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第11話 宗馬、工場長と食事に行く

 びすとろ下町店はこぢんまりとしてどちらかというと狭い店だったが、店主は常連の太客である高野とその部下たちのために、奥のテーブル席を繋げて五人分の席を用意してくれた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「あ、俺ハンバーグ定食下さい」

「じゃあ俺はオムライスで」

「俺はナポ……」

「俺と慎二はスペシャルエビフライ定食で」

「おい!」

「かしこまりました。高野さんはいつものビーフシチューですね」

「は~い、よろしく」


 注文を取り終えた店主の奥さんが奥に下がるのを見計らって、右京が申し訳なさそうに高野を見た。


「工場長、いつもすみません」

「いいって。食った分ちゃんと働けよ~」

「そうだぞ慎二、俺たちは体で返せばいいんだ」


 ふざけたような左野の言葉に、右京の頬がピクッと引き攣った。


「だからって一番高いメニュー堂々と頼んでんじゃねえよ」

「五百円くらい工場長にとっては端金だって。それなのにお前が遠慮していっつもナポリタンばっかり食ってるから、代わりに俺が頼んでやったんだろ?」

「いや誰もそんな気遣い求めてないし」

「一人じゃ頼みにくいと思ってわざわざ俺も同じの頼んでやったのに、その言い方はないんじゃね? 俺は本当はナポリタンが食べたかったのに……」

「だからいらねぇっつってんだろ! なに工場長の支払い額無意味に増やしとるん?」


 いつものようにギャーギャー喚いている若手二人を見ながら、高野は宗馬と達也に話しかけた。


「こいつら興奮すると地元の方言が出るよな」

「宗馬もよく出てるんですよ」

「えっ、マジで?」

「あ、確かに。言われてみれば出てる出てる」


 高野はそう言って笑いながらグラスの水を一口飲んだ。


「しっかし最近カメムシ多いなぁ」

「地元じゃこんなの日常茶飯事でしたよ」

「そうなのか? その割にはあいつらビビり過ぎじゃなかったか?」

「地元じゃいるの前提で常に気を付けてましたからね。こっちでは寝込みを襲われたようなもんですよ」

「まあ普通に服の中に入ってたら嫌だわな」


 ジュージューといい匂いのするハンバーグが目の前に運ばれて来て、宗馬の喉がゴクリと音を立てて鳴った。


「下地、こういう甘い感じの好きだもんな。光莉と一緒だ」

「お子様だって言いたいんですか?」

「いやいや、俺も同じだから。このビーフシチューも絶妙な旨味と甘味のハーモニーを奏でて……」

「はいはい分かりました」


 フォークでそっと端を切り取り、しっかりとソースに絡めてから口に運ぶと、口の中一杯に幸せな味と香りがふわりと広がっていく。


「うんまっ!」

「お前本当に旨そうに食べるよな。やっぱり光莉と同じだ」


 光莉ちゃんは近くに住む高野の娘の子供で、高野の孫に当たる。


「工場長の奥さんがいらっしゃるなんて珍しいですね」

「元奥さんな。日曜はいつもお稽古かなんかで忙しいらしいんだが、たまたま先生が体調不良で暇になったんだとさ」


 高野の娘夫婦は日曜も仕事で忙しいことがあり、光莉は日曜日は祖父と二人で過ごすことが多かった。同じ社員寮に住んでいるため、宗馬や若手の二人、それに以前宗馬の部屋に一緒に住んでいた達也も光莉とは顔馴染みであった。


「また光莉が下地と一緒にアニメ観たいって言ってたぞ」

「全然いいですよ」

「あ、そういえば前にお前が言ってたラブコメ観たぞ。面白かったわ」

「本当ですか? 配信やってました?」

「いや、DVD全巻買ったわ」

「マジすか」


 高野の趣味なのか、孫に合わせてあるのか、高野の部屋にはホラーや残酷な描写のある映画やドラマのDVDは一切置いていない。アニメでも実写でも、あるのは子供でも安心して観られる、必ず正義が勝つ後味の悪くない王道の作品ばかりだ。


(いいなぁ……)


 高野という人間を一言で表すならば、安心感、という言葉がピッタリなのではないだろうか。仕事に関しては厳しい部分もあるが、基本的には飄々とした性格で、面倒見が良く、年の功なのか立ち居振る舞いにも年長者の余裕を感じられる。


(何が安心って、食べ物とか観たい映画とか、趣味がほとんど合うから気を遣う必要が全然ないんだよな。まあもちろん目上の人に対する気遣いは必要だけど)


 相性最強の相手と言われて、宗馬が真っ先に思いついたのが高野工場長だった。趣味が合って一緒にいて安心できて、そしてほんのりと淡い想いも抱いている……


「はい、チーズ!」


 反射的に顔を上げた瞬間、左野がスマホのカメラのシャッターボタンをパシャリと押した。腕をいっぱいに伸ばして、自撮りモードで何とかその場にいる全員をカメラに収めようと苦心している。


「このメンバーで写真なんか撮ってどうするんだ?」


 呆れたようにそう言う右京に構わず、左野は今撮ったばかりの写真を眉間に皺を寄せながら確認している。


「やっぱ自撮りって難しいっすね。俺が目しか写ってない」

「俺が撮ってやろうか?」

「山梨さん、あざっす! でもこれで大丈夫です」


 左野は机の上にスマホをポンと置くと、スペシャルエビフライ定食にタルタルソースをかけ始めた。ポンッと通知が届いて明るくなった左野のスマホの画面に何気なく目をやった宗馬は、そこに表示されていた名前を見て心臓が口から飛び出しそうになった。


『天野翼 : 楽しそうですね! 俺も混ぜてもらってもいいですか?』


「えっ? おまっ、左野、今の写真……」

「はい?」


 左野は訝しげな表情で宗馬を見た後、明るくなった画面と通知に気がついてさっとスマホを取り上げた。


「また今度で……っと」


 バッサリ断ったな。


「……いや、てかなんでつば……天野さんに今の写真わざわざ送ったん?」

「ああ、なんか会社の広報でこういう仲良い感じの写真使いたいらしくて、前から天野さんに頼まれてたんですよ」

「それは総務の仕事じゃないのか?」

「総務の人間コミュ障が多いんで、天野さんが音頭取って写真は集めてあげてるらしいすよ」


 いや、仕事しろよ総務。


「左野、お前天野と仲良いのか?」

「いや、別にそこまで仲良くはありませんけど」

「仲良くないなら連絡先あんまり営業に教えない方がいいぞ~。あいつら納期確認でめっちゃかけてくるからな」

「マジすか! も~早く言って下さいよぉ」


(そっか、いや、別に左野が翼と連絡取ってても何もおかしくなんかないよな……)


 まだ動悸のおさまらない胸を押さえながら、宗馬は無関心を装いつつ左野に小さく探りを入れた。


「……祐樹、さっきの写真どんなのか見せてよ」

「いいっすよ」


 左野が苦心して撮った自撮りの集合写真は、撮影した本人は半分しか顔が写っていないものの、他のメンバーは和気あいあいと楽しそうに四角いフレームの中に収まっている。


(うん、別に誰かと肩を組んでるわけでもなし、仕事仲間の自然なワンショットって感じだ。何の問題もなさそうだな)


 別に付き合っているわけではなかったが、二人の関係上あまり他の男性と馴れ馴れしくしている場面を見られるのは良くない気がした。


(別に俺のことをそこまで好きじゃなくても、七十万がって考えたら嫌な気分になるだろうし……)


 しかしこの時の宗馬は気が付いていなかった。この時の写真が原因で、まさか翼があのような行動に出ることになろうとは。

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