかりだ。それくらいで、相手がどんな仕事をしているかなど、分からないだろう。荒尾は一度咳ばらいをしてから、再度口を開いた。
「営業職だよ。うちの会社は取り扱っている商品やサービスが多いから、俺の場合は営業ってことで、担当している製品は毎回違う感じ」
「えーすごい!具体的に製品って何ですか?」
「そうだな、食料品からサプリメント、石鹸や日用品も。最近ではそういうのの配送サービスを、サブスク形式で提案することもあるかな」
「サブスクって流行ってますよね?友だちもいろいろ入ってたなぁ。やっぱりサブスク需要高いかぁ」
「契約終了時期をしっかり考えて提案すれば、ある程度の発注や製品生産量を調整できるからね。若い人は動画配信のサブスクは多いと思うけれど、少し年配になると物品は多いかな。富裕層は割と日用品の配送サービスをサブスクで頼むことは多いよ」
「え、そういう情報ってためになる~!」
どんな話でも、千香はとても楽しそうに聞いてくれた。同時に、彼女の適応能力の高さにも、荒尾は驚かされる。彼女がパン屋を継がずに何かをしたい―――そう思う理由が、荒尾にはなんとなくではあるが、理解できた。
「じゃあ、こういう企画を考えたり、説明したりするのも得意なんですか、荒尾さんは」
「まあ、それが仕事だな」
「え~、純子さん最強カード引いてんじゃん!」
若い女性の表現はよくわからない、と荒尾は思ったが、きっとカードゲームのいい札に例えているのだろうな、と思うことにした。流行りのことは、仕事のことでなければあまり興味がない。それも荒尾らしいところだった。
仕事の説明も終わったところで、荒尾はスライドを更に進めることにした。
【企画例①】
「おいしいを作ろう:パン耳おやつ教室」
・対象:親子連れ、近隣住民
・内容:余ったパン耳でスイーツを作る簡単教室
・目的:フードロス削減と地域交流
・開催頻度:毎週末もしくは他のイベントと合同にする
【企画例②】
「健康ごはんのヒント」ミニセミナー+試食会
・対象:シニア層
・内容:バランスのよい食事とは? 管理栄養士によるレクチャー(中野瀬純子さん協力)+軽食つき+レシピの配布
・目的:シニア世代の栄養不足を考える
・開催頻度:月1回
【企画例③】
「こども料理体験デー」
・対象:小学生とその保護者
・内容:簡単な調理体験と、食育のお話
・目的:地域の子どもたちとのつながりづくり
・開催頻度:保護者必須なので開催日時は要検討
営業職時代に慣れ親しんだExcelとPowerPointをフル活用し、構成やターゲットをしっかり記載。小さな企画でも、「どうしたら人が集まるか」「どうすれば続けられるか」を真剣に考えた。同時に千香も真剣に、荒尾の資料を見ている。
「わぁ、これ……すごくよくできてる。構成も見やすいし、ターゲット層がちゃんと明確なのがいい!」
「仕事柄、こういう資料作るのだけは慣れててさ。料理の中身は、まだまだなんだけど……」
「このパン耳おやつ教室なんて、フードロス対策になるし、親子で参加できるのがいいね。うちの実家も協力できるし!」
「そうだな。地域の飲食店に協力してもらうってのいい考えだと思うよ」
「私さ、季節の食材を使った料理教室やりたいって思ってたんです。特に、おばあちゃんたちをメインにしたやつ!昔からの知恵をいっぱい持ってるじゃないですか? たとえば、たけのこのアク抜きとか、ふきの下処理とか、ぬか漬けの話とか……今の若い人に伝わってないこと、たくさんあって!」
その話を聞くと、荒尾の頭の中に祖母のことが浮かんだ。荒尾にパンの耳を食べさせてくれた、あの祖母。確かにその世代が知っている知識を、これから先にどう伝えていくのかは至難の業だ。便利な世の中になったとはいえ、体にいいもの、安全な食べ物は、昔の知恵にこそあるだろう。そうなれば、悦子の回復もカギになるかもしれない。彼女は料理のことをよく知っているし、孫の面倒も見ているから人当たりもいい。悦子ほど適任はいないだろう。
「そういう知恵って、文章にしても伝わりにくいし、やっぱり一緒にやるのが一番だよね。いいなあ、おばあちゃんメインの料理教室……たとえば【ばあばの台所】とか、どうですか荒尾さん?」
千香がそんな話をすると、キッチンから純子が飛んで出てきた。遠くではあったが、荒尾と千香の会話を聞いていたのである。純子は料理の話も好きだが、そういう高齢者が活躍するような話も大好きなのだ。
「その名前かわいい!!」
「ですよね!!」
「ばあばの台所!!」
純子はすっかりその名称を気に入ってしまっているようだった。女子2人のアイデアはさらに膨らんでいく。荒尾はその間に入って、とにかく2人のアイデアを書き留めていくのが大変だ。
「毎回、季節の食材を選ぶってのがいい!」
「年に何回かは、元気なメンバーで食材収穫からしてみたらどうかな!?」
これから、この地域の高齢者は忙しくなるだろうな、と荒尾はひそかに思うのだった。