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第十話 繋がっている


「ポタージュ? それに、宇宙ポテト、だと?」


 困惑した様子で、アウスビッツは皿の上に視線を戻す。


「あのような汚物を、私に食べさせようというのか? いや、しかし」


 宇宙ポテトといえば、サプリメントの類の原料となる野菜だ。だが過酷な宇宙環境や荒れ果てた開拓惑星での生育を最優先した結果、毒素や苦みがあまりにも強く、食べられるようなものではない。あくまで資源に乏しい環境で有機物を得る為の手段であって、扱いとしては有機資源、培養プランクトンと変わらない。少なくとも銀河連邦での認識はそうだ。


 だが、皿に満たされた乳白色の液体は、そのイメージとは程遠い。それどころか、宝石のような煌めきすら帯びている。


 ごくり、と唾を飲み、アウスビッツは手にしたスプーンをポタージュに沈めた。


 重い。


 液体というより固形物のようだ。それでいて、スプーンで皿の中身をゆっくりとかき回してみると、なめらかに液面が渦を描いた。


「いただこう」


 恐る恐るスプーンにすくった一滴を口に運ぶ。


 飲み込む瞬間、甘い匂いが鼻孔を通り抜け、その嗅覚に胃がどくん、と蠕動する。単に甘味フレーバーを加えているだけではない、もっともっと複雑で原始的な香り。単純に甘い香りなのではなく、いくつもの匂いが混ざり合って、結果的にそう感じられるのだと、体が、血が覚えている。


 音を立てずに液体を口に含む。


 スプーン一杯の僅かな量。だが、それだけで口いっぱいにまず、豊潤で柔らかな甘みが広がった。その中にくるまれているのは、野生的なブイヨンや野菜由来の旨味。だがその奥に、さらに繊細で優しい甘味……素朴な、でんぷん由来の味わいが残る。たちまち唾液が湯水のように湧き出してきて、口の中の液体と共に喉へと滑り落ちていく。飲み終えた後には、さわやかな後味がかすかに残る。


 無言でアウスビッツは二口目を口へと運んだ。


 ゆっくりと味わうと、まるで繊維が解れるようにいくつもの味わいが顔を覗かせる。画一的に調整されたフレーバーではなく、素材由来の甘味、旨味、そしてそれ以外の味わいが、懐の深い脂肪由来のまったりとした甘みに包まれて混然一体とスープに溶け込んでいる。


 まるで白い霧の中に隠された秘密を探す悪戯のようだ。


 気が付けば、皿に満たされていたポタージュはすっかり空になっていた。


 茫然としてアウスビッツは今しがたの体験を振り返る。他の高官達も概ね同じような反応だ。茫然と、陶然としつつ、空になった皿をしきりに見下ろしている。


 今のは、一体なんだったのだ。


「これは……」


「ポタージュは、地球時代、フランスと呼ばれた国での料理文化が発達する過程で完成したスープの一種だと言われています」


「スープ……これが?」


 料理文化が根絶された銀河連邦でも、スープという概念はない訳ではない。ただそれは、サプリメントの摂取が困難な状態の病人などに用意される医療食のようなもので、水に規定の栄養分を溶かし、飲みやすいように何らかの単純な味付けがされただけの、薬湯のようなものだ。


 このように、七色に変化する深い味わいは、高官であるアウスビッツでも初めて口にした。


「スープといいましても、その種類は様々。多くの材料を潤沢に使い、深い味わいを実現したスープをこえるスープ、それがポタージュと呼ばれるものです」


「……先ほど、宇宙ポテトのポタージュだといったな。本当にこれが? 私の知る宇宙ポテトは、黒くて苦くて、とても食べられたものではなかった。だがこれは……」


 皿の上にかすかに残る白い液体、それが帯びる虹色の煌めきを見てアウスビッツが困惑する。


 その答えを、ガラガラと音を立ててアーネストが運んできた。


 彼が運ぶ台車の上に、茶色い根菜がごろごろと乗っている。その一つを手にして、彼は銀河連邦の一行によく見えるよう差し出した。


「これが原料に使われてる宇宙ポテトです。正確には、宇宙ポテト・プライム、といった所ですかね?」


「どういう事だ、チャーチル」


「我々の知る宇宙ポテトは、劣化に劣化を重ねた粗悪品だったって事ですよ」


 銀河連邦の事情を知るアーネストが、ナイフで宇宙ポテトの皮をむく。小器用にくるくると剥がされていく皮の下から表れた果肉の色を目にして、アウスビッツと他の高官達がどよめいた。


