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スペースモスの野菜しゃぶしゃぶ

第一話 渡り鳥達の枝



 無限の宇宙を飛ぶ紅蓮丸。


 漆黒の闇には、砂金をばら撒いたように無数の星の輝きが瞬いている。暗黒空間の99%は無と言われているが、遮るものの無い宇宙では星の光は遠くまで届く。中には、とっくの昔に終焉を迎えた星の名残が、こうして輝いている事もあるのだという。


 宇宙はあまりにも広く、そして光はあまりにも遅い。例え跳躍航行という距離と時間を超越する技術を手に入れたとしても、宇宙において生命が絶対的に孤独だという事実は変わらない。そんな宇宙を、一人渡るのは時に恐怖すら感じる。


 ただ、その孤独は、傍らに一人いれば収まるものだと、アーネスト・チャーチルはしみじみと感じ入っていた。


「わあ! これがそうなんですね、ネストさん!」


「ん。まあ、そうだね。」


 傍らで、はしゃぐような声が上がる。黒い髪を無重力になびかせる少女が、アーネストの座席を掴んで横から顔を出していた。


 式部神奈。ひょんな事から、アーネストがその身柄を預かる事になった少女だ。扱いは、新入社員という事になるのだろうか?


 遠く地球から枝分かれした、違う移民船の搭乗員。宇宙の果てを夢見て眠りについた彼女は、どういう運命によるものか今、こうしてアーネストの操る紅蓮丸の操縦室に居る。


 彼女は正面に投影される、拡大された銀河や星雲の映像に魅入っているようだ。


 ここは地球から遠く離れた宇宙の彼方。地球からでは超高性能な望遠鏡を使っても微かにしか見えない天体現象も、宇宙船に備え付けの望遠レンズではっきりと確認できる。逆巻く活動銀河核、その中央から吹き出すジェットの拡大映像に魅入る少女の横顔は、その光を受けて青く輝いているように見えた。


「地球では限界ギリギリまで拡大した画像しか見られないものが、こんなにはっきり……!」


「はは、俺は生まれたころから当たり前みたいにあったものだけど、そんなに珍しいかい?」


「はい、とても綺麗です!」


 溌剌とした笑顔を向けて微笑む神奈に、そっか、とアーネストは満足げに頷いた。


 さて、遠く未来の、見知らぬ文明圏で目覚めた移民船の乗員。宇宙を生活の場とした銀河連邦での生活はさぞ未知と困惑に苛まれるかと思いきや、当初懸念された文化の違いによる問題は、驚くほど小さい。


 少なくとも、一週間以上にもなる彼女との共同生活で、声を荒げるようなトラブルは皆無であった。


 それに関しては、彼女がエリートだけが選出される移民船の乗員であった事と、銀河連邦の技術が地球のそれより発展していたというのが大きい。


 進んだテクノロジーというのは、最初こそ戸惑うものの慣れるのも早い。場合によっては原理をよくわからないまま使っているだけのアーネストよりも、彼女の方が理解して宇宙居住用のシステムを使いこなしているかもしれない。


「それにしても、こんな機能が紅蓮丸にあったとは思わなかったな。こいつに乗って数年になるけど、こんなロマンチックな機能があったとはね」


「元軍用機という話でしたっけ? でしたら、星図などから現在位置を特定する機能があるはずだと思ったんです。地球でもとても古い時代、通信機もレーダーも不完全だった時代、飛行機乗りに星詠みは必須の技能だったそうですよ」


「へぇー……」


 思わぬ知識を披露されて、アーネストは興味深く頷いた。


 この通り、概ね共同生活は順調に進んでいた。むしろ、彼の方が様々な知識を披露する彼女に教えられているまであると言える。


 たった一つの懸念点を覗いて。


 ポーン、と機内に通信が流れる。AIの提示報告。


『通達です。栄養補給の時間になりました。既定の手順に従い、所定の栄養を摂取してください』


「おっ、もうこんな時間か」


「……そうですね」


 操縦室の天井を見上げて何の気なしに呟くアーネストに対し、神奈はちょっとだけ微妙な顔をする。


 早い所慣れた方がいいと思うけどな、と思いつつ、彼はベルトを外して無重力に身を浮かせた。


「じゃあ、ちゃちゃっと済ますよ。レヴィ、自動操縦よろしく」


『了解しました』


 相棒に後を任せると、彼は壁に埋め込まれたボックスを開く。中にはピルケースのようなものがいくつかと、機械が一つ。スイッチを入れると、うぃーんという音と共に水の充填されたバルーンが膨らんだ。ピルケースとバルーンを、アーネストは神奈に投げ渡すと、自らもそれを手にする。


