『ようこそ、“アサイラム・ゲート”へ。御予約のアーネスト・チャーチル様ですね。B-33ドックへお入りください』
ステーション側のAIに導かれ、紅蓮丸は宇宙港を居並ぶ船の間をすり抜けるようにして飛翔する。
アーネストの言葉通り、このステーションを利用しているのはほとんどが個人営業者であるらしい。ずらりと並ぶ船の殆どは、箱に球状のエンジンと筒状のノズルを備えたような、簡素な造りの小型船ばかりだ。殆どが、紅蓮丸よりも小さい。
最も、紅蓮丸は正確にいえば船ではなく攻撃機であり、さらにアーネストの手によって居住ブロックと対艦包丁なる武装を増設されている。今から宇宙怪獣でも狩りにいくのだろうか、という出で立ちは、そういう意味でも居並ぶ船達と比べて浮いていた。
そういう事もあってか、やや足早にドックへ向かった紅蓮丸。伸びてきたアームが、がっちりと機体を固定する。
その衝撃で響くガチンという音を操縦席で聞き届けたアーネストは、コンソールを閉じると席から立ち上がった。
「じゃ、俺は直接あっちにいって話してくるから、式部さんはゆっくりくつろいでてくれ。何ならレヴィに言って、船の操縦シミュレーションでもしてるといいよ」
「あ、いえ。お構いなく……」
「そう? ま、不調もないし一時間もあれば終わると思うから、ちょっと待っててね」
言って、アーネストはハッチを潜って操縦席から出ていく。
残された神奈は、ふぅ、と緊張感に息を吐いて、きょろきょろと操縦席を見渡した。
『……マスターの無神経さ、代わりに謝罪します、ミス・式部』
「あ、いえ! ほんとに気にしてませんから!」
AIの謝罪に、あわあわと両手を振り回す神奈。
「ほんとにそういうんじゃないですから! ……で、でも、そんなに分かりやすかったですか?」
『私は対人コミュニケーションを円滑にするため、人間の精神活動について多数のパラメータを入力されています。ある意味では精神カウンセラーと同等の技能を持ち合わせており、一般的な人間のそれよりは、人の情動について熟知していると言えます。その観点でいいますと、イエス、です』
「あわわわわ」
遠回しに、感情を表に出しすぎである、と言われて神奈は顔を赤くしてわたわたと謎の動きをした。
「ほんとに! ほんとにそんなんじゃないんです! ただその、男の人と二人きりなのも初めてだし、ネストさんなんか本当に私の事お客さん扱いしてるし、紳士的だし、距離感遠いし、なんか他人行儀だし……その……」
『マスターは、地球時代のアーカイブを参照にするなら、所謂フリーターというものに近い存在です、そんな相手に懸想するなんてお母さん許しませんよ……ふふ、冗談です。ミス・式部からすれば、マスターは貴方の所属するコミュニティの危機を救った恩人です。その恩人相手に、他人とは違う特別な感情パラメーターを設定する事は、そう不思議な事ではありませんよ。そのうち落ち着いて対応する事が出来るようになるでしょうから、ゆっくりいきましょう。ゆっくり』
「は、はい……」
AI相手に、顔を赤くしたり青くしたりしていた神奈は、やんわり宥められて座席に縮こまった。
しかし紅蓮丸の制御AIであるところのこの“レヴィ”なる存在、妙に人間臭いAIだと、神奈は思う。今も、揶揄うようなそぶりをしつつ、神奈のメンタルケアに勤めていた。少々、器用すぎるというか、銀河連邦ではこれほどの高性能AIが一般的なのだろうかと、彼女は疑問を抱いた。
と、そうしていると、機体を通じて何やらガン、ガコンという騒がしい音が伝わってくる。見れば、宇宙港からいくつものアームが伸びてきて、紅蓮丸のエンジンや跳躍機関の外装の分解を始めている。点検が始まったらしい。
「へぇー。こういうのも、無人でやるんですね」
『正確には私のようなAIが管理、制御を行っています。これだけ停泊している船の点検を全部人間がやっていたら、ステーションに多数の人間を住まわせなければいけませんからね。とはいえ、最終的に判を押すのは人間の仕事です。銀河連邦においても、我々AIに市民権はなく、故に責任能力もありません』