 皮の下から現れたのは、赤色に煌めく結晶のような果肉。野菜というより、まるで飴のような色合いのそれは、彼らの知る宇宙ポテトとあまりにもかけ離れている。一つ、赤い宝石のようなポテトを剝き終えたアーネストは、二つ、三つと皮をむいだ。


 緑色。黄色。宝石のように色鮮やかな様々な煌めきが、テーブルの上に並べられていく。


「どうぞ」


 その一個を、アーネストはアウスビッツに差し出した。手に取ってみると、見た目以上にずしりと重い。


「チャーチル、説明してくれ。私にはもう何が何だかわからん」


「勿論。えっとですね、こちらの移民船に積まれてる宇宙ポテトは全部こんな感じらしいんですよ。小惑星や衛星の地表の砂でも、僅かな水と太陽光さえあれば育つ強靭さを持ち、特殊な色素と強固に結晶化したでんぷん質で有害な放射線等から身を守る。生育には50年近くと非常に長い時間がかかるものの、過酷な宇宙移民を支えるために地球時代の遺伝子工学の粋を尽くして生み出された野菜、それが宇宙ポテト……らしいです」


「話を聞く限りは我々の知る宇宙ポテトとそう違いは……いや、待て。収穫に50年近く、だと?」


 アーネストの説明を受けて、アウスビッツは困惑しつつも顎に手を当てて考え込んだ。ポタージュの衝撃で半ば麻痺していた思考が回転を始める。


「そうか……我々の先祖がたどり着いた星はそこまで劣悪な環境ではなかった。とはいえ次元跳躍を手に入れた事で人類の活動範囲は飛躍的に増大し、それに伴い人口も増加。急遽大量の有機資源が必要になった。それで……!」


「俺も同じ考えです。多分、50年という生育期間を先祖は待てなかった。なので品種改良というか、品種改悪を行い、栄養源の補給だけを目的に大幅に生育期間の短縮を行った。その結果、野菜としての品質は話にならないほど劣化し、我々のよく知る宇宙ポテトになり果てたという訳です。そして大量生産、大量消費の影で、本来の宇宙ポテトについてはすっかり忘れ去られてしまった……」


 訥々と語るアーネスト。


 彼自身、こちらの宇宙ポテトを料理しようとして大失敗したので、そのあたりはよくわかっている。その点では、移民船からするとこれが当たり前なので何とも思っていなかったのだ。事情を知らなければ交渉素材にも出来ない。


「で、大事なのはこれからです。あの移民船、ヤマトタケルには、同じように銀河連邦から失われた動植物や概念が、まだ無数に眠っています。この宇宙ポテトしかり、ポタージュなど料理の文化ないし、他にもいろいろ、ね」


「なるほど。お前の言いたい事はよくわかった」


 自分の専門分野の話をしている内に落ち着いてきたのか、アウスビッツは落ち着き払ったいつもの鉄面皮で、口をナプキンで拭った。


 スプーンを皿の上に戻し、軽く神奈へと頭を下げる。


「美味しかった。ありがとう。この調理は君が?」


「え、えと。はい」


「……式部さんといったね。君は、あの船の調理長か何かなのかね?」


 当然と言えば当然の疑問に、神奈はフルフルと首を振った。


「い、いえ。私は調理技能をもっただけの一般船員でして。あの船では、同じぐらいのものを作れる人がいっぱいいます。私も、どうしてこの場に呼ばれたのか分からないぐらいで……」


「ふむ」


 畏まる神奈にアウスビッツは神妙に頷き「いっぱいいる、か」と小さくつぶやいた。


「なるほど。それが、貴方たちの切り札、という訳ですか」


「切り札、とは異な事を。私達に、貴方たちに何かを要求するような力はない事はご存じのはず。ただ、貴方たちの慈悲を請いたいと、願い出ているだけです」


 四菱がいけしゃあしゃあと宣う。一見すると弱気そのものの発言だが、ここは一応、公式な会食の場だ。他の高官の視線もある中、うかつな発言はその是非を後々問われることになる。


