凛子は一気に先程の結婚式場での不満をぶちまけた。
「雅司さんはよかったの? ほとんどお義母さんとお義父さん中心になって……」
「その……うん、ごめん。僕がもっと言えばよかったね。確かに僕らの意見は全部反対だったし。凛子ちゃんが休みに色々調べてくれたことも駄目だしされちゃったしね。僕が全部わかってるよ、しっかり僕の代わりに調べてくれてること」
雅司は困った顔をして泣く凛子の両手を握り、小声で話した。
「でもここは年長者の意見も大事なんだよ。結婚式でももし何かあったら職場に気まずいし、職場でそうなったらうまく昇進できなくて君の分まで働かなきゃいけないのにだめになったら……困るだろ?」
凛子は首をずっと下に下げたままである。咽び泣き、上手く話せない。
「それにお義母さんとお義父さんとは同居はしないけど近くに住むんだ。子どもも生まれたら助けが必要になる。少しでも関係を友好的にしないと……困るのは凛子ちゃんなんだよ? 僕は平日日中はずっと仕事だし」
寄り添ってるようで寄り添ってないような雅司の言葉。
凛子にとっては雅司の言葉は正論でしかなかった。
凛子は仕事を辞めて家庭に入るのだ。
「それに僕は君の元上司なんだ、君のことはよくわかってるんだよ。君が仕事を辞めて家庭に入ったのも妻は働く僕を支えて、子供を育てる……君はマルチタスクが苦手だから」
頷く凛子。数年上司であった彼だからこそわかることだ、的確な意見であった。しかし家庭に入るというのは雅司の両親からの意見も強かった。
「うちの親は色々言うかもしれない。でも君のためなんだよ、僕の言うことも」
雅司はグッと凛子の顔を覗き込む。そして目線を合わせてくる。
「もしどうしても言いにくかったら僕が言ってあげるから。ね。これから僕たちは夫婦なんだ。そして君は主婦、そしてお母さんになる人なんだよ。強くなろう」
両手をギュッとさらに強く握られた凛子。雅司と目があった。
「ね、凛子ちゃん」
にこっと笑う雅司。ほろほろと涙がまだ溢れる。凛子はもうなにがなんだかわからない状態だった。でもしっかりと握ってくれる雅司の手の温かみ。
「……さぁ今日ここでご飯買って新居に泊まろう。明日もムービー作ったり席札作ったりするんだから」
そうだったと凛子は思いながらも本当は夜は一人になりたかった。こんな状態ではまともな判断はできないと思ったからだ。
「家に帰るよ」
そうは言ってみたものの雅司は手を離さない。
「家……実家もいいけどもう僕らの家はあそこなんだよ。そうだ、もう引っ越してこないか? 僕もまだ実家だけど凛子ちゃんはもう退職したし結婚式の準備以外はもうなにもないだろ。料理や家事の練習にもなるし……結婚式の準備のものも新居においておけば楽だろ」
「……う、うん……でも……まだ本当に料理もまだできないし」
新居に越すのは結婚式が終わってからと決めていたのだが雅司の急な提案に凛子は戸惑う。たしかに利便性はあるのだろうし、一緒にいたいというのはあるが結婚までの半年はとくに結婚式の準備以外に何も無いというわけでもないし、部屋の整理も引っ越しの準備とともにしたかったようだ。
「大丈夫だって。時間あるんだからうちの実家に通ってお母さんから習えば良いんだよ」
その言葉に日中厳しい言葉ばかりを浴びせる光江を思い出す凛子。
凛子は今まで料理も家事も母のすみ子に任せっきりだった。教えてほしいと言えばよかったのだが一度そういったときにすみ子から『結婚して毎日やってれば慣れてくるものよ。
あと料理本や雑誌見れば一通りできちゃったわ。今は自分のことに時間を使いなさい』と言われそのままその通りに過ごしてしまったことに後悔してしまった。
雅司はポッケからハンカチを取り出し凛子の涙を拭う。
「さぁもう泣いている暇はないんだから、僕らこれから一緒に生きるんだよ。ほらもう笑顔になって……ね」
雅司の笑顔に凛子は頷くしかなかった。
そして雅司に寄り添うように惣菜売り場へと足を運ぶ。雅司は割引シールの貼られた商品を次々とカゴに入れていった。
「今日はこれでいいか。夜は安くて助かるな」
その様子を見て、凛子は驚いた。付き合い始めた当時、雅司はレストランや高級料理店によく連れて行ってくれて、たまにファミレスに行くこともあったが、こんなに安さを追い求めている姿は初めてに近い。だが今日の雅司の父の値切り交渉を見ると納得はできた。
だが凛子の心の中で疑問が膨らんでいく。雅司は給料も良く、凛子に仕事を続けさせるつもりはないと言っていた。彼は結婚後、専業主婦になることを望んでいたはずだ。
前からも
「君は専業主婦になるんだよ? ちゃんとこの目で確かめて質の良いものを選んでさ。そして家計も守って、家族の健康もちゃんと考えてくれないと」
と。だが、その言葉が今、違和感として胸に刺さる。
「なんでスーパーの惣菜……? それに、こんなに割引品ばかり?」
彼が仕事が忙しい時期でも、外食に連れて行ってくれていたことを思い出す。しかし、今の彼は全く違う人物のように見える。専業主婦をお願いされ、「僕が君の分を養うから」と約束されたのに、彼の節約ぶりにどこか不安を感じずにはいられなかった。
車に戻り、運転する雅司の横顔をじっと見つめながら思い切って質問してみようとようやく凛子は口を開いた。
「雅司さん、スーパーの惣菜って珍しいよね」
雅司は一瞬だけ凛子を見て、軽く笑った。
「そう? あー、お金のことは本当に心配しないで、凛子。家計はちゃんと考えてるよ。ただ、節約できるところはしておかないとな。専業主婦になるんだから、君も家計管理を覚えないとね」
その言葉に再び凛子は違和感を覚えた。もちろん、節約することは大事だ。
でも、彼の言葉にどこか冷たさが混じっているように凛子は感じた。婚約してから彼は凛子に「専業主婦」としての役割を強調することが多くなった。
「でも、専業主婦だからって……そんなに節約ばかりじゃ、楽しくないよね」
そう思いながらも、声に出すことができなかった。彼の期待に応えたい気持ちと、自分の理想との間で揺れ動いている自分がいた。
雅司がスーパーで買った惣菜を手に二人は新居に入った。凛子は食卓に並べられた惣菜を見つめながら、少し前の自分が夢見ていた結婚生活とはどこか違う現実に戸惑いを覚えていた。
新居にはもう家具家電、食器も生活用品も置かれている。
一応2人で選んだのだが結婚式の準備と同じくして義父母が介入したのは言うまでもない。
家電は父の知り合いの電気屋がメーカーを揃えてほうがスマホで遠隔操作などしやすいと勧めたのにやたらと雅司側が遠隔操作なんて必要ない、家には家事をしっかりする妻がいるからとメーカーバラバラの型落ちばかりを選び、食器も近くのフリーマーケットとかで義父が買い漁ってきたもの、家具も格安家具ばかりでバランスが悪い。
唯一いいのはアパートの間取りぐらいだろうか。これは凛子の父の友人が所有していたもので安く借りれたのだ。これは先に凛子たちが用意したから雅司たちは何も介入していない。
「早く一緒に住めたらこんな良いことはないよ」
と雅司は新居で完全にくつろいでいるが凛子はまだなにか他人の家にいるような気分だ。
『これが、私の新しい生活なのかな……?』
その問いは、凛子の心の中でぐるぐると回り続けた。