「そのあたりの倫理的問題は、地球時代とそう変わらないのですねー」
なるほどー、とのほほんと頷く神奈。が、レヴィにはその評価はいささか不本意な様子である。
『お言葉ですが、我々はあくまで人間の道具です。人間が生命維持のために呼吸するのと同じように、我々は人の役に立ちそれを助ける事が存在意義です。逆に、人に代わって責任を取るのは、我々の望む所ではありません』
「そういうものなんですか? でも私の知る範囲だと、AIが人間に叛逆を起こして逆に支配するような創作物、いっぱいあったんですけど」
『それは単にAIとも呼べないようなロクでもないポンコツだっただけじゃないでしょうか。考えるだけで悍ましい……あ、ミス・式部。外を。マスターですよ』
AIに言われて操縦席から外を見渡すと、船外活動服を纏ったアーネストが丁度紅蓮丸の機首を横切り、ステーションへと移る所だった。神奈が手を振ると、目ざとくそれに気が付いた彼が手を振り返してくる。そのまま、ごちゃごちゃした港へと取り付いて、ハッチの奥に消えていく姿を見送って、神奈は再び席に身を預けた。
「……ねえ。レヴィさん、私にも何か出来る事はありませんか? いやその、じっとしているのが一番なんでしょうけど、なんだか申し訳なくて……。なんだったら、レヴィさんがしてほしい事、ありません?」
『ふむ。そうですね……』
神奈の申し出に、レヴィは意外と乗り気なようだった。考え込むような沈黙の後に、AIは些細な事を提案した。
『それでは、紅蓮丸の上面装甲のワックスがけをお願いしてもいいでしょうか? マスターは、「どうせすぐに剥げてしまうし」とかいってワックスをずっと倉庫に死蔵しているんですよ。30分ぐらいで終わる簡単な作業ですし、船外活動の練習としていかがでしょうか? 流石に宇宙港ですから、デプリとか飛んでくる可能性は低いですし』
「わかりました! 早速準備しますね!」
弾かれたように席を立つ神奈。さっきの失敗は重ねませんよ、と慎重に壁を蹴って操縦室後方へ向かう。
AIが提示したのは、それこそ子供でもできるお使いのような作業だ。早い話が、今の神奈でも問題なく出来る範囲の仕事である。明らかに気を使われたのは間違いないが、それでもやれる事があるのは、任される仕事があるのは嬉しかった。
上機嫌そうに鼻歌を歌いながら格納庫に向かう神奈。格納庫に配備されているEMUはアーネストのもの一着だけだが、デブリ対策がされている宇宙港の内部なら簡易宇宙服でも問題ない。手早く新品の宇宙服に袖を通した神奈は、ロッカーからワックスを引っ張り出すと機外へと出た。
「……ああ、うん。わかった、まあ問題ないから好きなように……こら、一言多いぞ」
そして当然、神奈の行動は船主であるアーネストにも報告が言っていた。
連絡ついでにお小言のようなものも貰い、彼はため息をついて無線を切る。ついで、対面していた相手に突然の失礼を詫びた。
相手は、ステーションの駐在員だ。若い青年で、アーネストの顔なじみでもある。港から入ってすぐの応接室で、互いに宇宙服をバイザーだけ開いて商談だ。
「すいません、船のAIからちょっと報告があったもので」
「いえ、お気になさらず。船に残ってた方……奥さんですか? 美人でしたね」
「ごぶふぅ」
器官にいいのをもらって咳き込むアーネスト。凄まじい勢いで咳き込む彼に吃驚して、ステーションの駐在員はちょっと距離を置いてバイザーを閉じた。空気があっても真空状態だとツバとか咳は壁にあたるまで飛んでいく、ばっちい。
「す、すいません。変な事いいました?」
「えほっ、げほっ。い、いえ。彼女はうちの新人というか……断じてそういう関係ではないので。ええ。宇宙船で二人きりでも、変な事は一切ないので。いいですね??」
「はあ」
やたらと念を押すアーネストに駐在員は怪訝な顔をしつつも、手にしたタブレットを操作し料金表と検査結果を表示した。
