目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第14話 翼、回想する

 その写真が目に入った瞬間、翼の胸にチリッと焦げたような嫌な感情が走った。


(あ、良くないな、こういうのって)


 最近仕事が忙しくてきっと心に余裕が無くなっているのだろう。翼はスマホの画面をひっくり返して枕元に置くと、自分も顔を枕に押し付けて目をつぶった。


 ピロンッ!


(……やれやれ)


 休みの日ぐらいデジタルデトックスを行うべきだろうか。しかし気になって逆にストレスを感じるくらいなら、潔く確認した方がいい。便利な情報社会が生み出した残酷な弊害である。


『次の土曜は現場メンバーでフットサル行くんで、また写真送りますね!』


(えっ、来週も?)


 仲良いんだな、現場メンバー。まあ同じ社員寮に住んでる人間も多いし。

 翼はベッドの上に起き上がると、もう一度先程左野から送られて来た写真を開いて拡大した。目から上しか写っていない左野はいいとして、手前に右京と山梨が、奥に宗馬が工場長と並んで写っている。

 男の勘、とでも言うべきなんだろうか。翼は宗馬が高野と並んでいるところを見るのがあまり好きではなかった。以前のホウキ事件の時もそうだ。


『工場長は分かってくれてるので大丈夫です』


 何だそれ。随分と信頼を置いているみたいだが、高野だっていつも宗馬のことを庇って守ってくれるとは限らないではないか。そもそも彼は同性愛者ではない。自分と同じバイだという可能性もなくは無いが……


(大人の男性に対する憧れみたいなのもあるのかな。頼りがいがある、みたいな)


 結婚しているわけでも、付き合っているわけでもない自分たちの関係に適切な名前は無い。あえて言うなら『まずは友達から』と言ったところか。

 宗馬が同性愛者だと知った時は本当に驚いた。まさか同じ会社内に、自分を恋愛対象として見てくれる男性がいただなんて!


(へえぇ、そうか、ふぅん。この人がそうだったなんて。もしもっと早くゲイだと知ってたら、先にこっちから声かけてたのに)


 相手の性癖が分かるスカウターが付いていればいいのにと思う。自分がいいな、と思った相手でも、百パーセント無理な相手に声をかけるのには相当な勇気がいる。

 宗馬は今まで付き合ってきた人間の誰とも違っていた。職場での様子はもちろん知っていたが、プライベートに関して、自分たちは珍しいくらいに趣味が被らないことが判明した。正直ここまでの悪条件の相手は初めてだ。


(それなのにこれが相性最強の相手なんだろ?)


 きっと、今まで父親によって用意されてきた完璧な条件の女性たちとは違う何かが、この下地宗馬という男性にはあるはずだ。


(実際体の相性は最高だったしなぁ)


 普段は勤勉に工場で働いている姿しか知らない彼が自分の下で乱れていた姿を思い出すたびに、ぞわりと下半身が熱く痺れるのを感じる。


(でも宗馬は違う。あの情熱的な夜の記憶が無いならなおさら……)


 彼は自分たちの趣味が合わないことをひどく気にしていた。


(そりゃ、普通は付き合うなら趣味の合う人間の方が良いに決まってるよな……)


 きっと自分は特殊な人間なのだ。普通の人とは違って、どこかネジが外れている。


(運命の相手だからって、一方的に俺の価値観を押し付けてちゃダメだよな)


 まずは自分という人間のことをよく知ってもらうところから始めなければ。できれば相手に好きになってもらえるような、自分のアピールポイントを強調して。

 それで現在の関係に落ち着いているのだが、いくら付き合っていなくて相手を束縛する権利など無いとはいえ、宗馬にいい雰囲気の相手がいるのは面白くなかった。

 翼は現場メンバーのレストランでの写真をシャッとスワイプして閉じると、左野のすぐ下に表示されていた瀬戸のIDをタップした。


「やっぱり、ゴルフは、行くの辞める、っと」


 ピロンッとすぐに瀬戸からメッセージが来たが、それは未読スルーして翼はもう一度左野のIDをタップしてメッセージを書き込んだ。


「フットサル、俺も行っていい?」



「ちょっと翼! 明日フットサル行くって聞いたんだけど、それマジなの?」


 花の金曜日、自分のデスクでパソコンと睨めっこしながら必死に見積もりを作成している翼の横で、帰り支度を済ませた瀬戸が不満そうに唇を尖らせながら話しかけてきた。


「うん」

「営業のゴルフ断ったくせに、現場の連中とフットサルってどういうこと?」

「ちょっと今話しかけんな」


 瀬戸が話しかけてきたせいで、さっき計算した材料の金額が分からなくなってしまった。翼は軽く舌打ちすると、もう一度電卓を手元に引き寄せてカタカタと数字を打ち込み始めた。


「……お前最近疲れてるんじゃない?」

「別に」

「別に無理して新規案件狙わなくても。ルート営業で十分間に合ってるじゃん」

「お前はそうしてればいいだろ」


 素っ気ない翼の返事に瀬戸は小さくため息をつくと、通勤カバンを床に置いて翼の隣の席に座り直した。


「女子たちがガッカリしてたから、フットサルのことみんなに教えといたよ」

「うん……え?」


 ようやく翼が自分の方を見たため、瀬戸は翼の机の上にあったボールペンを持ち上げて満足げな笑みを浮かべた。


「他の営業の間でも久々に走り回りたいねって話になったから、明日は俺たちもフットサルに参加することになった。たまには現場の人間とも交流したいしね」


(マジか……)


 現場との交流は業務を円滑に遂行する上で会社にとっても良いことで、反対する理由などなかった。そもそも反対したところで、彼らを阻止する権限など翼には無かったのだが。


(休日にまで浜辺さんや瀬戸に会うのか。ハッキリ言ってだるいな)


「ていうか俺のペンに触んな」

「いいじゃんペンくらい。てか女子たちも来るんだから、その無精髭ちゃんと剃ってこいよ」


 瀬戸はそう言ってボールペンを翼の机に戻すと、再びカバンを持ち上げて「それじゃ、お疲れ様」とオフィスを出て行った。


「……天野、まだ帰らないの?」

「海田さんこそ。今日は花金ですよ」

「俺は仕事がまだ残ってるから。あ、明日は俺も参加するから」


 へらりと笑うヒョロリと座高の高い先輩と話していると、瀬戸と対峙していた時に張り詰めていた心が拍子抜けしたかのようにふっと緩んだ。


「その案件最近頑張ってるよな。取れるといいね」

「ありがとうございます」


 同じ営業でも人によってその特徴は様々だ。浜辺や瀬戸のようにギラギラしていて抜け目のないタイプもいれば、この海田真守のようにのんびりとしたタイプもいる。


(でも営業に限らず、社会っていうのは声の大きい人が有利な場合が多い。静かに仕事をしている海田さんは、大声でアピールしまくる浜辺さんよりずっと多くの仕事をしているにも関わらず、周りの人間は浜辺さんを高く評価しがちだ)


 瀬戸も人当たりがよく、いかにもできる営業を気取っているが、実は派手なパフォーマンスが多いだけで裏では結構サボっている。


(本当、人を表面だけで判断しちゃダメなんだよ)


 そう心の中で自分を諭しつつも、翼はつい無意識に先程瀬戸に指摘された髭をパソコンのスクリーン画面に映して確かめていた。


(これ、ちょっと大人な男性に見えないかな?)

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?