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26.本能主義論者の世迷い文

わたくしも例に漏れないことではあるが、いつ命が終わるとも知れないのに、勿体ないものが人間にはある。


高等な技術と時間とを要する活動――試行錯誤、取捨選択、長考の末の決断……

それは、迷うことである。


あらゆる生物にも多かれ少なかれ、迷いが生じるのだろうが、野性的本能がそれを忘れさせる。

一時的に、ごく稀に、本能と迷いが重なる状態になるのだが、その時は迷いを捨てる良い機会と言える。

しかし一説によると、本能にのみ従うことも状態異常の一種らしい。

それを回復させるのが迷いの効能のひとつ、とする見解もあるらしい。


仮説ではあるが、迷ってばかりの優柔不断さでさえ、人間性なのだそうだ。


しかしながら、どうせ本能は捨てきることはできないのだろう?

野性的本能が人間性に屈することは、ないだろう。


人間的産物――理性の賜物、芸術の傑作、論理的思考のもと成立するいかなる法令も、その構造上、いずれ必ず迷いが生じて、撤廃される時が来る。

人間の野性的活動は、時には打開策として、何ら技術を必要としない手段になる。


そうなってほしくはないが、なるときには、そうなってしまう。

その手段しかとれない状況になることが、実際あるのだ。

そればかりは、誰も備えておくこともできないことだろう。


わたくしは本能主義を掲げてはいるものの、野性的本能は好まない主義だ!

寿司は食べるが、わさび抜きじゃなきゃ嫌!――なのと一緒である⁉

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