「お姉ちゃん、大変! 起きて!」
「んっ……、なんだよ……」
ジェノがスカディの元を訊ねる数時間前――。アミーナを起したのは焦りの表情を浮かべたカミナだった。
場所にしてスラムのアミーナとカミナが暮らしていた家であり、今はラプラスとビビまでもが狭い家の中で眠りについていた。
アミーナが寝ぼけ眼を擦りながら起き出せば、そこには同じようにと戸惑いの表情を浮かべたラプラスと、どこか気落ちしたビビがアミーナを見ていた。
「いいから、とりあえずこれを見て」
そう言いながらカミナが見せたのは、一枚の紙片。そこにはジェノの書いた書き置きが残されていた。
「なんだよ、これ……」
その書き置きを見てアミーナが怒りの表情を浮かべる。それはそうだろう。その書き置きには、ジェノはこれから感染獣について知っている上層へと向かうと書いていたのだ。
だがアミーナを怒らせたのは、その後の内容だ。
「黒岩城に残っていたら、また何か危険な目に遭うかも知れない。だから私達はお姉ちゃんのホシマチとアーカイブのゲートを使って、緑園街に戻れって書いてある」
ジェノが書き置きで残した通り、これ以上は黒岩城で暮らしていくことは危険だろう。そもそも、放置区域に残されていたゲートは壊されてしまったし、少なからずビビやアミーナは憲兵などに注意をされているに違いない。
そう考えれば、少なくても黒岩城を放れて緑園街に行くことは最善手とも思える。だが――、
「アタシ達がビビと一緒に行ったとして、ジェノはどうするつもりなんだ? ジェノだってビビがいなければ、アーカイブに行くことはできないんだろ? そもそも上層に行って、アイツは無事に帰ってこれるつもりなのかよ!」
「お姉ちゃん……」
アミーナの言う通り、上層に行ったジェノが無事に帰ってくる保証など何処にも無い。むしろ、ビビと放れたことによって唯一の脱出方法を失ったも同然だ。
どんな危険があっても、もうジェノは一人では逃げ切ることはできないだろう。
「ジェノさんは、皆さんの安全を考えたんだと思います」
しかし、気落ちした表情のビビだけは彼の気持ちを汲み取った。
「皆さんももうわかっていますよね? これ以上、この黒岩城に残ることは私たちに取っては危険でしかありません。放置区域にもどっても、またいつ感染獣に襲われるかわかりません」
「で、でも、それじゃあ……」
「……はい。ここまで続けていた再建を、一度放棄するしか無いと思います」
その言葉にショックを受けたのは、この場の全員だ。
花街で客引きをしていたアミーナは勿論、再建の一環としてラーメンの販売をしてきたカミナ、日は浅いが農業に精力的に取り組んできたラプラスだって例外では無い。
「あそこまで盛り上げてきて……、全部捨てるのか!」
「仕方ないじゃないですか。これ以上、放置区域に残れば何があるかわかりません! 私では皆さんを守ることはできないんです!」
ロストテクノロジーの管理をしてきたビビ。彼女が願うのはあくまでも人々の為になること。
世界を再建したいという自分の思いで、アミーナ達を危険にさらすことは願っていない。だからこそ、再建させて幾つかの技術だって捨てるという判断が最良だと考えられる。
「わ、私は嫌です!」
しかし感情で物事を考える人間ではそうでは無い。ラプラスは瞳に涙を溜めて訴えた。
「あんなに頑張ったのに! アミーナお姉ちゃんも、ジェノさんだって協力してくれたのに、あの農園を全て捨てる事なんて……。それにジェノさんを見捨てることだって……、私は嫌です!」
「ラプラスちゃん……」
ポロポロと涙を溢すラプラスの身体を優しく抱きしめるカミナ。そして彼女はビビに問いかけた。
「ねぇ、本当にもう他に方法は無いの? ジェノさんは緑園街に逃げるのが一番だって言っていたけど、他に方法は無いの?」
カミナの問いかけにビビが黙考する。そして、彼女は躊躇いがちに口を開いた。
「一つだけ……方法があります。ですがそれは、これまで以上に過酷な道のりになるかもしれません。それでも皆さんは私を信じてくれることができますか?」
ビビの言葉に顔を見合わせる彼女達。
そして彼女達が頷けば、その内容にアミーナやカミナは驚きの表情を浮かべる。しかし、ラプラスはその言葉に賛成を示した。
「他に方法は無いと思います。緑園街だってずっと安全だとは言えません。アミーナお姉ちゃんやカミナちゃんが辛い目に遭うかもしれない。だったら、少しくらいは我慢できます!」
「ラプラス……」
彼女の訴えに、まだ迷いの表情を浮かべていたアミーナ。だが彼女ももう腹を括るしか無かった。
「わかった……。私はビビの意見に乗る。但し、私が行くのはジェノを連れ戻してからだ。それでも良いな?」
「……はい。私もジェノさんは放っておけませんから」
アミーナの言葉に微笑みを浮かべるビビ。そしてビビはアミーナにホシマチを出すように求める。
「まずはカミナさんとラプラスさんを連れて、またアーカイブに行きますね。アミーナさんはすみませんが、上層へと向かう方法を探してください」
「……そうだな。また猟犬組の伝手を頼ることになりそうだが……」
「よろしくお願いします」
ホシマチを通してアーカイブへと消えていくビビとカミナ、ラプラスの三人。そしてボロボロの我が家を見て、アミーナは嘆息する。
(この家に帰るのも最後かもな……)
僅かな寂しさを感じながら、彼女は我が家を後にしたのだった。