がんばったものの……いろんな色のリボンをとりあえず一気に切り、結ぶ。意外と地味な作業の連続。凛子の計算では一人が結んでいる間にもう一人がアイロンでリボンをプレスするはずだったが。
その合間に凛子はテレビを流した。そうでもないとやり切れなさそうだったからだ。
テレビではまだ漫才エベレストナンバーワンの映像が流れていて何故だろうかと思ったら夜の放送に向けての過去の大会の映像や今大会に出る芸人たちの前日譚の特番であった。
ハラミ半人前以外にも数組知ってるコンビはいたが半分は凛子は知らなかった。
コンビを組んで結成15年までの芸人とはいえ中には有名なバラエティ番組に出ているものからCMに出てるものもいた。が、父が言ってたあのダークホースの紹介VTRが流れたのだ。
「あっ……ピンピン……ズ……」
凛子はつい手を止めて画面を見入る。
「ピンピンズ」芸歴14年目。ギリギリでようやく決勝戦進出。いままで準決勝まで行ったとのこと。お笑い事務所ベイシーズ所属。
関東での舞台を中心に活動し、関東ローカルのバラエティに出ていたもののなかなか芽が出なかったが一昨年の浅草演芸大賞で優勝、そこから登り詰めるか? と期待された最中、事務所の仕組みや自分たちの若手たちの待遇に不満を持った二人がマネージャーと共に事務所と大揉めに。
マネージャー含め三人で若手芸人たちを連れて東海地区に分社化。名古屋ローカルを席巻しついに念願の決勝進出!
という解説に
「知らなかったわー」
と凛子は独り言。あまりテレビを見ることもなかったのもあるが。
40歳になったばかりの幼馴染コンビで芸人の仕事がない時は親の居酒屋のバイトや運転代行をしているというナレーションと共にその姿が映し出された。
確かに他の決勝に出る一部芸人もバイトや副業もしながら……というくだりがあった。
「やっぱり芸人さんは大変ね……」
ピンピンズのインタビューが流れた。
『二人とも10年前に結婚して……本当は売れてから結婚したかったけどかみさんも30過ぎてたし子供を産んで育てるのはかみさんだから身体の負担を考えたらと結婚して子供ができたんですわ。でもかみさんは看護師ですから反対に俺が主夫の時代も長かったですねー子供おぶりながら舞台の上で二人で漫才したこともありましたよ!』
とくしゃっと笑ったときの目尻の皺。苦労が滲み出ている。そして妻や家族、仲間たちへの感謝を語りながら涙を流す二人。それをみて凛子は目頭が熱くなる。こういうのには弱いようである。
彼らの後輩芸人たちが後ろから出てきて盛り上げる。凛子は昨晩チケットを売りに絡んできた人も確認できた。
『僕らが優勝して賞金手に入れたら東海ベイシーズの運営資金に回して若手の後輩たちをもっと楽させてあげたい! そのためにも俺らが優勝する! 売れっ子お笑い事務所の頂点のレールを敷くぞ!!!!』
と二人は人差し指を突き出して決意を新たにした。
「おおおう……頑張ってーピンピンズぅー」
とつい口にだして感極まった凛子。
その時……。
「凛子ちゃん、なにしてるの」
仕事を部屋に閉じこもってしていた雅司がリビングに来た。凛子が途中まで作業をしていた机の上に広がるリボンたちを拾ってまじまじと見ている。
「僕仕事頑張ってるのにテレビ見ながらしてたの? ……思った以上に雑だし」
「……ごめん……そっちは仕事終わりそう?」
凛子はテレビを消してリボンを集めた。雅司は不機嫌な顔をしている。
「終わるわけないでしょ。てかお腹すいたなー」
ふと時計を見ると11:30になっていた。作業とテレビに夢中で気づかなかった。
「じゃあ今からご飯食べに行きましょう。近くの土地勘慣れるために……ほら、散歩して気分を変えてもいいし」
