「な……」
『マスター! 右手を!』
相棒の指示に、思考が固まったまま首を巡らせる。
ぴっちりと隙間なく並んだ六角形のハッチの群れ。その一つが、ゆっくりとスライドするようにして競りあがって来ている。
小部屋は、六角形のハッチそれぞれの頂点を支えるシャフトと、それを支える支柱で出来たフレームで構成された非常に簡素なものだった。その内部に、のぞき窓から垣間見た卵状の冬眠カプセルが収まっている。設置された警告灯が赤い点滅を繰り返し、中に人が収まったままのカプセルを照らすと、内部でごぼり、と何かの液体が波打った。それは照明によって赤く染まり、まるで血のようにも見える。その内部で揺蕩う、黒い人影。
『やはりコールドスリープ装置にも異常が……マスター! 一刻も早く処置を……マスター!』
「あ、お、おう!!」
惚けていた所を相棒の喝で正気に戻り、慌ててアーネストはカプセルへと駆け寄った。
「いやでも、これどうすればいいんだ!?」
『このタイプは緊急時には強制除装できるはずです、カプセルの正面に緊急パッチボタンがあります、それを強く押して破れば分解酵素が放出されます、破いて中の人員を外部に出してください!』
「そんな手荒でいいのか!? わ、わかった、ちょっと待ってろ……!」
言われた通りにカプセルの表面をまさぐり、銀色のパッチを見つけたアーネスト。それを強く押しこむと、何かが弾けるような手ごたえと共に、パッチ周辺のカプセルの色合いが白く変色する。明らかに劣化しました、といった変化を遂げたカプセル表面は輝きを失い、ざらざらとした手触り。それに指を強く押しこむと、ベリべり、と宇宙船に何十年も晒された包装紙のように、カプセルの表面が千切れて裂けた。指を引き抜くと同時に爪を欠けてカプセルを引き千切ると、内部の溶液がぼわわ、と球状にあふれ出して無重力の室内にシャボン玉のように舞い散った。
大きく引き裂いた内部に手を入れて、眠っている人間を引きずり出す。
「いっせー、の……って、うぉっ」
人を一人引きずり出すのだ、気合を入れて力を入れたアーネストは、しかし想像以上の手ごたえの無さに思わず背後へと仰け反った。靴裏の磁石で床に足をくっつけているのでひっくり返る事はなかったが、大きくブリッジしたような姿勢になる彼の目の前に、ふわりとカプセルから解放された人間の姿が浮かび上がるように露になる。
黒い髪。目を閉じた顔は細く整っていて、均整がとれている。体格は華奢で、それでいて滑らかな凹凸があった。触れれば柔らかそうな肌理の細やかな肌は、今は長い冷凍睡眠に青白く色あせている。無重力に、ふわりと髪が広がって、極小の水の粒を羽ばたきのように散らした。
その、生命の柔らかさと、停止の硬質さを併せ持つ少女の姿に、しばしアーネストは目を奪われた。
そういえば、冷凍睡眠の時は皮膚炎を起こす危険があるので衣服とかつけなかったんだっけ、と彼の脳裏に呑気な感想が横切った。
『……マスター。申し訳ありませんが、救命行為を続行していただけますか?』
「はっ!?」
相棒に突っ込まれ、アーネストは我に返る。彼が少女の裸体に見入っていたのは数秒の事とはいえ、人の、それも異性の裸を無遠慮に観察するなど犯罪的行為と糾弾されたら言い逃れができない。
慌ててスペースジャケットを脱いで少女の裸体に被せる。
「い、いや、これは、その、あれであってだな!? そういう意図ではなくってな!?」
『……はあ。まあ一応、恒星間移民法においてコールドスリープ処置におけるその手の猥褻問題については是非を問わないとされていますが。あまり悪質な恣意的運用をするとそれはそれでしょっぴかれますよ?』
「う、うぐ……。わ、わかった、気を付ける……」
ここで何をいっても藪蛇だと判断したアーネストは、苦虫を噛むような顔で相棒からの嫌味を受け入れた。
それに今はそれどころではない。
断熱効果のあるスペースジャケット越しでも分かるほど、少女の体は冷たく硬く、まるで氷の彫像のようだ。コールドスリープしているのだから当たり前とはいえ、生命維持を行うカプセルから出した以上、迅速に蘇生処置を行わなければ本当に死体になってしまう。
