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第33話 その一線を越えられない

 悪いことだと分かっていても、誰かに縋りたかった、甘えたかった気持ちが上回って、メロの誘いを拒むことができなかった。


 彼女の太ももが俺の足を掴んで密着する。メロの舌が更に深く交わろうと唇をこじ開けているが、どうしてもその先の一線を越えることができなかった。


 最愛の女性である波留に裏切られて、身も心も切り裂かれるような痛みを知った。

 だが、だからと言って俺まで同じ行為で仕返すのは——正解なのだろうか?


「大智、もう手遅れなのよ。私達は既に一線を越えてしまったんだから、とことん一緒に落ちましょう? 私はあなたとなら、どんな地獄でも耐えてみせるわ」


 まるで中毒性のある麻薬のような甘い誘惑に、心は揺れたし、実際に家族を裏切る行為を犯してしまった。


 だが、俺は——やっぱり無理だ。


「メロ、やめてくれ。俺は……お前とこういうことはしたくない」


 彼女の身体を突き放し、移った口紅を拭いながら決別を告げた。その事実を受け入れがたかったメロは「はぁ?」と納得のいかない声を漏らした。


「何で? どうして? アンタ、まだアンタを裏切った女に未練を持ってるの? 本当につまらない男に成り下がったものね」


 うるさいな、そんなの俺の勝手だろう?

 限りなく黒に近いが、まだ波留が裏切ったとは限らないんだ。1%でも可能性が残されているのなら、俺はそれに縋りたい。


「——奥さんだって、アンタといるよりも不倫男といることを望んでいるかもしれないのに? よく裏切った人と一緒にいたいと思うものね。何がそんなにいいの?」

「お前が結婚して家庭を持ったら、少しは分かるようになるかもな。家族になるってことは、お前が思っている以上に大事なんだよ」


 だが、当の本人であるメロは「馬鹿馬鹿しい」と嘲笑しながらため息を吐いて、蔑んだ目で見下してきた。


「結婚なんて面倒なだけでしょ?相手のことが嫌になっても簡単に別れられない。したくもない世話を焼いたり、自分の稼ぎも自由に使えないとか……。私は絶対にお断り」


 そっぽを向いた彼女の横顔を見て、俺達は二度と目が合うことがないだろうなと確信を持った。


 昔は共に切磋琢磨してきた同志だったはずなのに、恋愛面に関してはこんなにも考え方が違っていたとは思いもよらなかった。


 しかし、俺に彼女を責める権利はない。

 だと分かっていたにも関わらず、弱味を見せて油断してしまったのは俺なのだ。あわよくばと下心がなかったかと聞かれたら、否定もできず黙り込んでいただろう。


「——で、どうするの? 奥さんに問い詰めるの? それとも見て見ぬふりをして今までとおりにして過ごすの?」


 同じ穴のムジナになって互いに裏切るのは止めた。


 まず俺は……真実を知りたい。全てを知った上で彼女が何を望むのかを聞いて確認したい。


「本当にアンタってバカね。素直に白状するわけがないでしょ? そもそも今までずっと大智のことを欺いて騙してきた女狐なのよ? どうせまた大智のことを誑かすに決まってるでしょ?」


 確かに、メロの言い分も最もだと俺も思う。


 それでもな……波留がそれを選ぶのなら、一回くらいは許してやってもいいんじゃないかなって思っているんだ。


「馬鹿よ、本当の大馬鹿者だわ。ムカつく……本当にその女、ぶん殴ってやりたいくらいに腹が立つ」


 おいおい、何でお前が泣くんだよ、メロ。

 泣きたいのは俺の方だって。


 大体お前は、俺のことなんて大して好きでもないだろう?


 今まで散々俺のことを貶してきたくせに、今更未練たらしい女なんて演じるなよ。


「ふざけないで、もう……! 私はアンタにも腹が立っているんだからね? このクソ野郎! 意気地なし!」


 散々な罵倒を残して、メロは社長室を出て行った。乱れた服装とグシャグシャに泣き崩れた顔を見て、同じフロアにいた社員達が不審な視線を俺に向けてくる。


(あー……、俺もメロも終わりだな)


 どっちにしろ、波留の件が悪い方向に転んでしまったら、生きる希望も何も持てなくなってしまうだろうが。


 だが、これで覚悟は決まった。

 俺は波留と話す為に家に戻ると決めた。全てを白状した上で、全部を受け止めようと歯を食いしばった。


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