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第3話 しあわせ

 凛子の同じ会社の上司で同じ部署の部長・曽根雅司だった。


 もちろん彼は凛子の新卒の元彼の件は知っているし、彼女のことをとても同情した。退職すべきではという少数の意見を除けて凛子を人事部預かりとして面倒を見てはどうかと提案してくれた一人でもあった。


 雅司は頼れる存在で、周りからの人望も厚かった。容姿端麗でスポーツマン。凛子より4歳年上。

 家族ぐるみの食事会で撮った写真を眺めながら、この人だったら……凛子は雅司と新しい家庭を築いていくことを心に決めた。もちろん雅司自身もである。


 そのためにも凛子は慎重に雅司との恋愛を進めていった。焦らずよく彼のことを知り。それは雅司もであった。


 そして32歳、交際3年をかけてプロポーズも受け、晴れて凛子は独身卒業にたどり着いたのであった。


「こんな幸せなお姉ちゃんに、過去の恋愛話なんてしちゃダメよ、お母さん」

「何言ってるの。あんたも話してたじゃないの。……今度こそ大丈夫かしら」


 やはり母は何かと心配のようだ。美琴は気にしていないようで


「他に女はいないようだし、仕事もして社内での運動部で堅実に活動している。全然申し分もないし知り合いの興信所も使って健全潔白なんだから」


 と。凛子も頷く。美琴は父が見ているテレビを指差す。お笑い芸人たちがワイワイと騒いでいる。


「芸人さんたちも大変よね、ああいう職業だと安定しないし有名になるのはほんの一握り。それまで奥さんは苦労しそう。雅司さんだったらもうエリートコース一直線だしお姉ちゃんも今までの男みたいに苦労することもないよ」

「……芸人さんは芸人さんよ。たしかに生活は大変そうだけどテレビに出られたり人前に出たり、私達一般人とは住む世界は違うわ」

「まぁそうだけどねー」


 美琴は、凛子が買った結婚情報誌をペラペラとめくっている。


「いいなぁ、お姉ちゃん。ちゃんと結婚式できるんだから。私はできちゃった婚で、次やろうと思ったら二人目ができちゃったしさ。明日の結婚式を見たら、私ももっとやりたくなっちゃうだろうけどもまずはお姉ちゃんが先だよね」

「そんな……私が上だからって先ってことは決まってないんだから気にせずしてよ」


 妹がそんなふうに思っていたのかと凛子は申し訳無さがある。するとすみ子が食べ終わった食器から片付け始めた。


「お金かかるし気を遣うからせめて一年は置いてほしいわ……親の身分としては。はいはい、さっさと凛子は食べ終える。美琴も早く寝なさいよ。美容院も朝早いんでしょ」

「はーい」


 凛子は雅司からプロポーズされ、住むところも決まり、家具や家電も揃い、結婚式場も押さえた。凛子は今、幸せの絶頂にいる。再び花畑……いや舞い上がってはいけない。前の教訓があるから。


「お父さん、今年はお姉ちゃんだけど、来年は私も結婚式やっていい?」


 美琴は懲りずに話を続ける。寝ている父に向かって声を掛ける。するとぬくっと起き上がった。三人は起きた!!! と驚きながらも父はこう言った。


「好きにしろ。人間てのは、生まれた時と結婚式と死んだ時が一番輝く。悔いのないようにな」


 そう言って、また無言でテレビに視線を戻した。


「だってさ~お姉ちゃん、結婚式の情報、色々教えてよ」


「はいはい、私もまだなんだから。明日の友だちの結婚式しっかり見ておいたら?」


 そんな風に、談笑するほど凛子は期待に満ちていた……。もう前と同じ失敗はしない。そう思っていた。このときの凛子は。


 次の日の朝。いつものように自室で朝を迎えた凛子。あともう少ししたらこの家で過ごすのも終わるのだ。

 スマホで昨晩寝る前に雅司へメールを送っていたが返信がなかった。


 姉妹それぞれ部屋を与えられて家族で家具屋でベッドから学習机などの家具を見に行ったのもいい思い出である。それを32になるまで使うとは思わず未だ幼さも残った感もあるがそれもそれで良い。


「この机とか……どうしちゃうんだろう」


 新居は一軒家ではないため部屋は少ない、ましてや自分だけの部屋はない。母には部屋はなかったが父の書斎はあった。母の机は家族で使うリビングのテーブルの一区画。ドレッサーも夫婦の寝室にある。