「どうすればいい? コールドスリープの蘇生処置の訓練なんかカリキュラムになかったぞ」
『急いであちらにある覚醒室に連れて行ってください。それと、絶対に素肌に直接手で触れないでくださいね。深刻な炎症につながる恐れがあります』
「宇宙空間で素肌を晒すほど間抜けじゃないけど、わかったっ」
ジャケットの下にもインナーを着ているからそのあたりは抜かりが無い。フライトグローブを付けたままの指で少女を抱きかかえ、指示された覚醒室に急ぐ。
近づくと自動的にドアが開き、内部に電源が灯った。
緑色の照明で照らされる室内。その中央に太い柱と、それを取り囲むようにいくつかのカプセルベッドのようなものがあった。近づくと自動的にそのうちの一つがガシュゥと開閉し、アーネストを待ち受けている。軽くのぞき込むと、ベッドの内部は凹凸でボコボコとしていた。冷凍睡眠状態の患者の皮膚がくっつかないようにする工夫だろうかとアーネストは感想を抱いた。
「それで、次は?」
『患者をベッドに寝かせてください、勿論ジャケットは脱がせてくださいね。ゆっくり、やさしくです。やらしくじゃなくて、優しくですからね?』
「うっさいわ!」
もしかして今後しばらくこの事で揶揄われるのかとゲンナリしつつ、アーネストは不発弾の信管に触れるような慎重な手つきで少女をベッドの内部に横たわらせた。死後硬直で固まったような硬い関節を無理に曲げないようにしながら位置を調整し、ジャケットをはぎ取る。剥ぎ取る瞬間に一瞬少女の裸体が目に入ったが、すぐに顔を逸らした。これ以上相棒から失望を買うのは勘弁である。
『患者の収容を確認しました。覚醒装置を閉鎖します』
天蓋が降りていく。圧縮空気の音で閉鎖を確認したアーネストは、逸らしていた顔を戻した。カプセルベッドは低い音を立てながら稼働している。天蓋に小さな覗き窓があり、それを覗いてみると内部に収容されている少女の顔が少しだけ見えた。
「これで大丈夫なのか?」
『はい。あとは自動的に覚醒処置を行ってくれるはずです。今のうちに、彼女に着せる衣服を探してください』
「い゛っ。いや、まあ、そりゃそうだよな……どうしようかな」
言われて覚醒室内を見渡すと、ベッドの他には保温室と銘打たれた別室と、壁際にロッカーが並んでいるのが確認できた。
もしかして収容人数の数だけあるのだろうか、膨大な数の小さな棚を調べると、どうやら鍵はかかっていないようだった。移民船団では私物などほとんどないだろうし、防犯の概念が薄いのだろう。だから逆に強制猥褻などの罪は重いのだが。
とりあえずその中から、少女に似合ったサイズの貫頭衣を探しだす。白い布はやたらとやすっぽい質感で、何度も船内で再生産されてきたのが伺える。アーネストの記憶によればコールドスリープも無限に出来る訳ではなく、定期的に覚醒、再度長期冷凍睡眠に入るために治療が必要だったはずだから、その為に簡易的とはいえこういった衣服は必要なのだろう。それが何度も行われてきたという事からも、この船が途方もない時間を乗り越えて来た事がわかる。
「まあ、通常航行で宇宙の果て、別の銀河へ、だもんな。船がぼっろぼろなのも仕方ない話か……」
『当時の地球の技術力等については推察するほかはありませんが、数百年以上という時間経過を実地検分は流石にしていなかったでしょうね。理論上は問題なくとも、宇宙という過酷な環境では予想を上回るトラブルがつきものです。この船は運が悪かったのか、よかったのか』
「だなあ」
その点では、アーネスト達の先祖は破滅的といってもいい幸運に見舞われたといっていいだろう。何せ、生命維持が最優先で科学研究など望みようがない移民船の内部で、革新的な、常軌を逸した技術の発明に成功したのだから。
それがなければ、今もまだ、この船のように宇宙を彷徨っていたかもしれない。
とはいえ、遥かなる宇宙の浪漫に思いをはせるのも程ほどに。ふわふわの暖かそうなタオルを見つけると、アーネストはベッドの横に戻った。
宙を漂っているジャケットを手に取って袖を通す。少女を包んだジャケットは、ほんのり薬品の匂いがして湿っていた。
