「いててて……」
「じっとしててくださいね」
アーネストの頭に、神奈が包帯を巻く。痛みに顔をしかめながら、彼はおとなしくされるがままにしている。
ここは紅蓮丸の医務室。
普段使われる事のない部屋は、閉め切っていて薬品臭い。薬品棚で殆ど埋まってしまう狭い部屋で、椅子に座ったアーネストはおとなしく神奈の手当てを受けていた。
人工重力による落下事故に巻き込まれた二人だが、幸いにして大ごとにはならなかった。神奈には傷一つなく、アーネストは頭を打ってちょっと怪我をしただけだ。落下の際にEMUのバックパックを緩衝材にしたおかげだ。もっともそのせいでバックパックは全損、動力も失われてアーネストは指一つ動かす事が出来なくなり、助けられなければ神奈を抱きかかえたまま宇宙を漂流する所だった。
「はい、これで手当てはおしまいです。どうですか、違和感はないですか?」
「大丈夫……だけど、大げさすぎない?」
頭にぐるぐると巻かれた包帯はしっかり結ばれていて小動もしない。頭をちょっと切っただけなのに大げさだなあ、というアーネストに、神奈は腰に手を当ててぷりぷりと怒った。
「頭の怪我を甘く見ないでください! 正直、いまからでも病院に放り込んで精密検査を受けてもらいたいぐらいです!」
「いや、これ打ったんじゃなくて、衝撃でバイザーの内側が割れて破片が刺さっただけだから……」
「どっちにしろ大ごとです! というか、なんでバイザーの内側がそんな割れ方するんですか、不良品ですよあのEMU!!」
かわいらしく激昂する神奈に、アーネストは苦笑いして誤魔化す。異常に安い特売品だった事を正直に告げると、余計な怒りを買いそうなので黙っておこう、と彼は秘密を一つ増やした。
と、一通り怒って、それで気が済んだのだろう。急激にトーンダウンした神奈が、しゅんと肩を落とした。
「すいません……私のせいでこんな怪我を……」
「ああいや、気にしないで。式部さんがグラビトロンリアクターの事を知らなかったのを把握してないこっちにも問題があったから」
「はい……あの、グラビトロンリアクターって……?」
「重力生成システムの一つだよ」
さらに詳しく説明すると、高次元物質である“グラビトロニウム”を用いて重力子の相互作用を高める事で重力を生成するシステムである。グラビトロニウムは高次元に存在する大質量の影であり、それそのものに危険性はないが、増幅された重力を遮断する事は分厚い戦艦の装甲でも隔壁でも不可能だ。
そのことを軽く説明しながらアーネストは顔を顰めて告げる。
「グラビトロニウム自体は危険性は低いけど、それが生み出す重力は扱いを間違えると大事故に繋がりかねない。全くあの船は何を考えているんだか……」
なお、件の黒い船は、事故後、ステーションからサービスを拒絶されてそのまま追い出された。正直、その場で撃墜してないだけ温情措置である。
目的を果たせなかった船は恐らく近場の似たようなステーションに向かうのだろうが、そちらでも問題を起こしてない事を祈るばかりだ。
「まあとにかく、そんな気にしないで。こういう事故は、たまにだけどある事だから。大ごとにならなかった事を喜ぼうよ」
『マスター。取り込み中の所、申し訳ありませんがブリッジに来てください。頼まれていた情報について進展があります』
「ん、わかった。今行く。……まあ、そんなだから。気にしないでね」
相棒に呼び出され、アーネストはちらりと名残惜し気に神奈に視線を向けるも、そのまま何も言わずに医務室を出た。後には、しょんぼりと肩を落とす神奈が残される。
『今はお互い、少し時間を置いた方がいいでしょう。ミス・式部にも、気分転換を推奨します』
「レヴィさん……」
『基本的には私もマスターと同じ考えです。あまり思いつめない方がよろしいですよ』
呼び出しのタイミングが露骨だったのはやはり気のせいだったらしい。妙に気の回るAIに、神奈はぎこちなく笑みを浮かべてみせた。
「ありがとうございます。気を使わせてしまいましたね」
『お気になさらず。それが私の存在意義ですので』
相変わらずの冷たい人工音声だが、その響きにどこか温かみを見出して、神奈は今度こそ作り笑いではなく心からの微笑を浮かべた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。居住ブロック、つかってもいいですか?」
居住ブロックは、神奈を迎えてから大規模な改造を加えられている。
以前は、アーネストが思いつくがままに料理を試みては失敗する工作室のようなものだったが、今は神奈によって整理され、一角がカーテンで仕切られている。その内部には、アーネストが集めたり作ったりした料理器具のようなものが綺麗に並べられ、調理場として整えられていた。
とはいえ、聞きかじりと想像で作った調理器具はその大半が使い物にならない。いくつかは、神奈が許可を得てヤマトタケルから持ち出してきた本物の調理器具である。
ただ、調理場というには、培地の並んだインキュベーターが端に寄せられていたり、色々と不穏な面はあったが、全てはあくまで料理の為である。
「よし、と」
愛用のエプロンを身に着け、神奈は目の前に並べた食材たちに目を向けた。
白っぽい羊羹のような固形物、パウチに入った四角い何か、二つのボトルに満たされた白濁した液体と黄色みがかった液体。
いずれも、銀河連邦で普及している栄養補給剤の一種である。高機能性たんぱく質ブロック、機能維持用ハードブロック、およびに合成原料の水溶性たんぱく質リキッド、そして工業用作物から精製した高純度機械油。油は本当に食用じゃないので置いておくとしても、いずれも理科の実験のような名称が与えられており、とうてい料理どころか食材とは言い難い。が、この宇宙ではこれが極当たり前で一般的なのだ。
