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第5話 耐えられない

 なんだかんだで式場から外に出たのは夕方過ぎになった。


 こんな時間に終わるはずではなかったのだがと思いながらも、予定していた新居に行くことにした。ようやく義父母と別れて二人だけの時間を過ごすためでもある。


 雅司の両親との別れ際に

「また外食するのかい。無駄遣いせずに自炊しなさい。そろそろ凛子さんにうちの味を覚えてもらわないと」

 と光江。

「まだまだこれからでいいじゃん。家も近いんだしさー来週入居なんだから整頓したいし」


 先に新居に住んでいる雅司。彼の言葉に凛子はうなづいた。

 凛子は料理はほとんどしたことがない。苦手である。すみ子や美琴が言うには結婚してからなんとかなると言っていた。


「そのまま明日の朝まで泊まるのかい? いちゃいちゃしてると式前に子どもできたらどうすんだ」

 と徹がニヤニヤしながら言うと光江が顰めた顔で

「お父さんったら!」

 と。

「ご飯食べたら帰りますので……」

 凛子はそう言うのが精一杯だった。


 車内、少しほっとしさっきのドレスの写真を見ながらやっぱりあのドレスがいいと凛子は雅司に相談しようかと考えていたが、口を開くタイミングを逃していた。


 途中、夕食をどうしようかという話になり

「確かに外食ばかりもあれだしさ……進行表とか店の中で出すのもまずいからスーパーで何か買って家で食べようか」

 と。


「うん……時間有効活用しないとね」

 凛子がそう答えると

「凛子ちゃん、なんか今日元気ないけど大丈夫?」

 と聞かれ凛子は首を横に振った。


「イヤ、だってさ……妊娠したかと思ってさ」

 と雅司が言う。

「んなわけ無いじゃん」

「だよなー。でもありえるじゃん。避妊してないんだし……」

「……うん……ちゃんと来てるから、生理」

「だよね、先週来てたもんね。でも不正出血とかじゃないよね」

「わかんない……」


 先週は確かに生理だった。いつも通りで貧血で式場の打ち合わせもめまいがひどくなり途中で断念したほどであったのだが。凛子は笑って答えた。


 駅近にあるモールの駐車場に車を停めてモールに行くことにした二人。土曜日の夜ともあって賑やかであった。


 自分の年齢よりも若い女性たちが楽しそうに飲み歩いているのを見て結婚したらできなくなるのかなぁと思いながらも雅司と二人歩いていた。

 その時に二人の前に一人の男が立ちはだかった。


「ちょっとすいません! 今お時間ありますか?」


 パーマにメガネ、無精髭に首元がよれたTシャツ、その男の体には段ボール製の看板と手にはチラシを持っていた。看板には

「お笑いライブチケット当日券あります!」

 と手書きで書かれていた。もう使い古されているようだ。


 突然出てきたため凛子はびっくりしてとっさに雅司の後ろに隠れた。雅司もびっくりしながらも凛子をかばった。それには男もすいませんと頭を下げた。


「すいません……あの、ここの近くの新しくできた劇場で……今夜事務所ライブやるんですがぁ」

 他にも数人ほど同じ格好でビラ配りをしてる若者がいる。他にもどこかの飲食店のバイトもチラホラと。

 凛子は男のぶら下げている看板を見た。


「……ベイシーズ東海……って」

 昨日晃が語っていたお笑い事務所の名前である。もちろんベイシーズは大御所芸人を多く輩出しており芸能界に疎い人でもわかる。


 が横に東海支部と書いてあるのを見てすぐに凛子は昨日教えてもらったことだとわかった。


「あ、お姉さん。まだ事務所の名前は仮、なんですけどね……あのお笑い事務所のベイシーズの若手たちでこの街を東海地区を盛り上げるぞってやってるんですよーどうですか? 今ならチケット安いですよ!!!」


 と屈せず話す男はどうやらその所属の若手芸人の一人だが凛子は見たことはない。もちろん雅司も。


「凛子ちゃん、早く行こう……」

「あ、うん……」

 と雅司が凛子の肩を抱いてその場を去った。


「見ないと損しますよ!!!」

 とまだ芸人の男は叫んでる。


「たく、あんなに声を出して当日券も捌けないよならだめだろうな」

 と雅司は言う。そういえばと凛子は思い出す。雅司もあまり芸能などエンタメにはあまり興味がない。


 今話題のーとか大ヒットーと言われているものをネットで見て凛子と行く事もあったが結局見終わったあとにはそうでもなかったねとあまり関心は持たないタイプの人間で仕事と社内の運動サークル以外のことは趣味という趣味は無いようである。


「……大変そうね」

 凛子は振り返り、他の売り子の芸人たちを見る。

「あまり見ないほうが良い」

 雅司は鼻で笑った。凛子は雅司の態度に関して結婚が決まって準備を始めた頃からそれまで優しさ、心の広さが魅力的だったのだがそれが薄まっていったのを感じ取っていた。


 先程の結婚式場での雅司の両親の前での態度もそうである。凛子を守る素振りもなかった。

 ここ数週間の結婚式の準備もほぼ凛子まかせでもあったし、凛子が決めてきても何かと口を出しては決め直すことも数回あった。


 付き合ってる頃も思い返せばそういうのがあったような気もしたが凛子はその時には気づかなかった。今日の結婚式場での出来事で一気に彼女の記憶を開いてしまったのだ。


「凛子、そこでぼーっとしてるとまた変なのに捕まるよ」

 凛子は固まっていた。が、雅司に手を引っ張られて我に返った。

「ごめん……大丈夫」

「大丈夫かよ。やっぱりおかしいよ、体調悪いんじゃないのか? 検査薬買おうか?」


 凛子は首を横に振る。彼女は検査薬は無意味だとわかっていた。交際からなかなか結婚に至らなかった二人。

 どうすれば雅司が結婚を決めてくれるんだろう、妊娠すれば結婚を考えてくれるのだろうかと一年前から時折避妊せず関係を持ったことがあった。

 体調が悪くなって妊娠かと思って妊娠検査薬をこっそり買ったが反応はなかった。


 どうにかこうにかと心配した職場の仲間からの取り計らいもあって雅司は結婚を踏み切ってくれたのであった。雅司の両親も孫をせがんでいたのも効果があったようだ。

 凛子は気づいたら涙が両目から流れ落ちる。


「凛子ちゃん……?」

 堰を切ったかのように泣き出す凛子に雅司は周りの目を気にして目的だったモールの入口付近にあるフードコートの隅の椅子に彼女を座らせた。



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