翌日。
予想通りというか……やはり職場は朝からバタバタしていた。週末のイベント準備で、倉庫も売り場も資材でごった返している。
「……そりゃそうだよね……」
凛子は黙々と段ボールを運びながら、昨日の疲労が足に残っているのを感じていた。ふくらはぎがガチガチで、階段をのぼるたびに軽く悲鳴が出そうになる。
さすがに今日までパンプスで突っ走るのは無理だと判断し、スニーカーで出勤したのだが――。
「気合い入ってるね! その靴、戦闘モードって感じ!」
と、笑顔で上司が声をかけてきた。
(ち、違うんですけど!!)
「……はい、まあ……」
顔は引きつり気味だが、凛子はとりあえず笑っておいた。
藤本も違う部署なのに招集されたようである。遠目から藤本を見た凛子は大変ですねぇなんて世間話をしようと思ったが声をかけられる雰囲気ではなかった。
(よし、あと少し……これが終われば……)
午後はさらにバタバタしていて、ひたすら動き回る時間が続いた。昼ごはんは休憩で合間合間に取る形になった。
「聞いた話だと、提携してた派遣会社が破産しちゃったらしいのよ」
どこから仕入れてくるんだろう、と毎度思う。どうやらその影響で、凛子たちも応援に駆り出されたらしい。
「なんでこれからこんなに忙しくなるのに倒産なのよー」
「今別の派遣会社見つけてるらしいけどね。でもその派遣会社もいきなり倒産で……そこで働いて生活してる人たちも可哀想よ」
「すぐ仕事見つかるのかしらねー怖い怖い。うちらもリニューアル終わったらどうなるやらー」
その言葉に凛子はビクッとした。
「うちらは大丈夫よ。リニューアルに向けての大量雇用した人材、絶対リニューアル終わったら切るのよ。一部社員にしても全員登用なんて無理無理」
おばさんパートたちに挟まれそんな話を聞いたリニューアルのために雇用された凛子は何も返答できなかった。それにおばさんたちは気づいたようだ。
「だ、大丈夫よ! ここで頑張れば長期雇用もあるだろうし……凛子ちゃんなら大丈夫よ!」
「……でも彼氏さんいるんでしょ……結婚とか考えると切られちゃうんじゃ?」
いまだに藤本がその場しのぎの凛子彼氏いる設定を信じてるおばさんたちのフォローになってないフォローで凛子は苦笑いするしかなかった。
「はーい、おつかれさーん! 残業禁止ねー! 早くカード切って帰って帰ってー!」
アレだけこき使って残業無しね! と言いふれ回る上司に矛盾さを感じながらも……周りの慌ただしさに飲み込まれ、でもその声を待っていたと言わんばかりに、凛子はすぐにタイムカードを押して更衣室へと駆け込んだ。
身だしなみだけは整えておきたくて、鏡の前で髪を手ぐしで整え、ポーチからリップを取り出して塗り直す。なぜそこまで気合を入れるのか自分でもわからない。別に会うわけではない。
ライブに行った際、彼女よりも若い子達も多い。少しは自分も……と言う気持ちもあるのだろうか。
ライブ会場前ではシンが言ってた通り彼らがチケット販売をしておらず、他の若手の子たちがやっていた。
「よろしくお願いします!!!」
こんなにチケット持ってる列あるのにまだ席が余るのか、確かに前回までのライブも後ろ数席が余っていた印象だったのを凛子は思い出す。
だったらと凛子は晃を呼びたいところだが……やはり今はの躊躇する。
凛子が立ち尽くしていると数人の女性たちが彼女に声をかけてきた。
「あー、雨の日のー!」
と言いながら、凛子を囲んでくる。以前シンに助けてもらった出来事を通じて「ずぶ濡れ女」から「雨の日の……」という新たな呼び名で覚えられているらしい。
「どうもぉ……」
と苦笑いするしかない。それぞれピンピンズだったりベーパイだったりどの芸人が好きかわかる人や凛子と同じように会社帰りであろう女性もいる。
