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第20話 宗馬、サボりを発見する

 宗馬たちが深刻な表情で工場長を取り囲んでいると、左野がふっと気がついて遠くに向かって手を振った。宗馬が顔を上げると、鶯色の作業着にヘルメット姿の翼がこちらに向かって歩いて来るところだった。


(げっ!)


 先ほどのキスの話の当事者が現れたため、宗馬は気恥ずかしさと居心地の悪さに思わず下を向いたが、翼はそんな宗馬の様子には気が付かずに、笑顔で工場長の前に立ち止まった。


「高野さん、お疲れ様です」

「おう、なんか上で揉めてるみたいだな」

「そうなんですよ。ちょっと生産計画で確認したいことがあるんですけど」


 翼の目的を理解して、高野工場長は小さくため息をついた。


「悪いが現状ではこれ以上詰め込むのは難しいんだ。お前の気持ちは分かるが、浜辺からの特急品依頼で既にラインが一杯になってる」

「まあ、そうですよね……」

「俺たちは営業じゃないから余計なことは言えないけどさ、あいつの特急って本当に特急なのか? もし本当にそうなら、あいつ特急品ばっかり取ってきてることになるぞ。現場からしてもかなり迷惑なんだが」

「高野さんなら分かると思いますが、俺みたいな若輩が営業部の大先輩に意見できると思います?」

「そうだよなぁ。おかしいって分かってても、波風立てないように清濁合わせ飲んでやり過ごすのがうちの会社で生き残るコツだもんな。まあまだ材料も来てないし、決定ってわけじゃないから。正式なスケジュールが立ったらまた連絡するわ」

「そうですね。ありがとうございます。お時間取らせました」


 翼はいつも通りの完璧爽やかな笑顔でペコリと頭を下げると、くるりと踵を返して元来た道を戻って行った。


(あ……)


「あ! ちょっと天野さん、指令書忘れてますよ!」


 左野が大声を張り上げたが、うるさい機械音にかき消されて翼のいる位置にまでは届かなかったようだ。彼の後を追いかけようと一歩踏み出しかけた左野の手から、宗馬はひょいっと翼が忘れて行った指令書を取り上げた。


「俺が渡してくるよ」

「えっ、いいんですか?」

「ああ、俺ちょっとあいつに聞きたいことあるから」


 走って翼の後を追いかけた宗馬は、階段の中程辺りで彼に追いつくことができた。


「翼! これ忘れてるぞ」


 呼び止められてはっと後ろを振り返った翼は、宗馬の姿を認めて先ほどと同じように完璧な笑顔を作った。


「ああ、ごめん。すっかり忘れてたよ。わざわざ持って来てくれてありがとう」


 翼は手を伸ばして指令書を受け取ろうとしたが、宗馬が手を離さずに綱引き状態になったため、軽く眉をひそめて宗馬を見た。


「宗馬?」

「これ、こないだ言ってた新規で取れた案件の商品だろ? 納期ヤバそうなのか?」


 宗馬の言葉に翼は少し黙ってから、ようやく小さく頷いた。


「うん、予定通りに作れないとなると、納期通りの納入は難しいかな」

「ギリギリの納期出してくる相手なのか?」

「分からない。今回が取引するの初めてだから。高野さんから連絡が入り次第、すぐに動けるように謝罪文を考えておかないと」


 宗馬は話している翼の顔をじっと眺めていた。いつも通りの完璧な笑顔に見えたが、心なしかどことなく頼りなさげに笑顔が揺らいでいるように思えた。


(俺は営業のことはよく分からないけど、一旦取り決めた納期の変更をお願いするのってすごくストレスなんじゃないか? ていうかそもそも聞いてもらえるものなのか?)


 信頼は得るのには時間がかかり、失うのは一瞬だ。


(せっかくゼロから一にできたこと、喜んでたのにな……)


 宗馬がやるせない気持ちでカン、カン、と階段を下りて工場に戻ろうとした時、チラッと鶯色の作業着が視界の端に映った。


(……ん?)


