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第六話 争いの予感



 紅蓮丸は、突き刺したブレードをアンカー代わりに停泊させる事にした。ここから先は、人の体一つで乗り込んでいくしかない。


 EMUは破損してしまった為、二人とも通常のスペースジャケットで機外に出る。


 アーネストは、分厚い扉のような装置を手にしていた。神奈は、そんなアーネストの腰に逸れないようひっついている。


「じゃあ、行くぞ」


「はい」


 緊張気味の神奈と違い、アーネストは手慣れた様子だ。彼は紅蓮丸の影に隠れて飛来するデブリから身を守りながら、宇宙ケールの表面にひょいと取り付く。


「あとはこいつの出番だ」


 手にした扉のような装置を、外壁に取り付ける。完全に固定されたのを確認すると、アーネストは神奈に手話で退避を合図すると、彼女を抱えたまま後方へ下がった。


『起爆します』


 AIの合図と共に、扉がバフン、と振動する。見た目では何も起きていないが、これで準備は出来たらしい。扉に近づいたアーネストがロックを外すと、その向こうには風船の内側のような、何らかの皮膜に覆われた空間が広がっていた。


「突入用のエアロック。軍の特殊部隊とかが使うようなやつだね。構造物を内側に吹き飛ばして、バルーンで気密室を作る。内部を宇宙船で汚染したくない、外部の空気を漏出させたくない、って時に使う。意外と宇宙ケールの外壁が薄くて助かったよ」


「そんなものが……。……なんでそんなものを持ってるんです?」


「おっと藪蛇」


 おどけたように口を押えて、アーネストは中に入っていく。神奈もおずおずと後に続くと、背後で一人でに扉が閉まった。


『与圧を開始します』


 メッセージと共に、しゅうううう、とガスがバルーン内に送られてくる。やがて内部構造と同じ圧力になったのを感知して、与圧が停止した。


 先に進むとまたも扉。


 なるほど、扉を二枚重ねして、その間にバルーンが入っている構造なのか、と神奈は理解して頷いた。逆に考えると、そんなものがあるという事は割と人間同士でも争ってるんだなあ、と銀河連邦への認識をまた一つ改める事になったが。


「いくぞ。内部がどうなってるかわからないから、指示があるまでバイザーはあけない事。いいね?」


「はい」


 返事を確認して、アーネストが重たそうな扉を押し開ける。


 その向こうから、燦々とした光が差し込んでくる……。


「こいつは……」


 扉を潜って内部に降り立ったアーネストは驚きのあまり周囲を見渡した。続いて扉を潜った神奈が、感嘆に声を上げる。


「わあ! 秋の森みたい!!」


 彼女の言う通り、周囲には赤や茶色、黄色に変色した草木のようなものが、目いっぱいに生い茂っていた。元はメンテナンス用の通路か何かだった場所のようだが、今は両脇にびっしりと生い茂る植生のせいで、森の小道のようにすら見える。天井には、外部からの光を伝える採光管が、黄色い恒星の輝きで構造体を照らし出している。


 多少、カビやコケのように僅かな草体が生えているのを想定していたアーネストは、想像以上の光景に言葉が無いようだった。


『酸素濃度は今の所、人間の生息可能な範囲で推移しているようですね。ただ濃度が一定ではないので気を付けてください』


「こいつは……なんとまあ」


「話に聞いていた以上に先祖返りしてますね。まるで植物園です。……んー。このあたりのは、枯れてしまっているようですね」


「え、食べられないの、これとか」


 黄色く変色した、どこかで見覚えのある扇状の葉を手にして神奈が呟く。それを聞き咎めたアーネストが吃驚する。傍らに垂れ下がる枝の、星のような、人の手のひらのような赤い葉っぱを手にして首をかしげる。


「柔らかそうだし、煮たり焼いたりしたら食べられない?」


「流石にちょっと……。天ぷらにする所はあったらしいですけど、あくまでこう、食べてもお腹を壊さないといった体のものだったので……」


「食べても大丈夫なのに食材判定にならないのか、地球時代おそるべし……天ぷらって何??」


 恐るべきは食文化の違いである、と神奈は戦慄した。まあ、そもそも銀河連邦には食文化そのものが根絶しているのだが、口に入れば食べられると言わんばかりのアーネストの態度はどっちかというと未開の蛮族である。少なくとも銀河連邦は発達した社会を持つ文明国のはずなのだが。


「ははは……。でも、外壁を越えた先がこうだとすると、もっと中に進めば新鮮なものへと変わるのでしょうか?」


「その可能性は高いな」


 アーネストは、爆破の際に吹っ飛んだ外壁の一部が、内部構造を突き破って大穴を空けている様子を確認しながら頷いた。この先は中心部に続いているようだ。


「行ってみよう。ただし、何が居るかわからない、俺から離れないように」


「は、はい。でも元はバイオプラントでしょう? 居たとしても精々、野生化したゴキブリとかでは……?」


「……前から思ってたんだけどさ。もしかして、地球のあたりって、宇宙怪獣とか宇宙昆虫、いなかったの?」


 どうにも、宇宙についての認識について深刻なずれがあるような気がして訪ねてみるアーネストだが、神奈の反応は「???」というものだった。それで大体アーネストは察した。