 ずっと使っていたドレッサーは持って行く予定だが新居に馴染むのだろうかと雅司がこの部屋に来たときにせっかくあるのならこれ持っていったほうがいいと。


「こんな重いのをどうやって持っていくんだろ。雅司さんがお父さんにも手伝ってもらおうとか言ってたけど……無理して持っていかなくてもいいけどなぁ」


 とドレッサーを撫でる。父方の祖母が女の子には必要よと凛子と美琴それぞれに買い与えてくれたのだ。しかもそれなりに高級品を。

 美琴は結婚したときに業者に頼んで持っていって今でも使っている。

 ドレッサーの鏡に映る自分、32歳の自分。凛子はなんど自分の姿をこの鏡に映したのだろう。だんだん顔も変わっていく。ドレッサーに置かれる化粧品も歳を重ねるたび変わり増えていく。


「凛子ー起きなさい」

 階下から母の声がする。

「はーい……」




 パジャマから服に着替え朝ご飯を食べる。朝からご飯、昨日の残り物、味噌汁にヨーグルトにフルーツ。

 美琴はもうすでに美容院から直接友人の結婚式場に行くためもう家にいなかった。もうそのまま家に戻るらしく少し欅家はいつもと同じように静かである。

 晃は休みともあって部屋着で新聞を読みながら先に朝食を食べていた。挨拶を交わす。


「今日はドレス見に行く日だったな」

「そうだよー。10時には出ていかなきゃ」


 するとすみ子が割り込んできた。

「今はドレス色々選べていいわねー。雑誌見たけどあんなにあったら困っちゃう」


 凛子は過去に両親の結婚式の写真を見たが白無垢と袴の和装と銀色のタキシードと真っ白なウエディングドレス姿の2つであった。


「カラードレスでも良かったけどお義母さんが嫁が出しゃばるなって選べなかったのもあるけどね」



 と晃に聞こえないようにすみ子は凛子に言ったが多分聞こえているであろうし晃も新聞読んで聞き流していた。


「私も見に行きたいわー」

「本当はお母さんにも来てほしいよ。雅司さんとだけど同じ女性目線から色々ジャッジしてほしいし」


 と凛子が言うとすみ子は目を輝かせて頷いた。だが……

「もういい大人なんだから雅司さんと二人で見に行きなさい」


 と晃は淡々と話した。


「まぁそうだけどさ……」

「お父さんたちにはあとで写真見せてくれればいい。こちらからは口は挟まないから好きなのを選んでくればいい」


 その間も晃はずっと新聞から目を離さない。


「あのときもそうだったけど……結局晃さんと私がこれがいいって言っても義母さんが選んじゃったんだけどね」


 すみ子は少し不満げだった。凛子にとっては好きな祖母だったわけで勝手にドレスを選んでしまったエピソードを聞くと少しげんなりするが確かにあの写真のタキシードとドレスが昔のものとはいえ感性が良くないものだと凛子が感じたことは黙っておいた。


 それはそれとて、晃がいつも以上に口数が少ないような気もしなくもないと凛子は感じた。

 昨晩も結婚に絡んだ話をしてても割り込もうとしなかった。凛子はその理由を聞けばよいのだが……。心の片隅にはもう親を心配させたくない、そんな気持ちがあった。



 そして昼前。前日、日付が変わるまで仕事に追われていた雅司とは現場集合という形になった。目の下にクマがあり髪の毛も寝癖があった雅司だが凛子が優しく手ぐしで整えてやると雅司はありがとう、と喜んだ。


 同じ会社にいて雅司の激務を見ていた凛子は結婚式の準備を雅司ができない代わりに凛子が先に寿退社という形で退職してしていたのもそれが理由である。

 まだ少し眠そうだが凛子たちが挙げる予定の結婚式場の衣装スタジオに予約時間に少し遅れて入り、雅司はシャキッと顔をさせてスタッフに頭を下げていた。疲れているのに……貴重な土日の休みなのにね、と凛子は雅司を労った。

「君との素敵な結婚式のためだ、大丈夫さ」

 と雅司は微笑んで答えた。


 30分近くほど悩みに悩んでもともと候補であった純白のドレスに身を包んだ凛子は、大きな全身鏡の前でくるりと回ってみる。

 裾がひらひらと舞い、まるでお姫様にでもなったような気分で高揚感に頬も赤く染まる。


 雅司も隣でこれまた30分近く選ぶのにかかった純白のタキシードを試着し、いつもとは違った表情をしている。さすが身長も高くスタイルが良い。二人鏡の前に立ち腕を組み目を合わせて笑い合う。

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