「……」
『マスター?』
「わ、わかってるって、嗅いだりしないよ!?」
ちょっと薬臭いのを我慢してジャケットに袖を通す。ステーションに戻ったらきちんと洗おうと心にメモしつつ、アーネストは傍らに貫頭衣とタオルを浮かべ、腕の端末に目を向けた。
残してきた船やUMEからの報告はない。船員に見つかったりはしていないようだ。
「乗員の冷凍睡眠装置に不具合があったのに保安員とかが飛んでこないのか? かなりやばいんじゃないか、この船」
『内部の監査機能がおかしくなっているのかもしれませんね。マスターの火事場泥棒的発想がなければ、彼女は助からなかったかもしれません』
「お前な……」
確かにその通りなのだが、妙に言葉に棘があるのは気のせいだろうか、とアーネストは首をひねった。このAIとは長い付き合いになるが、しばしばこうして妙に言い回しが人間的な事がある。
嫌われている訳ではないとは思うのだが。
『それで、どうするんですか、マスター』
「どうするって?」
『しっかりしてください。この船に潜り込んだのは、何か未知の、失われた資料なり物資なりを狙っての事でしたよね。その捜索はどうするんですか?』
言われてアーネストははたと思い出した。
そう、そもそも別に彼は人命救助のためにこの船に潜り込んだわけではない。むしろその逆、船の物資を掠め取ろうとしていた訳である。思わぬ展開で救助活動に専念する事になったが、そもそも不法侵入者。あまり船員と関われば掴まってしまうかもしれない。
道理でいえば、そろそろこのあたりで切り上げて、船の内部の探索に向かうか、あるいはこれ以上トラブルに巻き込まれるまえに船を去るべきだ。
だが……。
「馬鹿をいえ。こんな状態の人間と船を放っておけるか。そんな事したらそれこそ犯罪者じゃないか。俺達は美食ハンターであって、コソ泥じゃないの」
『了解しました。マスターがそうおっしゃるのであれば、異論はありません』
「なんかいちいち引っかかる言い方するなあお前……」
『いえいえ、そんな事は』
どうだか、と憤慨したように腕を組むアーネスト。
実際の所、そういう考えが無かったというと嘘になる。いや、本当はさっさと船の奥へと探索に行きたい。別に取っ掴まりたい訳でもないし、経緯を見れば見るほどこの船にはお宝の気配がする。ほぼ間違いなく、アーネスト達の文化からは失われた技術が、この船には残されている、そう彼の直感が訴えている。
が、アーネストは率直に欲望を満たす事を選ばなかった。一人であればそうしていただろう。だが、彼の傍らにはAIが居る。常に彼と行動と共にし、その一挙手一投足を見つめているこの相棒に、人として情けない所を記録されたくないと、意地を張ったのだ。
それは、人によっては良心とも、誠意とも呼べるべきものである。今回、アーネストはそれを優先した、それだけの事だ。
アーネストが不貞腐れたように口を紡いでしまったので、AIもそれ以上何かを言う事はない。沈黙が覚醒室に満ちた。
しばしの静寂は、ぴぴっ、という電子音によって破られた。
『覚醒処置が完了したようです。覚醒したての患者は意識が朦朧としているので危険です、処置を行ってください』
「しょ、処置って何すればいいんだよ?」
『体を拭いてあげるとか、声をかけてあげるとか、とにかく思いつく事をしてあげてください。破廉恥異な事はしないように』
「しねえよ!?」
言い争っている間にも、カプセルベッドの蓋がゆっくりと開いていく。中からは白く濁った蒸気と細かい水滴がビーズのように噴き出してアーネストのジャケットを濡らした。
蒸気の向こうに赤く色づいた少女の肌がちらりと見えた瞬間、彼は慌ててタオルを彼女に覆いかぶせた。
「う……」
少女が呻いて目を開く。
声をかけようとして、アーネストは自分がヘルメットを装着しているのを思い出して、それを除装した。相手は冷凍睡眠の寝起きだ、最初に見るのが威圧的なヘルメットなのは精神的によろしくないだろう。
灰色の髪を少しだけクシャっとほぐして、アーネストはベッドをのぞき込むようにして少女に語り掛けた。
「おはよう。大丈夫か?」