「なるほど、ね」


 アウスビッツは、その好々爺とした四菱の表情の裏にある彼の思惑を見て取った。


 もし、ここで出されたのが、移民船にしかない素晴らしい材料であったとしよう。その場合銀河連邦は、それを貴重な財産として丁重に保管し、その上で船を処分した事だろう。重要なのは積み荷であって、船ではないからだ。


 だが、出されたのは宇宙ポテトの原種。確かに今は失われたものではあるが、それ成れの果ては銀河連邦全域に流通している。それと比べれば、原種からどのように劣化、改悪されたかが一目瞭然だが、それはつまり今と過去、移民船と銀河連邦が地続きである事を強く意識させるものだ。そして同時に、銀河連邦が必ずしも過去から進歩している訳ではないという事実を突きつけてもいる。その事は、銀河連邦の正義を僅かなりとも揺るがせるものだ。


 それに、これを調理したのが一般船員であり、その手の技能を持ち合わせた人間が多数いるというのも争点になる。貴重なモノであれば確保すればいいが、人はそうもいかない。我が家であり心の支えである移民船を処分されたという事実は、彼らの心に銀河連邦への深い不信を根付かせる事になるだろう。


 ちらり、と彼はアーネストに目を向けた。彼がこの展開を描いた訳ではないだろうが、彼を通して銀河連邦の価値観を把握し、この短時間で戦略を固めてきたのなら、この四菱という男、相当の食わせ物である。そういった人物に、恨みを買う事態は避けたいというのが正直な本音だった。


「なるほど。わかりました。……ですが、事は文化、歴史にまつわる重大な案件です。私一人では即断しかねます」


「そんな……!」


 神奈が悲痛な声をあげる。だがその後ろで、四菱はにんまりと笑顔を浮かべた。


 アウスビッツは続ける。


「ですが。私の権限で、その時間を稼ぐ事は出来るでしょう。よろしいでしょうか、皆さん」


 彼が居合わせた高官に語り掛けると、皆が神妙な顔で頷いた。


 きょとん、とした顔でその一連の様子を見ていた神奈の顔に、徐々に笑顔が広がっていく。一方、アーネストはわざとらしい茶番劇に、お役所も大変だねえ、と苦笑を浮かべた。


「じゃ、じゃあ……!」


「ええ。こちらの方で大型レッカー船と、工作船を呼び寄せましょう。それらを用いて移民船の修理と減速を行います。ですが、こちらが出来るのはここまで。後々、スケジュールを再調整したうえで、移民先について協議する事になるでしょう。その結果までは、責任を取れませんよ」


「大変ありがたい。銀河連邦のご温情に感謝します」


 二人の代表同士が、がっちりと握手を交わす。


 それを神奈は目をキラキラさせて見守り、アーネストはやれやれ、とその背後で肩を落とした。


「これでなんとかなったか」


「それはそうとチャーチル。貴様がここにいる説明はしてもらうぞ」


「げぇっ」








 宇宙を進む巨大移民船。それに、やはり巨大な構造物が近づいていく。


 黄色にカラーリングされた、三角柱のような物体。移民船に比べれば質量的には十分の一以下だが、銀河連邦においては相当の大型船だ。


 居住ステーションなどを牽引する、超大型レッカー船だ。このサイズのものとなると連邦管轄となり、一般市民に動かせるものではない。アウスビッツが約束を守った証明だ。


 それが三隻。移民船と相対速度を合わせ、その船主へとドッキングする。


 火花を散らして接続作業が開始される。それと同時に、無数の小型の工作船がその周囲を行き来する。


 これから一週間かけて移民船へレッカー船の固定が完了したら、それらに備わっているソーラーセイルを用いて重粒子レーザー砲による減速作業が開始される。劣化した移民船がその衝撃に耐えられるかについては、船の調査と修理状況の進行次第だ。少なくとも、今現在急ピッチでそれらの作業は進められている。


