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第34話 宗馬、職質を受ける

 声をかけてきた男性の青っぽい制服を見た瞬間、先ほどの受付の女性と同じくらい、宗馬の顔からさーっと血の気が引いていった。


(これってもしや……)


「先ほど一緒にいた女の子とは、一体どのような関係なんですかね?」


 宗馬は二十八年間の人生で初めて、職務質問というものを受けていた。


「えっと、その、彼女は会社の上司のお孫さんでして……」

「そうでしたか。しかし先ほどあなたとその女の子がカップルだと聞いた人がいたそうなのですが」


(受付の人に通報されてる!)


「いやぁ、まさかそんな訳ないじゃないですか。相手小学生ですよ?」

「そうですよね。私もそう信じたいのですが」


 警察の男性に明らかに不審者を見る目で睨まれて、宗馬はどうしていいか分からず引き攣った笑みを浮かべながらダラダラと冷や汗を滝のように流し続けていた。


「とりあえず彼女が戻ってきたら、その保護者の方に連絡を取ってもらってもいいですか?」

「あ、はい、もちろんです」


(高野さん、電話出てくれるかな? 体調悪くて寝てたら気づいてくれないかも……)


 ビクビクしている宗馬の肩に、突然大きくて温かい手がポンと置かれた。


「あ、翼……」

「パパ活女子を連れ回してるって疑ってるんですか?」


 警察官は黙って翼をジロリと見たが、翼は全く動じること無く宗馬の肩をそっと抱き寄せた。


「それはあり得ませんね。彼は俺の人ですから」

「……え?」

「ゲイカップルとか今時珍しくも何ともなくないですか?」

「はぁ……」


 警察官がまだ疑わしそうな表情でこちらを見ていたため、翼は肩をすくめると屈んで宗馬にキスしようとした。


「ちょっ、翼! そこまでしなくても……」

「そう?」

「お待たせー!」


 その時ようやく遠回りのトイレから光莉が帰ってきたが、肩を組んでいる祖父の会社の人間と、青っぽい制服を着た鋭い目つきの警察官を見てポカンとした表情をした。


「え、何かあったの?」



 高野は光莉のスマホからの着信にちゃんと出て、警察に事情を説明してくれた。


(あ~~~良かった!)


 イルカショーも無事に鑑賞して、宗馬は脱力しながら黒い壁のスタイリッシュな水族館のトイレで用を足していた。


「下地さん」

「おお、春樹も来たの」


 春樹はズボンのジッパーを下そうとしたが、ふっと躊躇したかのようにその手を止めた。


「下地さんって、その、天野さんと付き合っているんですか?」


(それ今用を足しながら聞くことか?)


「つまり、その、お二人は同性愛者ってことなんですか?」


(ああ、そういうことね)


 宗馬はジジッとズボンのジッパーを上げると、すっと春樹に背を向けてシンクへと向かった。


「……下地さん?」

「俺に見られるのは嫌だろ?」

「そ、そんなことありません!」


 春樹は慌てて用を済ませると、シンク前にやって来て鏡越しに宗馬の目を見た。


「ちょっと驚いただけで。あ、でもそうかもしれないとは思っていたんで、なんかスッキリしたっていうか」

「えっ、そうなの?」

「だって天野さんしょっちゅう牽制かけてくるし、気づかない方がおかしいですって。キスマークあんなに付けるなんて、独占欲丸出しじゃないですか」

「えっ! あれに気づいて……」

「子供じゃないんですから、気づきますって」


(アホとガキしかいないと思って安心してたけど、そういえば春樹は元々営業の人間だった!)


 どうやらアホとガキは左野と右京だけだったようだ。


「……翼とは付き合ってるわけじゃないけど、ちょっと複雑な関係っていうか、そもそもあいつはゲイじゃないんだ」

「そうなんですか?」

「うん、まあ、だからさ、今日のことはみんなには黙っておいて……」

「もちろんです! 僕は他人の事情とか、そもそも言いふらしたりするつもりなんか無いんで!」


 春樹は従順な子犬のようにブンブンと首を振ると、鏡から目を逸らして真っ直ぐに宗馬の顔を見た。


「昨日僕が言ったこと、覚えていますか?」

「昨日言ったこと?」

「下地さんのことが好きだって、焼肉屋さんで言いましたよね」


(あ、あの事ちゃんと覚えてたんだ……)


 何事もなかったかのように朝起きてきたから、酔っ払って口走った内容などすっかり忘れ去っているものだとばかり思っていた。


「僕、下地さんのこと本当に好きです。真面目で親切で、僕に居場所を与えてくれて、男の僕から見ても普通にかっこいいし……」


 でも、と春樹は今度は申し訳なさそうにもじもじと下を向いた。


「他の人に取られるの、なんだか嫌だなって思ってたんです。でもそれって僕にとっては、すごく尊敬して懐いている兄をとられるような感じで、天野さんがさっきしようとしたみたいにキスしたいとか、そういうのじゃなかったみたいなんです」


 だから、ごめんなさい! と春樹はその場で深々と頭を下げた。


「……いや、なんか俺が今振られたみたいな雰囲気になってるけど、俺別にお前のこと好きとかじゃないから」

「いえ、これは好きっていう言葉を軽々しく使ってしまったことに対する懺悔と言いますか……」


(好き……か)


 好きだ、愛している、俺にはお前だけだ。そんなただの文字の羅列でしかない言葉に、一体何の意味があるというのか。

 しかし「好き」という言葉を純粋な心で大事にしている様子の若い後輩に、自分の擦れた人生観を吹き込むことはなんだか憚られた。


「……そうだな、お前は酒が入るとちょっと発言が怪しくなるみたいだから、飲み会では十分気をつけろよ」

「はい!」


 二人で並んでスタイリッシュなトイレから出ると、ベンチに並んで座って巨大水槽を眺めていた光莉と翼がこちらに向かって手を振ってきた。


「二人とも遅いよ~」

「ごめんね」

「まぁ、理由は聞かないでおいてあげる」


(あ、大の方だと思われてる……)


 宗馬が弁解しようかどうしようか軽く悩んでいると、光莉が先ほど通ってきた暗い通路を興奮した様子で指差した。


「ねえねえ! 今から行ったらアシカショーに間に合うんじゃない?」

「えっ! さっき観たのに?」

「何回観たっていいじゃん!」


(子供の体力半端ないな……)


 げっそりとした様子の宗馬を見て、春樹がとりなすような笑顔を光莉に向けた。


「光莉ちゃん、僕はまだ元気だから一緒に観に行こうか」

「えっ、宗馬たちは元気じゃないの?」

「人の体力は二十歳を過ぎた頃から徐々に低下していくんだ。僕は二十代になりたてだけど、お二人は三十を目前に控えたアラサーサラリーマンだ。この意味が分かるかな?」

「そっか、それなら仕方ないね」

「光莉ちゃんは聡明だね」


 光莉は思いの外素直に春樹の説明を受け入れると、「じゃあ若者だけで楽しんできま~す」と言って、春樹と一緒にアシカコーナーへ続く廊下へと姿を消した。


「ほらな、春樹からしても俺たちは既におじさんなんだよ」

「確かに認めざるを得ないね」


 翼はう~んとベンチに座ったまま伸びをすると、そのまま両手を座席について天井を見上げた。


「ようやくゆっくりと水族館を観られるね」

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