右京が選んだ焼肉店は、この辺りでは少しばかり有名な個人経営のお店だった。
「みなさんよく使われるお店なんですか?」
鉄板付きのテーブルの前に座った春樹にそう聞かれて、宗馬は苦笑しながら首を振った。
「ここはいい肉を使ってる店だから、俺たちの給料じゃよく使うなんてのは無理だ」
「でも右京さんは迷わずこのお店を選んでましたよ?」
「それは俺が時々連れて来てやってるからさ」
テーブルに座っていた面々が一斉に振り返ると、ラフなポロシャツ姿の工場長が「よっ」と片手を上げながら店の暖簾をくぐって入って来るところだった。
「工場長、お疲れ様です!」
「お疲れ~。みんなしてどっか遊びに行ってたんだって?」
「ボルダリングですよ」
「そうか~、ボーリングか~」
「いや、ボルダリングです」
「え、何それ?」
右京が工場長にボルダリングについて説明している間に左野が好き勝手に肉の注文を始め、他のメンバーはそれぞれ好きなドリンクを注文してから雑談に入っていた。
「そういえば山梨さんは今日は来られなかったんですか?」
「ああ、達也は今週ずっと体調が良くなくて」
「次は山梨さんがダウンする番ですかね」
「いや、ああ見えて達也は意外とタフだから大丈夫だ。土日でしっかり休めば月曜には復活してると思う」
左隣に座った春樹と話していると、今度は右隣に座った翼が話しかけてきた。
「そういえば宗馬って山梨さんと仲良いよね」
宗馬は内心小さくため息をついた。皆の前では馴れ馴れしくするな、名前で呼ぶなと言っても、翼は全く聞き耳を持たない。なんだか自分だけが意識してるみたいで、いい加減気にするのが馬鹿らしくなってきた。
「……同期だからな」
「えっ、下地さんと山梨さんって同期だったんですか? 全然知りませんでした」
「俺と達也が同期で、左野と右京は同期な上に地元も一緒の幼馴染なんだそうだ」
「下地さんって山梨さんよりずっと若く見えるんですね」
(おい、左野たちの方が驚くべき情報を提示してやっただろうが! そっちに食い付けよ!)
しかも達也より若く見えると言われても、一体なんと返せばいいというのか?
(別に達也はそんなことを気にするようなタイプじゃないけど……)
「うん、新田君、それは二人ともに対してちょっと失礼かもね」
翼が急に怖いくらいの笑顔で割って入ってきたため、宗馬は軽く身の毛がよだつのを感じた。
「えっ? そ、そうでしょうか……」
「だって山梨さんは老けて見えるってことだし、宗馬は山梨さんほど落ち着いて見えないってことでしょ?」
「いえ! 決してそんなつもりじゃ……」
「君にそんなつもりはなくても、俺にはそんな風に聞こえたよ。発言する時は相手にどう取られるかちゃんと考えないと……」
「いや、俺たちはいちいちそんな細かいこと気にしないから!」
慌ててそう取りなした宗馬は、そのままの流れで翼をきっと睨みつけた。
(今日は春樹の歓迎会なんだ! お前ちょっと黙ってろ!)
睨まれた翼はひょいっと肩をすくめると、謝意を示すかのように美味しそうに焼けた肉を宗馬と春樹の皿にそれぞれよそってくれた。
「あ、ありがとう……ていうか乾杯ってしたっけ?」
「してないけど、もうみんな飲み食いしてるよ」
「ええっ! ちょっとみんな自由すぎるだろ! 高野さんは?」
「工場長はまだボルダリングの話を聞いてるよ」
(高野さん……)
「ごめんな春樹。なんか誰もお前の歓迎会ちゃんとする気がなくて……」
「いえ! そんなめっそうもないです!」
「せめて俺たちだけでもちゃんとしようか。ほら、翼もジョッキ持って!」
「俺も目の前にちゃんといるよ~」
「じゃあ瀬戸さんも一緒に、はいせーの、乾杯!」
宗馬の音頭と共に、四人はそれぞれのグラスとジョッキをカチンカチンと合わせていった。三人は生ビールのジョッキをグイッとあおっていたが、宗馬はグラスの烏龍茶をゴクリと一口飲むにとどめた。
「あれ、下地さん飲まないんですか?」
「うん、俺前に酒でちょっとやらかしたことがあって」
宗馬の言葉に、翼は満足そうにも少し残念そうにも取れる表情でうんうんと頷いていた。
「お前らは好きなだけ飲んでいいよ。俺今日は飲まないから」
「え~、やらかした宗馬ってちょっと気になる。俺の前でも飲んで欲しいなぁ」
「瀬戸さんの前では絶対飲みません」
「え~、なんで?」
酔っておかしなことになってるところを動画で撮って、なんか脅してきそうだから。
「春樹は酒強いの?」
「普通だと思います」
「そっか。まあ酔い潰れても俺が起きてるから、遠慮しないで」
「ありがとうございます」
春樹はビールが好きなのか、すぐに二杯目のジョッキも頼んで一瞬で空にしていた。
(みんなちょっとペース早いな。やっぱり俺は飲まなくてよかった)
「お~、上手いこと焼けてるか?」
春樹が三杯目のジョッキを空にしている時、高野が瀬戸の隣に合流してきた。
「おっ、天野が焼肉奉行やってるのか。やっぱり何でもそつなくこなすなぁ」
「いえ、それほどでも」
「工場長~、なんか面白い話して下さいよ~」
「それに比べて瀬戸はもう既にこんなことになってるぞ」
「いえ、高野さん、俺が好きに飲んで下さいって言ったんです。俺は今日飲まないんで」
「なんで? 下地も飲めばいいじゃないか」
「工場長~、面白い話~」
「こいつは飲まさない方が良かったんじゃないのか?」
高野工場長は呆れた表情でそう言うと、少しばかり考えるような素振りを見せた。
「ふむ、面白い話というよりただ単に俺が話したいだけなんだが、今度光莉の授業参観に行くことになってな」
「えっ? 光莉ちゃんのですか?」
翼が「誰?」と聞きたげな目でこっちを見てきたため、宗馬は「高野さんのお孫さんだよ」と説明を入れた。
「ご両親はお忙しいんですか?」
「うん、娘は海外出張でさ。父親も仕事が休めないみたいで。だから悪いけどその日は俺なしでよろしく」
「もちろんですよ!」
力強く頷いた宗馬の頭を、高野は嬉しそうにポンポンと叩いた。
「有能な部下がいてほんと助かるわ」
宗馬も嬉しそうに頷こうとしたが、急に翼がものすごい形相で高野の手をグイッと掴んだため、口の端が凍りついたように固まってしまった。
「触るな」
「え?」
「頭を叩くなって!」
(えええええええ?)
高野も一瞬驚いてポカンとした表情をしたが、すぐに我に返るとはははっとのんびりした笑い声を上げた。
「いやそうだな。人の頭をポンポン叩くもんじゃないよなぁ。下地、悪かったよ」
「い、いえ……」
宗馬は慌てて翼の前からビールのジョッキを遠ざけると、店員に頼んでお冷を持ってきてもらった。
(やっぱり好きなだけ飲んでいいなんて言うんじゃなかった。こいつ飲みすぎるとこんな感じになるのか?)
しかし翼の症状などまだ序の口、可愛らしいものであった。
「新田もよく食べてるか?」
高野が気を遣って本日の主役に声をかけた、その時だった。
突然春樹があおっていたビールのジョッキをゴトリと机に置くと、いきなり宗馬の方に体ごと向き直り、真剣な表情で口を開いた。
「好きです」