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第45話 旧世界

「旧世界は昔、温暖化と呼ばれる現象が起こっていたことは知っているか?」


 ジェノがスカディからそんな話をされたのは、スカディの案内で上層のラボへと連れて行かれていた時の事だった。


「温暖化? そんな話、聞いたことも無い」

「そうか……。まぁ、それも仕方が無いだろう。旧世界についての記述は殆どが失われている。関連する書籍は失われ、今や記録媒体も残ってはいない」

「記録媒体? 何だ、それは?」


 ジェノの言葉に薄い笑みを浮かべるスカディ。


 彼女はそのまま後ろを歩くジェノに話の続きを語り始める。


「温暖化とは、この星の気温そのものが上昇することだ。その影響を受け、世界各地では異常気象が起こり、砂の平原――、砂漠化が広がっていたと話されている」

「温暖化とか砂漠とか、今の俺には関係の無い話だ。俺が知りたいのは、この世界がこうなった訳を知りたい。スカディ、アンタのしていることは俺には全く理解ができないんだ」


 平淡な口調で話を続けるスカディに対してジェノが語気を荒げる。


「どうして上層は俺のいた放置区域に感染獣を放ったんだ? どうしてアンタは感染獣から俺を守ったんだ? 守った理由を気にする必要はないってアンタは言ったが、それで納得できるなんて思ってもいないだろうな!」


 しかしスカディは、そんなジェノの変化を気にすることも無く言った。


「君はまだ何も知らない」と――。


 やがてスカディが足を止めたのは一枚の写真の前。


 豪奢な装飾の施された上層の廊下を通り、案内された寒々とした一室に、その写真は飾られていた。


「何だ……これは……?」

「これが私達の暮らしている星……、地球のかつての姿だ」


 それは美しい写真だった。


 宇宙に浮かぶ青い球体に幾つかの緑が広がっている。それが自分の住んでいる星だなどと、ジェノには理解ができていなかった。


「だが、これはもう失われた世界だ。ジェノ……、君は今、この星がどんな色をしているか知っているか?」

「白い色じゃないのか?」


 一面の雪原に覆われた世界。常冬の世界を想像すれば、地球が白く染められていることを想像するだろう。だが、現実はより残酷だった。


「これが……今の地球の姿だ」


 言いながらアミーナが彼を案内したのはもう一枚の写真。しかし、その星の姿を見てジェノは言葉を失った。


 静止した地球は既に丸い球体では無い。片側には幾つものクレーターのような穴が広がり、黒く星が染まっている。青かった星そのものの色は色褪せたセピア色に染まり、そして白い地平には濃い灰色の何かが覆っていた。


「これが地球? 今の地球なのか?」


 信じられる筈が無い。ジェノの知っている雪の城は灰色の僅かな切れ目に見ることができるが、既に星は惨憺たる有り様だった。


「これが旧世界の滅んだなれの果ての姿だ」


 あくまでも表情を変えることの無いスカディ。そして彼女は更にジェノを奥の部屋へと案内していく。


「温暖化の深刻な危機に気付いたのは、今からおよそ百年程前、人類の技術が今よりももっと進んだ時だったらしい。異常気象と海水面の上昇、その影響によって幾つもの島国が沈み始め、人類の活動領域が狭まってから、ようやく人類は温暖化への対策を始めたらしい。もっとも、その温暖化の元凶も、また人類だったのだがな」


 秘肉っぽく語るスカディ。そして彼女は吐き捨てるように言ったのだ。


「その上で人類はもっとも愚かな技術を作り出したのだ。それが、のちに灰煙と呼ばれる地球を蝕む技術だった」


 灰煙は人類にとっては無害であり、地球の温暖化を進める温室効果ガスそのものを消滅させ、かつ失われたオゾン層の間から降り注ぐ放射線を防ぐ為の役割を担うことを期待されていたらしい。


 当時の技術者の思惑通り、温室効果ガスの濃度は下がり始め、地球の温度上昇は十年足らずで解消されることになる。だが、その反作用は人類の想像を超えていたらしい。


「一度下がり始めた地球の気温の低下は止らなかった、作物が育たなくなり、ありとあらゆる資源が枯渇を始めたんだ。この世界にいつも雪が降っているのは、人類の作り出した技術が原因なんだよ。それなのに、人々はこの星の上で資源を巡って戦争を始めた。それが星を黒く染めた原因だ」


 星の形すら変えてしまった旧世界の兵器の威力を想像して、ジェノは背筋に冷たいものを感じた。


 強力な兵器の破壊の爪痕の残された地域に、おそらくはもう何も残ってはいないだろう。不毛の大地が広がるばかりで、最早再建すらも望めない。


「そして人類は自らの作り出した灰煙の反作用についてようやく理解し始めたのだ。いや、この星に住んでいるのは人類だけでは無かったとようやく気付いたんだ」


 人類にとっては無毒だった灰煙。


 しかし、地球に住んでいるのは人類だけでは無い、一部の生物にとって灰煙の効果は激大だった。


 それこそ、種としての遺伝子すら書き換える程に……。


「ジェノ、君は感染獣がどうして産まれたのかを知っているか? そして感染獣が、どうしてそのように呼ばれているのかを考えたことがあるか?

「そ、それは……、まさか灰煙の影響なのか」

「ここまで話を聞いた甲斐があったな。その通りだよ……。もっとも、人類は君が考えている以上に愚かだがな」


 言いながらスカディがその部屋の奥に置かれた扉へと向かう。彼女がコンソールを操作し、タッチパネルに触れる。


 そして扉が開いて現われた光景に、ジェノは言葉を失った。


「どうだ? 君にはこの愚かさが理解できるか?」


 スカディが案内した部屋の中には幾つもの溶液の入った人間大のカプセルが並べられている。そして、そのカプセルの中には黒く染まった生物――、感染獣が浮いていたのだった。

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