 ピルケースの内部には、栄養補給用のサプリメントがいくつかと、ストローが入っている。錠剤を口に放り込むと、ぶす、とバルーンにストローをさして中身を吸い上げる。


 無重力空間では水は器に収まらない。このバルーンがコップの代わりなのである。


 わずか数秒で手早く補充を終えるアーネストに対し、神奈はピルケースを前にどうにも考え込んでいる様子だった。


「……やっぱ、苦手?」


「い、いえ。大丈夫です!」


 アーネストの窺うような視線に神奈は首を左右にふると、手早く錠剤と水を口にした。飲みづらそうに大粒のサプリメントを嚥下する。


「ぷはっ」


「こっちの流儀は、まだ慣れない?」


「……すいません」


 席を蹴って隣にやってくるアーネストに、取り繕う方が失礼かと思ったのか、ためらいつつも神奈は正直に頷いた。 


 補給を終えた後のゴミを受け取りながら、アーネストはどうしたもんかな、と眉を顰めた。 


 銀河連邦の生活様式に難なく適合したように見える神奈の、唯一の問題がこれだ。


 効率的といってもサプリメントや少量のブロック状食品で済ませる食事は、彼女にとっては酷く耐えがたい試練のようなものらしい。必要量を摂取しても収まらない空腹に、最初のころはお腹を押さえてしばしばぐったりしていたほど。


「……移民船にあったような、大掛かりな調理器具は流石に手に入れられなくてね。式部さんには我慢を強いているの、悪いと思うよ」


「ああいえ。郷に入っては郷に従え、こちらではこれが流儀ですし……」


「とはいえ合わない物を無理に我慢する事はないと思うよ。料理に使える食材があればよかったんだけどね」


 ゴミを処理ボールに吸わせながら、アーネストは肩を落とした。


 最も食材があっても、それで三食賄うには神奈の居た移民船にあったような、大型の調理施設が必要だ。そのつもりで居住区などを整理してきたとはいえ、いざ本当に料理している所を見た後だと、設備が不足しているにも程があると納得せざるを得ない。


 移民船での出来事はアーネストにとって長年憧れていた夢そのものであると同時に、無情な現実でもあった。


「いえ……それでも、ちょっと色々考えてる事はあるんです。こちらでの栄養補助食品は錠剤だけじゃなくて、たんぱく質ブロックやビスケットもあるじゃないですか。あれを使って何とかできないかって思ってまして……」


「へえ?」


 最近、居住区で何か考え込んでいたが、そんな事を考えていたのか、とアーネストは軽い驚きを覚えた。


 だが……。


「あー、ダメだよ、あれは。色々やってみたけどうまく行かなかった」


「そうなのですか……?」


「ああ。焼いても煮てもさっぱりだ。調理する事を前提としてないんだから、仕方ないけど」


 大げさに首を振ってアーネストは嘆いた。


 焼けば噛み切れないほど硬くなるし、煮込むとドロドロに溶けてしまう上に変な匂いを発する。とても食べれたものではなかった。


「まあ、仕方ないかな。じいさんのレシピ本にあった調理方法は一通り試してみたんだが……」


「そうですか……」


 頷きながら、神奈はそのレシピ本の内容を思い返した。


 大切そうにアーネストが見せてくれた古い古いレシピ本。印刷も劣化して微かに読める範囲だったが、数百年前の本が現存しているのがまず驚きである。ただ、その内容は彼の言う通り、それこそ小学生向けのきわめてシンプルなものだ。あまり危険な工程が含まれる料理については触れていない。


 そう。つまり、彼の知らない調理方法を、神奈は知っている。


 その中に、なんとかなりそうなアイディアがある。


 多数のサプリメントから、使えそうものをピックアップする作業もそろそろ大詰めに入ってきている。


「……ちょっと試してみたい事があるんです。もしかすると、アーネストさんをびっくりさせられるかもしれません」


「そう? じゃあ、期待して楽しみにしておくよ」


 なにか考えがある様子の神奈に、アーネストはまあ好きにすればいいよ、と軽い様子で流した。


 神奈が地球由来の高い調理技術を持っているのはよくわかった。が、材料が無ければどうしようもあるまい。それでも神奈の無聊を慰められるなら、何だって好きにさせてやるべきだろう。


『マスター。目的地が近づいてきました。操縦席にお戻りください』


「おっと、もうそこまで来たか。式部さん、席に戻って」


「は、はい……あわっ!?」


 宇宙遊泳の時間は終わりだ。それぞれ席に戻ろうと壁を蹴るものの、神奈が跳躍の際にバランスを崩した。そのままだと座席かキャノピーにぶつかると、アーネストはとっさにその間に割り込んで受け止める。ひどく軽い体が、ぽすっ、と音を立てて腕の中に納まる。


 細い体だ。ちゃんと規定の栄養量はとれているのか、彼は心配になった。


「良かった、大丈夫? まだ新しいスペースジャケットに慣れてないのかな……式部さん?」


「は、はひっ、だ、だ大丈夫でひゅっ!」


 何やら腕の中で顔を真っ赤にしている神奈に気が付いて声をかけるも、彼女は裏返った声を上げてわたわたと腕の中から抜け出してしまう。体二つ分の距離を空けて、彼女は必至に両手をわたわたと左右に振った。


「け、決してアーネストさんに触られるのが嫌とかじゃなくてですね!? ちょっとびっくりしたというか……深い意味はない、んですっ! はいまったく! せ、席に戻りますねー!?」