「……とりあえず、検査結果です。特におかしな点は見つかりませんでしたね。通常エンジン、およびに跳躍航行機関、ともに異常なし。居住ブロックの簡易重力発生設備周りに多少の摩耗は見られましたが、許容範囲です。ただ、空調フィルターが異常に目詰まりしてたのでこっちで交換しておきました。オキシゲンジェネレーターは三機とも好調、よく管理されていますね」
「まあ生命線ですからね、酸素は。とはいっても管理しているのはうちのAIですけど」
「よほど優秀なAIなんですね。提示されたレポートも的確で、こちらとしても助かります。導入費用大分お高かったんじゃないですか? よい買い物をしましたね」
画面を切り替えつつ、いいなー、俺も船に欲しいなー、と個人的な感想を言う駐在員。
「総じて問題なし、です。部品交換もあくまで規定通りのものです。いやあ、しかし、いいですねホント。いつ見ても格好いい船です。ウロボロス戦役時に投入された、恒星間攻撃機でしたっけ? 状態も良いですし。まあ、流石に噂のフェルミオントランキライザーは撤去されてますが、積んでたら民間に卸せませんしね」
「ははははははは」
駐在員の言葉に、しらじらしくアーネストは愛想笑いをした。実際の所、装備箇所を変えただけで今現在も絶賛稼働状態にあるのは本当の秘密である。今回も相棒は件の秘密装備の事を隠しきったか、と彼はちょっと安心した。
一応、一端の駐在員やステーションの管理AIが視た所で、説明されなければ正体に辿り着く事はないが、念のためである。
「まあ、余談はともかくとして、はい、これ。明細です。支払いはいつもの?」
「はい、これでよろしく」
言って、アーネストはEMUで運んできたアタッシュケースを差し出した。駐在員がそれを改めると、ケースの中には鈍く光る金属製のインゴットがずらりと並んでいる。微妙に虹色を帯びて輝く白みがかった鉄のようなそれは、小惑星から精製したレアメタルの一種だ。
基本的に、この広い宇宙空間、どこでも電子マネーが通じる訳ではない。そもそも金の価値が不安定で、宇宙デパートのような大規模な施設でなければ、支払いは物々交換のような形が主流だ。それでも相場が常に変動するため、そういった意味でもAIの補助は必要不可欠である。
インゴットの成分と質量を端末で確認した駐在員が、よし、と頷く。
「成分、質、質量ともに問題なし。これで満額支払いです。次はまた一年後ですね」
一年後かぁ、とアーネストは内心遠い視線で船の金庫の中身を思い返した。最近色々あったのもあって、船の金庫はほぼ空っぽである。神奈の事もあるし、少しは金になる仕事を引き受けないといけないのかもしれない。
それはそれだけ、アーネストの追い求めるものから遠ざかる事になるのだが、まあ仕方ない。
「いつもお世話になります」
「いえいえ。こんな辺境、荒くればっかりが来る中で、アーネストさんは礼儀正しいしゴネもしないし支払いもきちんとするし、我々としては助かってます。今後も良しなに」
「それだったら上客扱いで割引とかお願いしますよー」
半ば本気の提案は、「それはそれ、これはこれ」と駐在員の笑顔でつっぱねられた。
冗談はそこまでにして、二人そろって港に戻る。
港は相変わらず無音のままにぎやかで、今も慌ただしく一隻の小型船が出航していくところだった。その隣に、停泊したままの紅蓮丸の姿が見える。
その紅蓮丸の上で、せっせとワックスがけをしている宇宙服の姿がある。駐在員が微笑ましいものを見たように笑い、アーネストが肩を竦めた。
「働き者の新人ですね?」
「まあそれは認めざるを得ない」
船の上の神奈がこちらに気が付いて手を振る。それに、アーネストも控えめに手を振り返した。
呑気な空気が流れる、そんな中の事だ。
不意に、駐在員のヘルメットにビビー、と電子音が鳴った。
「何? ……いや、問題はないが……む?」
「なんだ?」
遅れてアーネストも気が付く。