「まさか、料理という概念そのものが絶滅してるなんてね……」
ハードブロックを摘まみ上げて、神奈はゲンナリした。唯一、食べ物らしいこれも、見た目はとてもマトモではない。焦げ目一つない、四角いブロック状のそれは、固まった紙粘土、と言われたほうがまだしっくりくる。齧ってみたが、味もほとんどなく、とりあえず不味くはない、それだけの代物だ。言葉通り、咀嚼力の維持という目的以外は考えていないようだ。
とはいえ品質が悪い訳ではない。
概念が無いだけで、銀河連邦の製品は全体的に質が高い。
他にも機械油については工業用ながらも純度が極めて高いオーガニックオイルであり、少なくとも人体に害はない。アーネストからも「飲んでも腹を下さない」とお墨付きだ(どういう考えで油を飲んだのかは怖くて神奈も聞けなかったが)。まあ例によって例の如く、油を搾る前の作物は食べられるような代物ではないが故の工業用オイルらしいが。まあそれでも、使用済みのエンジンオイルで天ぷらを揚げるよりは遥かに健康的だ。
「まともな食材がないから料理できません、といっては、自分から名乗り出てアーネストさんについてきた甲斐が無いわ。本職の料理人を差し置いて我を通したのだから、それ相応の結果は見せないと! 頑張るわ!」
ぐっ、とガッツポーズをして、神奈は名誉挽回、と気合を入れた。
少なくとも、ここに集めた食材は、この宇宙に普及している宇宙ポテトを名乗る毒物や、これまで彼が収集してきた得体の知れない生ごみに比べればまだ食材として利用価値がある(生ごみ呼ばわりされた事に密かにアーネストがショックを受けていたのはまた別の話だ)。
むしろ、腕が鳴るというものだ。元来、船における料理とは、調理人の創意工夫の見せどころである。ここしばらく、アーネストにも内緒で試行錯誤してきた成果を見せる時がきた。
『ミス・式部。一体何を始めるつもりですか?』
「んー? このたんぱく質ブロック、直接焼くと縮んで硬くなって美味しくないなら、衣で包んで揚げてみようかなって」
『?????? あげる???』
機械音声なのに困惑してくるのがとても伝わってくる。器用なAIだなあ、と神奈は仕切りに感心した。蓄積した交流データの量が多いのだろうか?
「アーネストさんの持っている本、あれは初心者用だから、触れてない調理方法も多くて。だから、もしかして、と思って……」
まず、ハードブロックを粉砕機にかける。ガリゴリガリゴリ、と凄まじい音を立てて1ミリほどのサイズにブロックが粉砕されたら、それを耐熱皿に並べ、トースターで加熱する。アーネストお手製の過熱版二枚で挟み込んだそれで3分ほどブロック破片を焼くと、白い破片の表面がキツネ色に変色していく。香ばしさの中に僅かに異臭が残るそれに顔をしかめつつも、焼いた粉末を皿に移して冷ます。
次に、たんぱく質ブロックを切り分ける。ねっとりとしたそれは普通に切ると包丁に纏わりついてくるので、ブロックと包丁にそれぞれ、細かく粉砕した乾燥アミノ酸パウダーを振りかけてから、一定のサイズに切り分けていく。切り分け終わったら、互いにくっつかないよう、再度アミノ酸パウダーをまぶす。
そうしたら、たんぱく質リキッドを深皿に出す。さらりとした卵白のようなその液体に、タンパク質ブロックを軽く浸して表面をコーティングする。そしたらそれを、先ほど焼いたハードブロック破片の皿にのせて、表面に茶色い破片をまぶしていく。まんべんなくブロックの表面が覆われたら、別の皿に移す。
そしたら、鍋に油を満たして加熱する。澄んだ油にぱちぱちと気泡が浮いてきたら、ハードブロックをまぶしたたんぱく質ブロックを油へゆっくりと沈める。
揚げ物、フライ。
大量の油を使う為、危険度が高く一般的には初心者向けではないとされる調理方法。片付けも大変だ。故に、アーネストの所有している本にはこの調理方法について触れていない。だからこそ、神奈は最初の料理にそれを選んだ。
熱した油に反応して、たちまち、ジュワワアという音と共に油が激しく泡立った。
それを受けて、室内に警報が響く。
『船内に煙を確認。ちょっと、ミス・式部、何をしているのですか??』
「ごめんねー。換気とかは大丈夫だと思ったんだけど……」
『船内環境には影響ありません、ちょっとびっくりしただけです。……大量の油で食べ物を加熱しているのですか? 何故です? エネルギー効率や資源の消費を考えても、非常に非効率ではないですか? そもそも何故そのまま食べられるブロックを加工する必要が??』
AIの疑問に、神奈は苦笑い。何故、と来たものである。この宇宙で、料理という概念が絶滅した理由の一端が垣間見える。
「まあまあ、とりあえずは見守っててください」
タンパク質ブロックはそのまま食べるものであるため、加熱時間は短めでいいだろう。いい感じに衣が色づいてきたのを確認して、神奈は油からブロックを引き上げた。
トンカツ擬きの完成だ。
まだ熱々のそれを、網を乗せた深皿に並べて油を切る。少しだけ匂いを確認すると、うっすらと香ばしい香りが確かに存在していた。あとはソースが欲しいのだが、調味料の類は残念ながら、塩を除いて銀河連邦では死滅している。酵母の類は培養中なのでそのうち必ず、と誓いつつ、今回は塩を振って味を調えることにする。
きつね色に輝く衣に、キラキラと輝く塩が光る。
あり合わせの出来合わせだが、なんとか料理らしきものにはなっただろうか。
「はい、これで出来上がり!」