翼とデートの約束をした週末が早速やって来てしまった。こんなに平日の一日一日が風のように飛び去って行く一週間が、就職してから未だかつて一度でもあっただろうか?
昨日の仕事終わり、花金に沸く若手工員たちを見守る宗馬の目があまりにも虚ろだったため、見かねた達也が心配して帰り際に話かけてきた。
「宗馬、大丈夫? もしかして緊張してるの?」
「え?」
「明日、例のあの人とデートなんでしょ」
それは闇の魔法使いだ。
「……まあそうなんだけど……」
「宗馬がそんなにデート前に緊張するなんて珍しいね」
「うん、ちょっと人種が違うっていうか、あんまり共通の趣味が無い人っていうか」
「そうなのか~。まあでも卜部さんが見つけてくれた人なら、絶対宗馬と相性ぴったりの人なんだよ」
(こいつ大丈夫か? 心配なのを通り越してちょっと怖くなってきた……)
今の宗馬の話を聞いたにも関わらず、まるで懐疑という言葉を知らないかのような澄んだ瞳で卜部への信頼を口にする。完全に卜部教の信者だ。
(まあそれだけ自分の縁が良かったってことなんだろうけど……)
悶々と昨日の達也との会話を思い出しながら、宗馬は待ち合わせ場所の駅前の風景をぐるりと見回していた。
(前回のあれはノーカウントだとして、記念すべき第一回目のデートだ。さあ、奴ならどこを選ぶだろうか?)
ここは最近区画整理で行政の手が入り、リニューアルされて綺麗になった駅の前だ。大型ショッピングモールと連結しており、観光地が近くて外国人観光客も多い。
(可能性は無限大だな。さながらデートスポットの宝箱と言ったところか。しかも電車に乗ればさらに選択肢は広がる)
翼のことはあまりよく知らなかったが、どこから見ても間違いなくモテる男だ。自分から誘っておいてノープランなんてことはまずあり得ないだろう。
(どうする? 俺たちの趣味は壊滅的に合わない。だけどあれだけ卜部のやつに支払ったんだから、翼は意地でも俺を運命の相手にしたいだろう。正直俺だってできればそうであって欲しい。翼に比べたら少ないかもしれないけど、四十万が水の泡ってのは思い出しただけで吐きそうだし)
とにかくまずは今日一日を無事に乗り切ることを考えるべきだ。
(それにデートするのにつまらなかったなんて思われたら癪だ。翼のプランを確認して、ヤバそうな行き先だったらさり気なく軌道修正しよう。ちょっと小っ恥ずかしいけど、水族館とかなら無難じゃないか?)
「宗馬!」
水族館へ向かう電車の乗り継ぎを確認しようとスマホを取り出したちょうどその時、小走りにこちらに向かって駆けて来る長身のイケメンが目に入った。
「ごめん! 結構待った?」
「いや、ちょっと用事があって早めに来ただけだから」
嘘ではなかった。翼より先に来て周辺施設の下見を行っておく必要があったからだ。
「誘っておいて後から到着するなんて、本当に申し訳ない」
「いや、俺一時間前に着いたから」
「一時間!? そんなに待ってたの? なんで?」
そこで翼ははっと何かに気がついたかのように両手を口に当てた。
「まさかそんなに楽しみにしてくれてたなんて!」
(戦闘の事前準備してただけだっつうの!)
もちろんそんな余計なことを言う必要はこれっぽっちもないため、宗馬は黙って引き攣った愛想笑いを浮かべるだけに止めた。
「実はさ、今日はどうしても付き合って欲しい場所があって」
「付き合って欲しい場所?」
「そう、映画館!」
映画館! これは宗馬の最も恐れていた事態だ。
(ダメだ! 映画だけは絶対に行ってはいけない!)
同じ内容の物語を一緒に見ることによって共通の話題ができ、薄暗い館内でいつもと違う雰囲気を味わいながら隣に座ることで自然と距離も近くなり、気候や天候に左右される心配も無い。そんなカップル御用達の映画館だったが、宗馬と翼にとっては危険極まりないただの地雷原でしかなかった。
(こいつの部屋のDVDラインナップを見る限り、俺たちが観たい映画が被ることはまずあり得ない。でも片方が興味の無い映画を我慢して選択すれば、この後の会話が悲惨なものになりかねない。間違いなく映画館は悪手だ。すぐに軌道修正しないと!)
宗馬が映画館ではなく水族館を提案しようと口を開きかけたその時、翼が財布からカードのような物を取り出して嬉しそうに宗馬に掲げて見せた。
「これ、随分前に貰ったやつですっかり忘れ去ってたんだけど、宗馬とどこ行こうか考えてた時に急に思い出してさ。なんと期限今日までだったんだよ! すごい奇跡じゃない? これもう神様が映画に行けって言ってるようなものだと思ってさ。これ使って一緒に観よう!」
なんという神の悪戯か! 宗馬は信じられないという目つきで、翼が掲げている映画ギフトカードを呆然と眺めていた。
(この状況では流石に断れない!)
しかも翼は卜部のせいで、現在かなり懐が寂しい状況のはずである。そんな翼に、タダで入れる映画館を断って水族館を提案できるほど、宗馬はサイコパスではなかった。
(……いや、むしろお前たちは一緒にいてはいけないという神の啓示なのかもしれない)
もはや半分諦めの境地に入った宗馬は、心ここにあらずといった様子で翼に促されるがまま、ショッピングモールへと続くエスカレーターにすーっと上まで運ばれて行った。
モールの最上階にある映画館のフロアは甘いキャラメルポップコーンの匂いに満ちており、こんな状況でも久々に訪れると何となくワクワクした気分になる。布張りの床を歩きながらキョロキョロと辺りを見回していると、翼が壁に並んでいるポスターの一つを指差した。
「ほらあれ! 宗馬も知ってるでしょ? 今話題でしょっちゅうCMやってるやつ」
(どっちだ? アメリカ兵か? それともゾンビか?)
それを見たら終わり、とおどろおどろしい文字で書かれたポスターが目に入った瞬間、宗馬は恐怖のあまり口からすーっと魂が抜けていくような心地がした。
(これ俺が一番無理な感じのホラーだわ……)
「ハリウッドですごい人気で、ようやく日本にも上陸したホラー映画なんだけど……宗馬?」
「あっ、えっ、うん、なに?」
「あ、もしかしてあんまり興味ない?」
興味無いくらいなら全然良かった。これはそういう次元じゃない。ハッキリ言おう。死んでも観たくない! ていうか観たら死ぬ! タイトルでそう言ってるじゃん!
「あ、じゃあこっちのはどう? 最近実写化したラブコメらしくて、知り合いに教えてもらったんだけど……」
「いやいや! 別に興味なくないし? そのハリウッドのやつ人気なんだろ? 行こうぜそっち!」
思わず変なテンションの上擦った声が出てしまった。
(お前絶対ラブコメなんか見ないだろ! 俺は知ってるんだからな、お前ん家のDVDラインナップ!)
相手の観たくもない映画を奢ってもらって一緒に観られるほど、宗馬の神経は図太くはなかった。
「どの映画かお決まりですか?」
カウンターで受付スタッフにそう聞かれた時、宗馬は震える指で、黒い背景に赤い血のような文字で書かれたタイトルを指差した。
「こ、これで……」
「え……お客様、大丈夫ですか?」
「ナニガデスカ?」
「ちょっと宗馬!」
不意に温かくて大きな翼の手が、宗馬の手首を掴んでカウンターから引き離した。