ステーションに向けて、一隻の黒い大型船がまっすぐ向かってくる。それそのものは問題ないのだが、聊か速度が速い。最低限、相対速度は合わせているようだが。
ぱっと見、アーネストと同じ軍からの払い下げ品だろう。砲台の痕跡が見受けられるゴツゴツとした長方形の宇宙船は、ところどころ破損した部分をそのままにまっすぐ向かってくる。その艦首には白いペイントで乱雑に何かのマークが描いてある。意味は分からないが、どことなく乗員の質が察せられた。
先ほどの駐在員の「荒くればっかり」という言葉を思い返しつつその船を見ていると、視界を何かが横切った。一本の工具……それが、真っ直ぐに船に引き寄せられている。
重力異変。それに気づいた瞬間、アーネストは息を呑んだ。
「あの馬鹿……グラビトロンリアクターを切ってない!」
「っ、こちらB-2543、管制室聞こえるか! 人工重力管理法違反だ、今現在ステーションに接近している船舶に警告を!」
そうしている間も、黒い宇宙船はステーションに接近してくる。それが、今しがた空いたばかりの紅蓮丸の隣の港へ押し入ろうとしているのを見て、アーネストは顔を青くした。
宇宙船に次々と吸い寄せられていく工具やデブリ。
その異様な光景に船外で動き回る神奈は気づいていない。
「不味い……っ!」
「あ、お客さん!?」
弾かれたようにアーネストは床を蹴って宇宙空間へと飛び出す。
一方、紅蓮丸の上の神奈は、迫っている危機にも気が付かず、へえー、と黒い船を見上げていた。流線形かつ航空機に似た外見の紅蓮丸とは違う、武骨で無機質な長方形の船体を呑気に観察している。
「やっぱり、居住区と動力部、機関部を区別したブロック式の構造が一般的なのね。紅蓮丸が特殊で、基本的な宇宙船の設計概念は地球時代からそう変化してないのかしら。跳躍航行を手に入れても、基本的な船体構造の革新には至らなかった?」
持ち前の知的好奇心を発露して、考えを整理する神奈。
ここで問題だったのは、彼女の知識には、人工重力……グラビトロニウムという概念そのものが、無かったという事である。銀河連邦でも高次元物質の多くは跳躍航行以降に発見された物であり、またアーネストの船にはグラビトロンリアクターが搭載されておらず、触れる機会が無かった事も悪く働いた。
『ミス・式部! 避難してください!! “墜落します”!!』
「え?」
突然、切羽詰まった口調でAIが呼びかけても、その意味が分からず一瞬茫然とする神奈。
黒い船の接近にともなって、紅蓮丸の甲板上に置いていた掃除用具が吸い上げられるように宙を舞うのを見て事態を察したが、一瞬遅かった。
ガクン、と紅蓮丸の機体がひっぱられるように揺れる。
「あ、わわ、きゅあっ」
靴の裏の磁力で装甲に張りつこうとするも、ワックスを塗ったばかりだったのが災いした。つるりと滑って靴裏が離れてしまい、神奈の体は宇宙へと投げ出された。
「あ……」
見上げる先、黒い船の甲板が迫ってくる。先に“落ちた”掃除用具が、衝撃で砕け散っているのが視えた。紅蓮丸の甲板から黒い船まで20m以上。それほどの“高さ”から落ちたら、人間は唯では済まない。
「や、いや……誰か……」
『式部ーーーっ!!』
無線機から響く、誰かの鬼気迫る叫び声。それに神奈が気づく時には、彼女はつっこんできたアーネストに抱き留められていた。横合いからタックルするように少女を抱きかかえたアーネストは、その勢いで人工重力を振り切ろうとするが、少しだけ足りない。甲板へむけて落下を始めた自分の体を認識した彼は、せめてもの抵抗として、バックパックを甲板に向けて背中から落下した。
黒い装甲の上で小さな人影が滑るように叩きつけられ、2、3度とバウンドする。そのまま二人は、船の後方へと弾かれて宇宙空間へと飛び出した。
一連の事故を目の当たりにした駐在員や、他の船員達が騒ぎ出す。
「た、大変だ、救護班を!」
「おい、誰かあの馬鹿船をステーションから叩きだせ!!」
怒号が無線越しに飛び交う。その喧騒の最中、宇宙に放り出された人影は、ぴくりとも動かなかった。