約一年前、いやニ年前近くのことになる。
住まいは市の郊外の団地内にありバスはあるが本数も減り、24時間営業しているスーパーや乱立するドラッグストアが徒歩圏内、車を使えば大きなモールやチェーン店、病院も立ち並ぶのでそこそこ不便ではない。
凛子の会社も車で市外の駅まで30分弱、そこから電車に乗って30分。大学もそれくらいで通っていたため苦ではない。
父の
築30年の一軒家で
ある日、凛子が家に帰ると彼女の3歳下の妹・
「おかえりー、こんな時間まで大変ね」
彼女が指差す方は夜8時。
「通勤時間が長いからよ。実際は18時とちょっと過ぎに出てるし。しかも今日は乗り継ぎに間に合わなくてさ」
「お疲れ様ですー。たくさん働けるうちが花だよ」
といつもみたいに妹が生意気に言うもんだと凛子は思いながらも部屋に戻って部屋着に着替えてまたリビングに戻る。
美琴は20代前半で結婚し、今では2人の子どもの母親になっている。
今現在は地元の会社の事務員で短時間のパートをしていて凛子のように夜遅くまで働くという経験のないままここに至っているので凛子の大変さはよくわかってない。
だからと言って凛子は別に張り合うわけでもないから相手にはしていない様子だ。
そして美琴は夫はもちろん、夫家族とも仲は良好であるようでひと月に数回は夫の両親に子供を預けて実家に帰ってくる。
今日は次の日にある中学時代の友人の結婚式に参加するためとのことで二次会も参加予定の彼女は泊まるための荷物を持ってきていたがある程度実家に自分の服などを残しており本当に結婚してよそに嫁いで子供が二人いるとは思えない様子である。
そんな美琴がリビングにあるマッサージ機に座りながら美顔ローラを頬に転がす。
「うちの学年の第二次結婚ブームも一段落かな。いくらご祝儀に使ったんだろう」
と、ため息混じりに言った。彼女の言葉に悪意はないが、その一言が独身の凛子にどれだけの影響を与えるかは、気づいていない。それもいつものことだ。
美琴が言った通り、凛子の世代には20代前半に「第一次結婚ブーム」、そして30歳手前に「第二次結婚ブーム」が訪れていた。美琴も同じく。
もちろん結婚式への招待は嬉しいことだろうが祝儀に加えてドレス代、ヘアセット、二次会の費用、さらには交通費がかさみ、相当なお金が飛んでいく。
それでも、凛子は自分が結婚する時には、友人たちが同じように返してくれると信じていた。
そして、友達が少ないと感じていた凛子にとって、結婚式に招待されるのは嬉しい出来事だった。
だがしかし結果として凛子は32歳の今まで独身のままだった。
「ご祝儀返ってくる前にベビーブーム……お姉ちゃん相当溜まってるんじゃない? うちはもう返すばっかりよ」
そう言われて凛子は頭の中で計算をする。
「人付き合いのために見返りのない投資してると思えば? 結婚して子供産まれると人付き合い減るし……お母さんも昔の友達で会ってるのほんの数人よ」
と台所にいた母すみ子も口を挟む。確かにねーと姉妹は頷く。
さっきから女三人の陰になっていたのはリビングの隅の方のソファーでテレビを見ている父の晃は仕事をきっちり定時に終わらせて早々帰宅し、ビール片手にお笑い番組を見ていた。
『漫才エベレストナンバーワン! 決勝戦特番はあと2日!』
と何人かの芸人たちが番組の宣伝をしている。その年の漫才師日本一を競い合う超人気コンテスト番組である。
「今年はハラミ半人前が来そうだね。めっちゃ事務所推してるの見え見えなんだよね。審査員も彼らのファンとか言ってる人もいるしさ」
と美琴が晃に投げかける。
「まぁそこを運営的には推したいだろうが……噂だと違う事務所からダークホース出るとか無いとか」
晃がそう言うが美琴はあまり聞いていない模様。
「私はもう出来レースで優勝確定のハラミ半人前に10000円かけてるから。お姉ちゃんは? ってあまり興味ないよね?」
凛子はまたこの番組の優勝者の賭け事をしてるのかと思いながらも
「興味ないとかまではいかないけどさ。じゃあそのダークホースとやら教えて、お父さん」
「おう、そのな……」
と実のところ家族から気にかけてほしい晃は質問されたらお笑いのことであれば饒舌に語り始める。特に娘たちからだと。
「最近大手ベイシーズ東京支部から切り離されて東海支部に分離されたチームから他事務所で賞荒らしと言われてる若手のピンピン……」
「凛子、はやくご飯食べなさい」
と晃の話はすみ子によって遮られた。なのでまた黙ってテレビを見始めた。
晃は趣味という趣味はなく、とりあえずお笑い番組を見ては特に笑うことはなく女性陣たちの話には入り込まないスタイルだ。
こういうあまり干渉しすぎないところが欅家が安寧に過ごせている一つではないだろうかと思われる。
そして食卓には凛子の分のご飯が並ぶ。
ご飯、肉じゃが、味噌汁、サバの塩焼き、ひじきの煮物、サラダ。
綺麗に盛り付けられていて凛子のために温め直して。ほぼ上げ膳据え膳状態。
「いただきます」
先に三人はご飯を済ませていた。凛子は仕事がいつもこの時間なので一人でご飯を食べるのは慣れている。手を合わせて食べ始める。
欅家の家事は専業主婦のすみ子がやっていてすみ子は凛子が食べる終わらないと家事が終わらないのである。
だがその時が一番凛子と話をしやすい時間なのかすみ子は凛子の斜め前に座って晃が見ているお笑い番組を見ながら凛子に話しかける。
「結婚式ねぇ……凛子はてっきり大学卒業後すぐに付き合った名古屋の同期の子と結婚すると思ってたのに」
と、母がダイニングテーブルの上に置いてあった美琴が招待を受けた結婚式の招待状を見ながら言う。
やはり来たか、と凛子はそういう話題が出るというのはもうわかっていた。
すみ子が話す同期の子というのは凛子にとって初めての恋人だった。
女子校育ちの凛子は、男性との付き合い方がわからず、内定式のボウリング大会で知り合った彼に新鮮な感覚を覚えた。
名古屋の中心部に住むというその彼は礼儀も正しく好青年そのもので凛子が付き合うのにはとても申し分のない男性であった。
「あ、その友達の旦那さんも同期の人と結婚したんだよねー。社内結婚が多いらしいけど社内では遅い方なのよ」
美琴が口を挟む。へぇーとすみ子は返事をした。
その後、その名古屋の同期とは絵に書いたようにトントン拍子で進んだ。
若さがゆえでも会ったのだろうか。すみ子と晃が同じくらいの年齢で結婚したためそういうものだというのも凛子の頭の中にもあった。
そしてお互いに家族を紹介し合うほどの仲になった。結婚式場もここがいいね、どういうドレス着るのかなとか結婚情報雑誌を見て凛子は超絶花畑。
彼もてっきりそうであろう、もうゴールは目に見えていた。凛子は家族だけでなく友人や同僚たちにも報告をし、祝福をされて更に有頂天になった凛子。
そんな彼女とは裏腹に同期の彼は次第に連絡が取れなくなり、同時に無断欠勤を繰り返し、入社して半年、本部研修を終えて支店配置の辞令を言い渡される前に姿を消した。