 とりあえずは、当面の危機は脱したといってもいいだろう。そこからどうなるかは、移民船の乗員たち次第だ。


 その様子を、アーネストは紅蓮丸の操縦席から見送っていた。


 少しずつ離れていく船と、チカチカと輝く作業の光を見ながら、コンソールに足を投げ出して、少し不貞腐れている様子だ。


「あーあ。結局、何もゲットできなかったな」


『仕方ありませんよ。無罪放免の代償という奴です』


「そうなんだけどさー」


 愚痴りつつも、一応納得するしかない。移民船団側の法でも、銀河連邦の法でもアーネストは立派な不法侵入者だ。それが今回の一件での貢献を認められて特例扱い、無罪放免となったのだから文句を言う訳には無い。それでも結局、当初の目的は何も達成できなかった。


 とはいえ、収穫がなかった訳ではないというか、それを収穫といっていいのか、よく分からない事はあったが。


「……で。君は本当にいいのか、式部さん」


「はい!」


 一人しかいないはずの操縦席、アーネストは真横の副操縦手の席へと語り掛けた。そこでは、真新しいスペースジャケットに袖を通した式部神奈がちょこんと行儀よく席に収まり、にこにこと微笑んでいた。


「移民船の一員として、一足早く銀河連邦の社会を知る為にも、アーネストさんに御恩をお返しするためにも、この式部神奈、粉骨砕身の思いで頑張らせていただきたいと思います!」


 そういう事である。


 それも言い出したのは彼女からである。当初、アーネストは流石に断ったが、移民船側も銀河連邦について理解を深めるために何人か送り出す事を考えていたし、銀河連邦も移民船団側の持つ知識や社会常識が現状の社会に悪影響を与えないかという懸念があった。両者の都合が一致した結果、アーネストの意志は完全に無視され、こうして新たなクルーを迎える事になった訳である。


 勿論最アーネストは抵抗したが不法侵入という事実を盾に押し切られ、「十代の少女を男と二人きりの宇宙船に詰め込んで何かあったらどうするんだ?」という最後の抵抗は、「ほほう? つまり、それは性犯罪の予告か?」というアウスビッツの恐ろしい笑顔と、「移民後の出生率は高いほどいいですからな」という四菱の笑顔に封じられた。いうまでもなく、話が出たときにはアーネストに退路などなかった訳である。神奈本人は顔を真っ赤にしていたが、それでも船に乗り込んできたのだから意志は固いのだろう。


「そ、そうか」


『よろしくお願いします、神奈。私はレヴィ。この船、紅蓮丸の制御AIを務めさせていただいております』


「これは、ご丁寧にどうも。式部神奈と申します、今後末永くよろしくお願いします、レヴィ様」


 さっそく、相棒と仲良く挨拶している彼女の姿を見て、アーネストははぁ、と小さくため息をついた。


 悪い子ではない。気立てもよいし、何よりアーネストが探し求めた料理技能を持っている相手だ。これで、ようやくアーネストが長年追い求めていた美食ハンターとしての仕事は、ようやく真の始まりを迎えたともいえる。


 それを考えると、子守りを押し付けられたのも、そう悪い話ではないのかもしれない。


「まあいい。いつまでもこの宙域にぶらついていてもしょうがない、一旦銀河連邦中心部に飛ぼう。そこで式部の必要なものを買いそろえるとしようか」


「まぁ。よろしいのですか?」


「女の子にみすぼらしい恰好させられないでしょ。今回は俺のおごりだから、あのおじいさんにはよろしく言っておいてくれ」


 気分を切り替え、航路の設定を開始する。興味深そうにのぞき込んでくる神奈に見えるように、コンソールを操作して、アーネストは相棒に指示を出した。


「じゃあ、出発だ、レヴィ。機関始動! 規定の航行エリアまで移動し、跳躍航行を行う。出発だ」


『了解です。紅蓮丸、発進します』


 紅蓮丸の両翼のエンジンに光が灯る。通常推進で動き始めた紅蓮丸は、一度だけバンクするように翼をひるがえして、大きく進路を変更した。


 移民船の姿がどんどんと遠ざかっている。宇宙の星々の輝きの中に消えていく。


 最後に我が家の姿を一度だけ振り返って、神奈は操縦席に目を戻した。傍らのアーネストの横顔を見ながら、この先に待ち受ける未知の世界に目を輝かせる。





 きっと、ここから始まっていく。



 新しい、歴史が。




「プラズマ核融合炉オーバードライブ。高次元跳躍航行ドライブユニット、展開!! 目標地点……ティファレト銀河、惑星エロハ近辺。……出発!」





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