「そうそうシンも戻ってきたし、名前変えてグッズも売ってたよ」
「お姉さん、仕事帰り? うちらも仕事帰りだよー」
と明るく話しかけてくる若い子たちに、凛子も自然と笑顔を返す。
「うん、近いところで働いてるから」
と答える。
「これからも仲良くしてくださいね」
といきなりのその言葉に凛子はびっくりするが戸惑いながらも頷いた。
グッズ売り場に目を移すと、ピンピンズのグッズをはじめ、いろんな芸人のグッズが並んでいるのが見えた。その中に「チョウシモン」のグッズもあった。
「ピンピンズやベーポテは地元の企業とコラボしていい感じの多いけど他の芸人の子達は自主制作でね。でも、チョウシモンの2人はセンスがいいから自主制作でもものすごく出来がいいよ」
と言われて確かに……と、手にとってとりあえずロゴデザインとチョウシモンの2人がプリントされたステッカーを買うことにした。
「シンはデザイン上手いしー……こうやっていろんなスキルないと若手も大変だよね」
と、他の凛子がまだ覚えきれない若手芸人たちのグッズやらコンビによってデザインに差がある。
あまりこうファングッズみたいなものを凛子は買ったことがない。これらも彼らや事務所の売り上げにつながるというのも説明された。
「ブロマイドは買わないの?」
「ブロマイド?!」
「あ、ポラもあるよー」
「ポラ? あ、ポラロイド……の……」
やはりあまり勝手がわからない凛子はベーパイのファンの子に言われ指差された方に何種類かのチョウシモンたちの写真が。他のグループも写真がある。だがシン一人だけの写真は少ない。
「ブロマイドは変わらないけどポラはライブ前に個人が撮影するやつだから世界に一枚しかない。シンはイケメンだからポラはその日のうちにあの辺の人たちが買い占めるんだよ」
と指差す。
明らかに自分達と雰囲気がちがう、芸人ファンでなさそうな女性たちが群がっている。
「シンってさ、なんか夜の仕事してるから」
「夜の仕事?!」
「コンカフェね」
「不思議の国のアリスのやつ?」
「……まさか知ってるの?」
「百田さんからちらっと聞いてた」
「……そこのお客さんをライブに呼んでるんだけどさ、シン……」
凛子はポラを手に取る。ピースしてニコッと微笑んでいるものを。サインもよく飲み屋とかで見る芸能人のサインとは違ってシュッと書いたようなモノ。
一枚千円らしい。シンのファンたちは複数枚持っている。凛子は目視して頭の中で計算して売り上げを叩き出すと口をアングリさせる。あまりこういう文化がわからない彼女にとっては未知の世界。
やはり自分にない購買力……と思いながらしんのポラ写真を元に戻した。
だが。
「私はベーパイのナンヤのファンだから今日も5枚買っちゃう」
「うちはピンピンズの永谷っちー! あと青田買いで他の新人の子も買うよ」
と次々と手に取るファンたちに凛子は置いたシンのポラをまた手に取って店員に見せた。
「……一枚、ください」
会場に入ると凛子は声をかけてきたファンたちとは離れて自席で過ごすことにした。なんとなく自分よりも若い。
妹の美琴がいるものの美琴の友人でさえもなんか自分とはしっくりこない。
「こんなんだから……ダメなんだなぁ、自分」
シンのファンたちを改めて見る。
先ほど聞いた話だと彼女たちはシンが舞台に上がるとキャーキャーと声を上げ、彼らの出番が終わると立ち去ってしまうらしい。
つまりシンたちの出番は前まで前説の時だったため前説にごっそりいなくなる、ということらしい。
シンのポラを買ったものの、こんな若い男の子が30過ぎた自分を相手にするなんて利益がなければ多分ないだろう、と思いながらスマホのポケットにしまった。
そしていよいよ……会場内が暗転した。ライブスタートである。