わたくしも例に漏れないことではあるが、いつ命が終わるとも知れないのに、勿体ないものが人間にはある。
高等な技術と時間とを要する活動――試行錯誤、取捨選択、長考の末の決断……
それは、迷うことである。
あらゆる生物にも多かれ少なかれ、迷いが生じるのだろうが、野性的本能がそれを忘れさせる。
一時的に、ごく稀に、本能と迷いが重なる状態になるのだが、その時は迷いを捨てる良い機会と言える。
しかし一説によると、本能にのみ従うことも状態異常の一種らしい。
それを回復させるのが迷いの効能のひとつ、とする見解もあるらしい。
仮説ではあるが、迷ってばかりの優柔不断さでさえ、人間性なのだそうだ。
しかしながら、どうせ本能は捨てきることはできないのだろう?
野性的本能が人間性に屈することは、ないだろう。
人間的産物――理性の賜物、芸術の傑作、論理的思考のもと成立するいかなる法令も、その構造上、いずれ必ず迷いが生じて、撤廃される時が来る。
人間の野性的活動は、時には打開策として、何ら技術を必要としない手段になる。
そうなってほしくはないが、なるときには、そうなってしまう。
その手段しかとれない状況になることが、実際あるのだ。
そればかりは、誰も備えておくこともできないことだろう。
わたくしは本能主義を掲げてはいるものの、野性的本能は好まない主義だ!
寿司は食べるが、わさび抜きじゃなきゃ嫌!――なのと一緒である⁉