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第32話 宗馬、工場長の孫と会う

 女の子の甲高い叫び声が部屋中に響き渡り、宗馬と翼は思わず布団の上で飛び上がった。


(えっ、どういうこと?)


 よく見ると、引き攣った表情の春樹の後ろから、両手を口に当てたツインテールの女の子が目を皿のように丸くして和室を覗き込んでいた。


「ゴホッ! ど、どうした光莉?」


 さらに慌てた様子の高野が、なぜか咳き込みながらバタバタと和室に近付いて来る。


「……あれ、お前ら何やってんだ?」


 高野の顔を見てようやく我に返った宗馬は、慌てて翼の体の上から飛び上がるように起き上がった。


「お、おはようございます」

「目に毒だからそういう乱れた感じのは子供に見せるんじゃ無いぞ~」

「ちょっ、違いますって! これはちょっとした事故っていうか……」

「お、おはよ~、宗馬」


 高野の孫の光莉は心底驚いた様子だったが、子供らしくすぐに気を取り直してパタパタと宗馬の元に駆け寄って来た。


「ごめんね、急に叫んじゃって。なんだか宗馬が食べられそうに見えたから」

「え、光莉ちゃん、下地さんが天野さんに乗っかってるんだよ? むしろ逆じゃない?」


 ちょっと! 子供に変な知識を吹き込むんじゃない!


「う~ん、なんだかよく分かんないけど、私の第六感がそう言ってる」


 光莉はそう言うと、笑顔で宗馬の腕を引っ張った。


「ねえ、第六感ってカッコよくない? こないだ観たアニメ、主人公がその能力を使って事件を解決していくストーリーだったの。私もあれやりたい」

「光莉ちゃん、そういうのを中二病って言うんだよ」

「光莉小五だもん」


 光莉と春樹のやり取りを聞きながら、宗馬と翼は立ち上がって和室からいそいそと出てきた。


「あれ、高野さん顔赤いですよ」

「あ、分かる~? ゴホッ! なんか風邪引いちゃったみたいでさぁ」

「おじいちゃん、大丈夫?」

「大丈夫だよ~、おじいちゃんは強いからね~」

「すみません、俺たちが昨日お店に呼び出したりしたせいで……」

「何言ってんだ。それだけで風邪引くわけないだろ」


 高野はゴホゴホと咳き込むと、部屋の奥へと引っ込んだ。


「光莉ちゃん、そういえばいつ来たの?」

「今来たところだよ。お父さんが仕事に行ったから。お母さんは先週からずっとルーマニアだし」

「へぇ、お母さんの出張先ってルーマニアだったんだ。なんかすごいね」

「うん! お母さんはすごいんだよ!」

「ところでルーマニアってどこにある国だっけ?」

「多分アメリカだよ!」

「マジで?」

「いや、ヨーロッパの南東部だよ」


 光莉と宗馬の会話を聞いていた翼が笑いながら説明してくれた。


「へえ~、このおじちゃん物知りなんだね」

「……お兄さんは天野翼って言います」

「アマノさん?」


 光莉がこちらを見上げてきたため、宗馬は翼の肩を叩いて紹介した。


「俺や高野さんと同じ会社のおじさんだよ。で、あっちのおじさんが俺の後輩の新田春樹さん」

「下地さん、僕は流石におじさんには早すぎると思うんですけど」

「小学生からしたら大人はみんなおじさんみたいなもんだろ?」


 四人で話しながら、宗馬は和室の襖を全て開け放ってリビングと一続きの本来の間取りに戻した。テーブルには菓子パンがこんもりとまとめて置かれていたが、高野の姿は見当たらなかった。


「これ私が持ってきたの。宗馬とお友達が居るって聞いたからいっぱい買ってきたんだけど」

「えっ、わざわざこんなにありがとう」

「お金出したのお父さんだからいいよ。ほら、これ宗馬が好きなクリームのやつ」


 宗馬は光莉に差し出されたクリームパンを持ったまま、高野の部屋の扉をノックした。


「あの~、高野さん、大丈夫ですか?」


 返事はない。


(えっ、ちょっとどうしたんだろう?)


 そうっと音を立てないようにドアノブを回して扉を押し開けると、カーテンを閉めたままの暗い部屋の中で、高野はベッドにうつ伏せになってぐっすり眠り込んでいた。


(ついさっきまで起きてたのに……)


「おじいちゃん最近調子悪い時いつもこんな感じだよ」


 光莉が後ろから小声でそう教えてくれた。宗馬はゆっくりと扉を閉めると、光莉と一緒にリビングの食卓へと戻って行った。


「こういうことよくあるの?」

「よくってわけじゃないけど、夏とかお仕事忙しい時とか疲れるんじゃない? ってお母さんが言ってた」


 光莉はバリッと菓子パンの袋を一つ開けると、端っこをかじって幸せそうな表情をした。


「うちだとこういうお菓子みたいなパンあんまり食べさせてもらえないから、おじいちゃん家来るの楽しみなんだ」

「光莉ちゃんはいつも朝ごはんは何を食べているの?」


 甘いパンの山から奇跡的に掘り当てた塩バターパンをかじりながら、翼が興味深そうに光莉に尋ねた。


「いつもは玄米ごはんとお味噌汁とおかず」

「朝からすごい手が込んでるね」

「お母さんが意識高いの。玄米を食べると頭良くなるんだって」


 そう言いながら、光莉はパッケージを見たら母親が卒倒しそうな添加物てんこ盛りの菓子パンを満足そうに平らげていた。


「それで、おじいちゃん家ではいつも何してるの?」

「おじいちゃんが遊びに連れてってくれるんだけど、今日みたいにおじいちゃんの体調が悪い日はDVD観てる」

「お父さんは何時に迎えに来るの?」

「いつもなら仕事終わってから来てくれるんだけど、明日はおじいちゃんと学校行くから今日はおじいちゃん家に泊まるんだよ」


 そうだった。明日は光莉の参観日だと確かに高野が言っていた。


(高野さん大丈夫かな? まさか俺たちが来たせいで生活リズムが狂って体調崩したんじゃ……)


「……じ。下地!」

「えっ? あっ、はい!」


 どこか遠くの方からしわがれた声が聞こえて来て、宗馬はビクッとしながらキョロキョロと辺りを見回した。高野の部屋の扉が半分ほど開いていて、その隙間の下の方に這いつくばった工場長の姿が見えた。


「ちょっ! 大丈夫ですか? ていうかいつ起きたんですか?」

「俺はショートスリーパーなんだ」


 ショートスリーパーってそんな感じだったっけ?

 慌てて駆け寄って手を貸そうとした宗馬を、高野は片手を上げて制した。


「俺のことはいい。それより光莉だ」

「光莉ちゃんですか?」

「そうだ。実はこないだも一日テレビを観せた時があってな。いや、別に体調悪かったとかじゃなくて、新しいDVDボックス買ったから俺が観たかっただけなんだが、それが娘にバレてだな」


 ゲホゲホッと高野は痰の絡む嫌な咳をした。


「ゲホッ! ……悪い。光莉は家ではテレビの視聴は一日一時間と決まっているらしい」

「でも預かってもらってるわけですし……」

「まあ娘からのプレッシャーもあるが、正直俺も子供が一日中テレビを観てるのが良いとは思わんわけだ」


 それで、と高野は不意に宗馬の腕をぐいっと掴んだ。


「今日一日、光莉をどこかに遊びに連れてってやってくれないか?」

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