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第44話 推し活

 スタジオ内に歓声が上がる。ガラス越しにシンと佐藤、そして女性パーソナリティが登場すると、観客の盛り上がりは一気にヒートアップした。


 芸人ファンが立ち上がり、さらに後方の一角──コンカフェ時代からのシンのファンたちが、「ラギくん」と書かれたボードや写真を掲げて声を張り上げる。


「ラギくーん!」


 その熱気に、凛子は思わず引き気味になる。シンがコンカフェで「ラギ」という名で働いていることを知らない人にとってはなんだ? ということになりかねないが……。


 シンは声援に応え、クールな表情で手を振る。まるで舞台の上の彼は、昨日までの“あのシン”とは別人のようだった。


(私には気づかないのかな。)


 派手で目立つ彼女たちに、少しだけ羨ましさが混ざる。


 その時、以前よりこざっぱりとした雰囲気の佐藤が凛子の存在に気づいたのか、隣のシンの脇腹を軽く肘でつついた。


 シンがこちらを見る。ガラス越しに、凛子と目が合った。


 昨晩あれほど距離を縮めたはずの彼と、こうして“人前”で目を合わせることの不思議さ。


 シンは凛子に気づくと、照れくさそうに頬を赤らめて、こくんと小さく会釈をした。


 その仕草がなんとも可愛くて、凛子は思わず微笑んでしまう。


 人前ではあまり大きく笑わないけれど、二人きりのときは甘えん坊で、情熱的で、何より──あのハニカミ笑顔がたまらなく可愛い。


 凛子はスマホを取り出しSNSに投稿する。


「推しのラジオ公開生放送、なう」


 二人だけが分かる“秘密”を抱えたまま、その場でそっと幸せを噛み締めた。


 隣のファンは、スマホにイヤフォン、タブレットで公式のラジオブース内の映像視聴、そして肉眼でも観覧……というハイブリッドな応援スタイルをこなしていた。


「これやるとラジオの聴衆率も上がるのよ。スマホある? ラジオのアプリは?」


 小声で言われ、凛子はあたふたする。


「非公式のやり方だけど、番組を続けてもらうには数字が大事なのよ。あと、帰ったらアーカイブを“聞く”、そして“見る”!」


「あ、アーカイブ……⁈」


「SNSで拡散もね。もちろん、ハッシュタグつけて!」


「ハッシュタグ~⁉︎」


 凛子は混乱する。ネットやそういうものに疎い自分が、すっかり露呈してしまった。


「私はあくまでも名古屋ベイシーズが本家ベイシーズよりも最強事務所になってほしいから推しじゃなくても事務所同じってことで来てるのよ」


「……そうですよね、彼らの頑張りが事務所の次の仕事につながる……」


 凛子はそういうことか……と呟くとそうそう、と返ってきた。


「あと、チョウシモン好きなんでしょ? お姉さん」


「へっ?」


「ああいう可愛い子、好きそう。顔に出てるよ?」


(バレてしまった……顔にでも書いてあるのかしら)