と凛子は取り繕う。だが雅司は何か様子が違った。
「食材買うんだよね?」
「え?」
「また外食とか出来合いのものとか……凛子ちゃんは料理を練習しようとかその気もないの?」
「……えっ……その……」
正直凛子はずっと座って作業をしていて疲れていたのもある。それにご飯は簡単に済ませて次の作業に移りたかった気持ちも。
またまだ土地勘の慣れない土地、そして雅司の気分転換になればと提案したのだが……。
「お母さんは朝昼晩、家族のためにご飯を作ってた。君のお母さんもそうだったろ? 専業主婦になるなら、ちゃんと家のことをやるのが当たり前だよ」
雅司の言葉が突き刺さる。
「……え?」
「さっきの芸人の番組、部屋で見たけどさ。売れない芸人の奥さん見ろよ。夫が売れるまで支えて、陰で苦労して、それでも文句を言わない。君は主婦になって僕を支えれば、そんな苦労もしなくて済むのに……わからないの? 君の仕事なんて、もし一生独身だったとしても、ほぼ価値なしだよ?」
「……」
同じ職場で雅司は凛子のことをそう思っていたのかとショックを受けた。
確かに例の失恋で他の同期より遅れたが寿退職した頃には会社の企画部の一員として働いてたのだが……。
「ざっと計算しても、君が定年まで働いて稼ぐ額なんて、僕が本気を出せば数年で超えられるんだ。だから、君は僕を支えるのが正解なんだよ」
言葉が出なかった。
心臓が早鐘を打つ。何かを飲み込んだまま、ずっと吐き出せずにいるような息苦しさがあった。
(そう……なの?)
ずっと見てきた。彼女の母は専業主婦だった。朝は父を送り出し、昼には簡単な食事を済ませ、夕方には夕飯を準備する。毎日家を整え、家族のために働いていた。
自分も結婚したら、そうなるのが普通だと思っていた。だから、雅司と結婚するなら仕事を辞めるのも仕方がないと、そう思った。
でも──。
(違う、違う……)
母は、あんなふうに誰かから「お前の人生に価値がない」なんて言われてはいなかった。少なくとも、父は母を尊重していた。
雅司の目が吊り上がる。いままでにみたことがない顔だ。だがどこかでみたことがある。
……雅司の母、光江の目元だ。凛子は後退りした。
「……ごめん、少し外の空気吸ってくる」
限界だった。
スマホとカバンを掴んで、玄関を飛び出した。雅司の呼び止める声が背後で聞こえたが、振り返らなかった。
息が荒い。震える指でスマホを握りしめる。
──帰りたくない。
このまま家に戻ったら、もう二度と抜け出せなくなる気がした。
凛子は駅まで走っていた。目の前に広がる人混みの中で、何人かの芸人がまた立っていた。
「ライブチケット、いかがですか? 本日漫漫才エベレストナンバーワンの決勝戦をライブビューイングでみんなでみませんか?!」
若手芸人たちが必死に声を上げて、通行人にチケットを売ろうとしている。
その中の一人が凛子に目を留め、声をかけてきた。
「どうですか? ドリンク付き、軽食も付きますよ!」
その言葉に彼女は一瞬立ち止まる。声をかけてきた芸人と目が合う。が間も無く涙が止めどなく溢れ出てきた。
「あっ……いいです……結構です……」
凛子は顔を隠さず、涙は頬を伝って落ちていく。
「大丈夫?」
どうしてこんなにも心が痛むのか、自分でもわからない。ただただ、どこからか湧き上がってくるものが抑えられなかった。
そして、彼女は再び足を動かし、涙をぬぐわず駅のホームに向かって走り去っていった。
その一部始終を見ていた芸人がつぶやく。
「今の人……泣いてた……」
その声が凛子の耳に届くことはなかった。ただひたすら、目的地へ向かって走るしかなかった。