『マスター。遊んでないで席にお戻りください』


 明らかにおかしな様子で席に戻る神奈だが、相棒の冷たい音声にそれ以上の追及は阻まれる。


「別に遊んでないんだが……」


 もしかして臭かったのだろうか、とアーネストはすんすんと襟元の匂いを嗅いでみたが、自分ではよくわからない。


 首を傾げながらも操縦席に戻り、操縦桿を手に取る。


 ちらり、と視線を向けると、それに気が付いた神奈が首を竦めて苦笑い。なんか取り繕ってる感じがするんだよなあ、と彼は視線を前に戻した。


 やはり、慣れない環境、異性との閉鎖空間での共同生活というのが、大きく負担になっているのだろう。


 今回の目的地が、彼女にとって少しは息抜きになればいいのだが。


『設定された目的地が近づいてきました。正面スクリーンの映像を拡大します』


 操縦席のキャノピーには、少しずつ近づいてくる、金色と茶色のまじりあったマーブル模様の惑星と、宇宙空間に一定の間隔でシグナルを飛ばす宇宙ステーションの姿が映っている。


 惑星には今回用事はない。目的地は宇宙ステーションの方だ。


 宇宙ステーション“アサイラム・ゲート”。


 アーネストのようなフリーランサーの宇宙船乗りが多く利用する、宇宙船の整備ステーションだ。その歴史は古く、設備も老朽化している事から企業や政府が利用する事はないが、その分一般に広く門戸を開いている。


 今日も、ステーションにはオンボロの民間船が無数に停泊していた。さびれた僻地にあるこのステーションは、駐留代金も安いので、金のないアウトローが多く利用する。


 例にもれず、アーネストもその恩恵にあずかっている一人だ。本日は、紅蓮丸の船検の為にここにやってきた。


「わあ……あれがこちらの宇宙ステーションですか!? 大きい……」


『登録名称“アサイラム・ゲート”。稼働からもう100年以上経過する、骨董品に分類される古い宇宙ステーションです。こちらでの一般的なステーションではありませんので、そのあたりはご留意を』


 キラキラとした視線を向ける子供のような彼女のはしゃぎように、アーネストは微笑ましく思いながら声をかける。


「今日いくステーションは、どっちかというと、ゴミゴミしてるから。あまりがっかりするなよ」


「そんな事ありません! 素敵です!」


 心底そう思わせるような笑顔で、神奈は両手を合わせて笑う。そんなに面白いものなのだろうか。


「そうか……?」


 近づいてくるステーションは、真空状態というのもあってその様子ははっきりと見える。基本形状は円形で、中央部分に柱のような中心構造物があるドーナツ構造体。古いタイプのステーションであるため、重力制御は中心構造物の一部にしか働いていない。外装は長年宇宙線に晒されたせいで白くくすんだような輝きを放っており、外周部にぐるりと並んでいる宇宙港は何度かの事故を経験したため、迫り出した柱や建造途中で放棄された鉄骨がぐねぐねと捻じれている。宇宙なので錆びはしないが、油汚れなどは沈着しており、全体的に薄汚い。


 アーネストの価値観だと薄汚いステーションだが、神奈は宝物を見るような視線でずっと眺めて飽きる様子はない。


「まあ、気に入ってもらえたならいいんだけど」


 考えてみれば、彼女は地球出身の移民船員だ。地球時代の事はあまり詳しい事は知らないが、少なくとも大型宇宙ステーションをそこらにぽんぽん建てるような事はしていなかったという。彼女からすれば、宇宙に存在する人間の居住施設というだけでも随分と目新しく新鮮なものなのだろう。


 外見に魅入っていた神奈が、落ち着いてきたのか振り返るも、その瞳には好奇の輝きが煌めいている。


「今からあそこに入るんですよね? 中を見て回ってもいいですか?」


「それはちょっとお勧めしないな。辺境だけあって、ならず者がごろごろしてるから。式部さんみたいに明らかにいいとこ育ちのオーラを出してるお嬢さんが歩いていたら、変な声をかけられるかもだよ。どうしてもっていうなら、レヴィに船外活動装備を遠隔操作させて護衛させるけど……」


「あっ、いえっ、そのっ……そ、そこまでお手数を煩わせるのもなんですから、船で大人しくしてます……」


 さっきまでのはしゃぎようはどこへやら、急に顔を赤くして縮こまる神奈に、アーネストは首をかしげる。


 ほうっておいたら足早に船を飛び出していきそうな勢いだった彼女が何故急に方針転換したのかはわからないが、まあ大人しくしてくれるならそれでいいや、と彼は目の前のステーションに意識を戻した。


『……マスター。デリカシーってしってます?』


「なんだ唐突に。言いたい事があるなら論理だててもうちょっと明瞭に言え」


『本当によろしいので?』


 無感情なはずの相棒の口調に静かな圧力を感じて、アーネストは肩を竦めた。なんだかここで許可を出すと酷い目に合う気がする。


「なんだよ全くもう……」


 操縦桿を手繰り、機首を港に向ける。


 宇宙ステーションの白亜の外壁が、すぐそこまで迫って来ていた。



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