翼と昼食の約束をした週末がやって来た。
(大丈夫、今までの失敗と経験を生かして、今回は完璧なランチプランを練ったんだ。映画デートの時と同じ轍は踏まない。今日こそは絶対に二人の納得のいくデートを遂行してみせる!)
強い闘志と決意を秘めた瞳をギラつかせて駅前で待っていると、約束時間の十五分前に翼の姿が改札の向こうに現れた。
「お待たせ! ごめん、待った? 今日は早めに来たつもりだったのに」
「十五分前なんだから十分だろ?」
「宗馬はいつも早いね。俺ももっと早く来るべきかな?」
「いや、それはやめて」
(万が一目的の店が潰れたり、臨時休業なんかしていないか、直接この目で確認しておかないと心配だったから早く来たんだ。翼に早く来られたら、俺がさらに早く来ないといけなくなるだろ?)
「前の映画の時奢ってもらったから、今日は俺が出すから」
「え、いいよそんな。俺から誘ったのに」
「いや、新規で契約取れたお祝いも兼ねたいから」
「本当に?」
新規契約祝いをしたいと言われて、翼は少しばかり恥ずかしそうに下を向いた。
「そんな大層なことでもないんだけど……」
「大層なことだろ。ゼロを一にしたんだぞ」
「そうかな?」
「実はもう店も決めてあるんだ」
「本当に? 宗馬の食べたいお店でいいから……」
はにかみながらボソボソと何か言っている翼の背を押すように、宗馬は目的のお店に向かって歩き始めた。
「……お前、辛い物好きなんだよな?」
「えっ? あ、まあそうだけど、でも甘い物も好きだよ」
(嘘じゃないかもしれないけど、より辛い物の方が好きなんだろうな)
「辛い物って好きな人はマジで好きだけど、食べられない人には刺激が強すぎて絶対無理だからね。その辺俺の舌ってちょっとぶっ飛んでる気がする」
「正直に言うと俺は辛い物は苦手だ。全く無理ってわけじゃないけど、お前の言うぶっ飛んでる感じの奴らって、常識的な辛さじゃ物足りないんだろ?」
「う~ん、そうなるのかな……」
(フフフ、そうだろうと思って俺がとっておきの店を見つけておいたのさ)
◇
時はランチデートの前日、金曜日の夕方にまで遡る。
「達也ぁ!」
仕事を終え、作業着から私服に着替えて、さあ帰ろうと更衣室の扉に手をかけようとした達也の背後から逞しい肩をガシッと掴んで、宗馬は悲痛な声で元同室の同僚名を呼んだ。
「えっ、宗馬、どうしたの?」
「どうもこうも、ちょっと助けてくれ!」
「わ、分かったよ。大丈夫だから、お前の部屋行く?」
一週間の仕事の疲れが溜まっているにも関わらず、達也は快く宗馬の部屋まで足を運んでくれた。
「……それで、一体何があったの? また例の……」
「彼のことはTと呼ぼう」
「Tさん? それって宗馬の運命の人のイニシャルかなんか?」
「ま、まあそんなとこ」
「ふうん」
達也は一瞬視線を宙にやった後、突然ぶっと一人で吹き出した。
「え、何? なんか面白かった?」
「いや、俺の人のイニシャルだとちょっと面白いことになって」
「なんだそれ。気になるんだけど」
「あ、でも苗字だと逆に知的な感じになった」
知的な感じのイニシャル?
「ますます気になるんだけど」
「いやごめん、脱線したわ。俺のことはいいから、宗馬の話聞くよ。そのTさんと一体何があったの?」
達也の思わせぶりな発言は非常に気になったが、わざわざ仕事終わりに自分の部屋に寄ってもらっているのを長く拘束するのは気が引けたため、とりあえず本題に移ることにした。
「……明日そのTと昼食を食べに行くことになったんだけど、あいつ辛い物が好きみたいでさ」
「あぁ~、宗馬辛いのダメだもんね。でも別に辛い物置いてる店だって辛くないメニューも出してたりするんだから、何とでもなるんじゃないの?」
「いや、あれはそんな生優しい辛い物好きじゃない。辛けりゃいいって感じじゃなくて、本格的なそれこそ専門店の味を求めるタイプだ」
「あ~、ガチの人ね」
「それでそういう連中が満足できそうな店をずっと調べてたんだけど、専門店になると激辛メニューに命懸けてそうな店ばっかりで、そういう店は俺みたいな辛い物が苦手な人間に譲歩してくれないんだ」
「まぁそういう店を訪れる人って、普通は辛さを求めて来るわけだしね」
達也は勿体ぶった様子で腕組みをすると、重々しく頷いて見せた。
「まあでもTさんは辛い物しか食べられないってわけじゃないんだから、宗馬に合わせてもらうのが一番いい方法だと思うけど」
「でもこれからもずっとそうなら、あいつは一生俺と食事に出る時は我慢させられることになるぞ」
「まぁ、そうかもしれないけど」
「それに今回の食事はちょっと、Tのお祝いって意味合いもあってさ」
「えっ、なになに誕生日とか?」
「いや、そうじゃなくて。なんか仕事でいいことがあったらしくて……」
新規契約のことを言ったら、相手が翼だと勘づかれるかもしれない。イニシャルまで公表してしまったし。
「なるほどね~。確かにそれなら相手の好物のお店に連れて行ってあげたいよね」
達也は腕組みをしたまま眉間に皺を寄せて少し考え込んでいたが、不意に何かを思いついたかのようにパチンと両手のひらを合わせた。
「宗馬! あれはどうかな?」
「あれ?」
「ほら、辛い物好きに定評があるけど、辛い物が苦手な人でも美味しく食べられるあの料理! 宗馬たちの地元で有名だって、確か前に右京に聞いたことがあるんだ」
(え、うちの地元にそんな便利なご当地メニューあったっけ?)
達也はポケットからスマホを取り出して検索すると、すぐに目的の店を見つけたらしく、興奮した様子でお店のホームページ画面を宗馬にかざして見せた。
「え、これって……」
「ほら、ここなら今の宗馬の要望にピッタリなんじゃない?」
「う~ん、確かに言われてみればそうだけど、でもこれってお祝いって感じじゃない気がする。お店の予約もできないし……」
「あんまり予約して行くようなお店じゃないからね。でもこういう一品に懸けてるようなお店のメニューって美味しいし、いいんじゃないかな? 相手女の子じゃないんだから、こういうメニューの方がむしろ喜ばれたりするんじゃない?」
達也の意見はもっともであった。実際宗馬もこの料理が好きで、学生の頃は地元で有名な店に何度か足を運んだこともあるくらいだった。
「……そうだな、俺も久々に食べたいし」
「いい感じに二人の希望にマッチした店があって良かった。俺グッジョブじゃん!」
「本当にそれ。遅い時間にありがとな」
達也はまるで自分のことのように嬉しそうに笑うと、「じゃあ明日頑張って」と最後に一言激励を送ってから、ようやく花金の家路に就いたのだった。
(ようし、待ってろよ翼。必ずやお前のその、俺のとは天と地ほどもかけ離れている舌を満足させられる店に連れて行ってやるからな。その味に満足した暁には、俺とお前は対等だってことを思い知らせてやる!)
なんだか目的が迷走してきている気もするが……まあいいとするか。