 凛子は両手で自分の顔を覆った。そんなやりとりの最中──


 スタジオ内に大きなBGMが流れ、観客のざわめきが高まる。


『はーい! 皆様~っ! 二時間の生放送! ランチタイムレディオ、今週も始まるよーっ!』


 いつもどおり元気いっぱいのハナの声が響く。観覧席が一気に沸き立った。


『そしてそして、今日のMCは……』


 ガラス越しにチョウシモンの二人が手を振る。

 観客のテンションは一気にヒートアップし、特に後方からは「ラギくん!」とボードを掲げたファンの声援が飛ぶ。


「ど、どうもーっ……! えー、今日のMC担当します、チョウシモンですっ!」


 佐藤が緊張気味に声を張り、客席から笑いと拍手が起きる。


「ツッコミ担当の佐藤と……」


「ラギ、じゃなくて……ボケ担当の葛木シンです。よろしくお願いします」


「ラギって、茨木のラギ、今気づいた……ラギ様ってプラカード出してる人もいる」


 シンは手を観客の方に手を振る。するとさらにシンのファンたちは盛り上がる。


「……えっと、今日からですね、ぼくら……隔週レギュラーとして、この番組のMCを……やらせていただくことに、なりました!」


「はい、えー、まだちょっと慣れてないですけど……」


「でも、目指すは毎週レギュラーです!」


 と佐藤が意気込むと


「おっ、やる気ある~!」


 ハナが笑いながら合いの手を入れる。


「一応、がんばります、はい。……がんばります!」


「ふふっ、繰り返しちゃったよ、佐藤さん」


「いや、マジで緊張してるんで……!」


 佐藤の真面目な口調に、客席からも親しみのこもった笑いが漏れる。


「ちなみに、ぼくら……ベーパイと同期なんです。同じ年に事務所入ってて……あっ、初舞台も一緒で」


「まあ……仲はいいんですけど、負けたくない気持ちもあります!」


「おお~、ライバル意識、いいねぇ~!」


「……まあ、まずは足引っ張らないようにします、はい」


 やや噛み気味の佐藤に、シンが小声で「落ち着け」と笑いかける。

 その様子に、会場全体が温かくほころんだ。


 ──ガラス越しにその光景を見ていた凛子も、ふっと息を漏らす。


 隣では、スマホとタブレットを駆使するファンが熱心に音声チェックをしていたが、凛子はただ、彼の姿を目で追い続けていた。


 ふと、視線の先に──百田が他のスタッフと共に神妙な顔をして見ていた。

 腕を組み、表情はほとんど変えず、ブース内の二人をじっと見つめている。


 喋りのテンポが少しぎこちなくなった瞬間には、まばたきを一つ。

 シンが笑いでごまかした場面では、わずかに口元が緩んでいた。



 百田の存在が、なんだか心強く感じられた。


 (ちゃんと見守られてる……)


 凛子は思う。優しく見守るその姿に凛子も安心できた。


 チョウシモンの二人はまだどこか不慣れで、緊張が透けるMCぶりだったが、それでも堂々と喋ってている彼が少し誇らしかった。




 そしてなんだかんだで、あっという間に二時間の生放送は終了した。




 初めての公開収録。凛子はドキドキしながらも、たくさん笑って、楽しんでいた。


 席を立とうとしたとき、近くのピンピンズファンの会話が耳に入った。


「チョウシモンよりベーパイの方がよくない? あの二人、なんか役者崩れっぽくない?」


 役者崩れ──元劇団員だったことは知られていたが、その言い方に凛子は胸の中がざわついた。


「コントの方がいいのに、漫才にこだわっちゃってるの、なんか惜しいよね」


「声は通るんだから、トーク鍛えればいいのに」


「佐藤の方も髪型すっきりしてさ……笑いは難しいけど、見た目でなんとかしようとしてるの、ちょっと透けて見えるっていうか……」


 まるで応援と批判が紙一重であるかのように、ファンの会話は冷静で、時に鋭い。


 凛子は、芸人の世界の厳しさを、ほんの少しだけ垣間見た気がした。


 その時だった。


 ポケットの中でスマホが震える。


 こっそり取り出して確認すると──送信者はシン。


 誰にも見られてはいけない、と思いながら、凛子はそっとメッセージを開いた。


『来てくれてありがとう。どうだった? あとでモリスで会おう』


 たったそれだけの短い言葉なのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 シンは、今夜も喫茶店モリスにいる。

 ラジオの顔とは違う、素の彼にまた会えるのだ。


 ここに来ているファンの誰にも知られてはいけない関係──

 それが、少しだけ甘くて、ちょっとくすぐったい。


 ふふふ……と、凛子はつい笑みをこぼした。


 凛子は夕方になると喫茶モリスへと向かった。


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