 なんとなく気になって作業着の見えた工場裏に回ってみると、事務所から死角になっている物置の陰に座って、キラキラ営業の瀬戸歩夢がスマホを一心不乱にいじっていた。


(これは……)


 あの真剣な眼差しと尋常ではない速さで画面を走る指の動き。間違いない、あれはスマホゲームに興じている時の人間の姿だ。


(工場長の言う通りだ。この人こうやってしょっちゅう上手にサボってるんじゃないか?)


 翼が真剣に悩んでいるこんな時に、かたやもう一人の同期の営業はこっそり隠れてスマホゲームに興じている。浜辺の横暴な理不尽さにも辟易するが、こいつの舐め腐った仕事に対する態度には、浜辺に対するものとはまた違った種類の怒りが湧いてきた。思わずポケットから取り出したスマホでカシャッと証拠を押さえると、それに気がついた瀬戸が慌てた表情で振り返った。


「ちょっと下地さん! 急にどうしちゃったんですか?」

「いや、何となくムカついたから」


 別に写真をSNSに上げて炎上させようとかそんなつもりは一切無かったのだが、宗馬が仕事に戻ろうと瀬戸に背を向けた瞬間、後ろからガッと手首を掴まれた。


「いやいや、いつもそんな感じじゃないじゃん。何かあったなら言ってよ。俺協力できるかもしれないよ? やっぱり納期キツくてイライラしてるんじゃない?」


(こいつ……!)


「ああ、そうですよ! 今日入るはずの材料が遅れてて、作業がずれ込んだせいで納期ヤバそうな製品がいくつか出てきたんです」

「なぁんだそんな事か。だったら浜辺さんの案件選別したら余裕でると思うよ」

「そんなこと言われても、俺たちは取引先とのやり取りは分からないんで、営業に言われた通りに工場長が作った生産計画通りにしか作業できないんですよ」

「じゃあ俺がちょちょっと言って生産計画を修正してあげるよ」


 宗馬は不審げな表情で瀬戸を見た。


「瀬戸さんにそんな権限があるんですか?」

「俺にそんな権限はないけど、浜辺さんにならあるでしょ? 俺が上手いこと言って浜辺さんの案件ずらしてもらうからさ」

「本当にそんなことできるんですか?」

「まあ任せなって」


 瀬戸は座っていた場所からよいしょっと立ち上がると、宗馬の顔を覗き込んでニヤリと笑った。


「その代わりと言ってはなんだけど……」

「別に元々瀬戸さんの写真をどこかに晒そうなんてつもりはありませんよ」


 翼に見せるくらいしようかとは思っていたが。


「そうじゃなくてさ、今度ちょっと付き合って欲しいんだ」

「……別にいいですけど、そもそも代わりって何ですか? 仕事を円滑に進めようと動くのは当たり前のことですよね? なんで俺が瀬戸さんに借り作ったみたいな言い方になってるんですか?」


 ていうかそもそもそんなことができるなら、宗馬が言わなくても瀬戸が最初から動くべきではなかったのか?

 宗馬の表情から彼の言いたいことを察した瀬戸は、口元に意味深な笑みを浮かべた。


「納期ヤバそうな案件って、翼が取ってきた案件の事でしょ?」

「そうですけど?」

「ぶっちゃけ俺にとってはそれってどうでもいいことなんだよね。俺には何の関係も無いし、翼の案件が流れた所でうちの会社が潰れるわけでもなし。むしろ浜辺さんに余計なこと言って睨まれるのがオチっていうか、俺には何のメリットも無いわけ」


 瀬戸はさらにぐっと宗馬の方へ顔を近づけて来た。


「それは下地さんも同じでしょ? 翼の製品を作ろうが浜辺さんの製品を作ろうが、現場の人間の労働時間や手間が変わるわけじゃない。むしろリピート品の浜辺さんの製品作る方が楽なんじゃない?」

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