凛子はラジオ局に向かうシンをマスターたちと共に見送り、
「本当は私も行きたいのですが凛子さんに代わりをしてもらいたいです。ちなみに息子の妻がメインMCなので……」
と新しいラジオのパンフレットでメインMCとデカデカと載っていたのがハナだった。
その横に隔週レギュラーのベーパイ、そして「NEW」という文字と共に昔のままの宣材写真のチョウシモンの二人。
でもちゃんとこうやって載ることがすごく嬉しく思うのだが本人たちの方が余程であろう。
「……生放送大丈夫かな……でもハナさんのラジオ聞いたことあるんですけどすごく上手で」
「任せてください。手前味噌ですが……うちのハナは幾多の困難を乗り越えていろんなステージに立ってきました。シンたちチョウシモンも若くて勢いがある、役者経験もある。度胸のある二人だ。素晴らしい二組が盛り上げてくれます……」
とマスターは目を細めるが……すこし苦笑いした。
「でもやっぱり心配……かな、本人の前では言えなかったけどね。ここだけの話。凛子さん……なので見守ってきてください」
と言われて凛子は頷いた。
喫茶店を出た凛子は、放送より早めに駅前のラジオ局へ向かった。
少し控えめに観客の端に腰かけ、人々を観察する。
思っていたよりも観客が多い。事務所ライブ会場で見かけたことのある顔もちらほらある。
ふと目が合った女性も、その一人だった。
「あれ、どこかで……」
彼女がそう言うのを聞いて、凛子も思い出す。事務所ライブにいたファンだ。たしかそのときはピンピンズのファンだった。
今日は特にグッズを身につけている様子もなく、ラフな格好をしている。凛子も同じように控えめだ。
周囲を見渡すと、観客の多くが男性だった。
「チョウシモンよりも、メインMCのハナのファンが多いのよ」
と、女性が教えてくれた。
「オタクばかりだよね……」
観客の中には、いかにもなアイドルオタク風の人物もちらほらいる。中には本格的なカメラを構えている者も。
「なんかハナさんって、昔地方アイドルだったらしいけど、もう30過ぎなのにアイドルでチヤホヤって痛いよね……子供2人いるらしいのに」
若いファンの一人の会話が耳に入ってくる。
「30過ぎの女は痛い」という、その価値観に凛子はどこか引っかかった。
自分も30を過ぎている。
年齢を重ねることは避けられない。それでも、まだ20代前半の彼女たちの口から出るその言葉に、凛子はなんとも言えない気持ちになった。
人間観察を続けていた凛子の隣に、誰かがやってきた。
「どうも」
横を見ると、百田マネージャーだった。とてもフランクな態度で、自然に隣に座ってくる。
他にも、明らかにピンピンズのファンです!といった様子の子たちが彼女に気づき、
「モモちゃん!」
と声をあげた。どうやら百田は、ファンの間では名物マネージャーのようだった。
「昨日さー、永谷っちがSNSの個人ライブで、チョウシモンが初MCっていうから見に行ける人は保護者的な気持ちで行ってくださいって教えてくれたのー」
そういえば、ピンピンズの二人は今、他の芸人と全国行脚中だった。
トップ芸人が早期に後輩を応援する、その姿勢に凛子は感心する。
百田はファンの子たちに軽やかにお礼を言い、すぐに凛子へと視線を戻した。
「ここにも来てくれてありがとう。一応、事務所のサイトでも宣伝はしたけど、それ見てくれたんですか?」
恋人のシンから聞いたとは言えず、凛子は曖昧に頷く。
「今はあの元アイドルがメインパーソナリティで、ベーポテの二週分をもらって、チョウシモンは隔週レギュラー。だから、少しでも爪痕を残さないと……お姉さんや芸人ファンのみんなが盛り上げてくれると助かります!」
百田の目は闘志に燃えていた。
「写真撮影もOKだし、SNSで拡散も自由よ。バンバンやっちゃって! それに、番組宛にメールも送れるから、ぜひチョウシモンファンとしてメッセージをお願いします! あ、そういえばお姉さん、名前なんだったっけ……」
「凛子です」
「あ、そう、そうだった! 凛子さん。チョウシモンファンの凛子より、って書いて、ぜひお願いね! 他のみんなもよろしく!」
百田の勢いに巻き込まれつつ、凛子は苦笑いしながら頷いた。
そのとき、百田が小声で耳打ちする。
「後ろの方に、属性の違うコンカフェの客の女の子たちがいるでしょ? あと、あちらにいる若い子たちは……佐藤脚本のティーン向けドラマ作品のファンね」
凛子がそっと視線を向けると、たしかにファン層がバラバラである。
「まぁ、あの人たちも大切なファン様……これから芸人としてのチョウシモンにどれだけ馴染んでくれるか、なのよね。いつもの調子でファン活動されると民度が下がるかもだけど……あ。これは私とお姉さんの秘密ね」
百田の分析は的確で、どの属性も共通して若いことが印象的だった。
「とりあえず盛り上げて、あちらのオタクたちに負けないよう、こちらもオタクとしてお願いします!」
百田の情熱に押されて、凛子は「ハイー」と返事をした。
……もし自分がシンの恋人だと知られたら、百田はどう思うだろうか。
ふと前の芸人ファンの女性たちに声をかけられる。
「お姉さん……モモちゃん、元芸人さんって知ってた?」
凛子が知らないと答えると、
「まだまだねぇ……」
とマウントを取られる。が、凛子は大人の対応でやり過ごす。
「モモちゃん、ハレノチハレっていう漫才コンビ組んでたのよ。ピンピンズよりも売れてたのよね」
凛子は知らなかった。そのことに、少し恥ずかしさを覚える。
「そうそう、事務所の稼ぎ頭で……賞レースも準決勝目前! このまま全国区かと思ったら……ねぇ」
ふたりは声を合わせて「ねぇ」と言った。
「……何があったんですか?」
「何も知らないのね。相方が妊娠、引退……女を武器にせずやってたコンビなのに。まぁ、その相方も今じゃ全国区の人気ママタレ」
「芸人より、そっちの方が手腕あったみたい。アパレルとか本とかで荒稼ぎよ」
そう言って見せられたその相方の写真を見ても、テレビをあまり見ない凛子にはよく知らない顔だった。
「今じゃモモちゃんも芸人を支える敏腕マネージャー。そっちに才能あったみたい。まぁ女は男を支える側になっちゃうよねー」
「ねー」
凛子はため息をついて、少しずつ会話からフェードアウトしていった。百田にそんな過去があったとは。あんなに明るい人なのに――。
その後、百田の言葉通り、番組にメールを送ってみようと思った。
だが、こうした番組にメッセージを送るのは初めてで、どう書けばいいか悩む。
シンには、
「今日のモーニング美味しかった」
「昨日一緒にいれて嬉しかった」
――そんなことを本当は伝えたい。でも、さすがにそれは書けない。
メールテーマは「運命の出会い」と表示されていた。
それを見て、ふと思う。
シンこそが、自分にとって運命の出会いなのかもしれない。
『最近、素敵な出会いがありました。
落ち込んでいたときに、そっと手を差し伸べてくれて、
いつも前向きな気持ちにしてくれる人です。
年下だけど、とても頼りになるし、一緒にいると自然と安心できる存在です。
今では、その人のことが本当に大切です。』
自分の書いた文の直球さに少し照れながらも、凛子は意を決してメールを送信した。
――そのときであった。