「? アニメとか特撮、お好きなんですか?」


「いや、それはそうだけどそうじゃなくてだな……まあいいや、とにかく、俺から離れないように」


 この場で説明するのを諦めて、アーネストはとにかく奥に進む事にした。神奈の性格上、問題は無いだろう。


 念のため、持ってきたモーターライフルを手に奥へと進む。進むにつれて、歩みを阻害する草木の数は多くなり、少しずつ、グラデーションのように茶色から青へ、青から緑へと色合いが変化していく。


 やがて、アーネスト達はさらなる奥地へと到達した。


 そこは、もはや廃棄されたプラントの一角とは思えないあり様だった。天井は崩壊し、破損した採光管がむき出しである。元は、水の循環層か何かがあったのだろうが、それは成長した草木に破壊され、漏れ出した水が無数の球のように漂っている。


 その空間に、縦横無尽に生い茂る草木。無重力という事もあってか、壁からも床からも生えた一面の緑が、走光性に従って天井に向かって伸びていた。


 ある種、幻想的な光景である。


「すごいなこれは……」


 もはや無機質なブロック状の面影がどこにもない。バイザーを開いて口にしてみたい欲を抑えて、彼は物を知る神奈に尋ねてみる。


「このあたりの、どうだ?」


「そうですね、野菜というよりハーブの類に見えますが……これぐらい新鮮なら、食べても大丈夫そうです」


『空間に放射線の類も観測されていませんね。少なくともここの草体は汚染されてはいないようです』


 ほほう、とアーネストはしゃがみ込んで生い茂る緑をまじまじと観察した。


 伸びる枝葉の一つを手に取って、優しく摘んでみる。緑色の草体は柔らかく、容易く歯で噛み切れそうに見えた。少し力を籠めるだけで潰れそうな葉は、見るからに瑞々しい。


 以前、好奇心で齧ってみた葉っぱとは雲泥の差だ。神奈の目利きもあるし、これが食べられる、と言われる事に違和感はない。


 ならば物は試しだ。神奈が止める暇もなく、バイザーを開いたアーネストは千切った葉っぱを口にしてみた。


「あ、ちょ」


「むぐむぐむぐむぐ」


「食べちゃった……」


 全く躊躇う様子もなく得体の知れない草を口にしたアーネストに、神奈は呆れるような心配するような複雑な視線を向ける。一方、アーネストは口にしたそれを吐き出す事無くもごもごとよく咀嚼すると、ごくりと飲み込んだ。


 そして、無言でしゃがみこんで片っ端からむしって食べ始める。慌てて神奈が止めに入った。


「ちょ、ネストさん!? 意地汚いですよ?!」


「……はっ」


 神奈に肩をひっぱられて我に返るアーネスト。完全に無意識の行動だったらしい。


「す、すまない、俺としたことが」


「もう、ビックリしました。そんなにおいしかったんです?」


「美味しいというか、不味くはないんだがこう、不思議な感じで……」


 少なくとも、甘いとか辛いとか、そういうのはない。敢えて言うならちょっと苦いくらいだ。だが、瑞々しい葉を口にした瞬間、口の中で弾けた爽やかな香りと、口内にいきわたる清涼な水の感触。今まで体験した事のない爽快な体験に、アーネストは夢中になってしまっていた。


「これもおいしいというものなのか? 想像していたのと大分違う」


「んー? もぐもぐ……まあ、こんなもんですね」


「その程度の反応!?」


 自分も口にしてみての神奈の率直な反応に、アーネストが目を剥く。彼が我を忘れるほどの衝撃も、神奈にすれば既知の分かりきった味わいでしかないらしい。言うなればベビーリーフそのものだ。


 一方、神奈からすれば未知の宇宙構造物の植生という事で期待していた分、ちょっとがっかりだ。だが、歩いた距離と宇宙ケールのサイズを考えれば、まだ中心部までは距離がある。外部から進むにつれて、明らかに植生が豊かさを増している。最深部は期待できるかも、と神奈は目を輝かせた。


「もっと奥に行ってみましょう。これよりおいしい野菜があるかもしれません」


「え、まって。なんかこわくなってきた。野菜ってそんなにおいしく無い部類の食材って聞いてたんだけど!?」


「ふふ、大げさですよ、ネストさんったら。それに、野菜はちゃんと美味しい食べ物ですよ」


 冗談だと思ったのか、笑いながらアーネストの背を押す神奈。困惑しながら、アーネストはさらに奥に続くであろう道へと進んだ。


 と、そこで不意に立ち止まる。


「……ん?」


「むぎっ」


 急に停止した大きな背中に、神奈は頭をぶつけた。小さな鼻がバイザーに押し付けられてむにっと潰れる。


「ど、どうしました?」


「いや……」


 神奈の問いかけに応える声が、硬い。背後で背中に顔をぶつけた神奈の様子にも気がそぞろに、アーネストは顔を険しくして周囲を見渡す。


 やがて、道の先、他の通路との合流地点に近づくと、彼はしゃがんで床面を品定めし始めた。最初は何か分からなかった神奈も、遅れてその異常に気が付く。


 通路には、先ほどから草木が生い茂り、行く手を阻んでいる。なのに、この合流地点から向こう、草木が何かに押し倒されたように地面に寝ている。


「ネストさん、これって……」


「……足跡もある。俺達以外に、誰かがこの宇宙ケールに入って来てる。それも、ついさっき」


 周囲を見渡し、モーターライフルのマガジンをチェックしながらアーネストはそう告げた。






 巨大な宇宙ケール。あまりの巨大さ故に、近づいてしまうとレーダーにはいくつもの死角がある。


 紅蓮丸がブレードを突き刺し停泊している反対側は、その一つ。


 恒星の光の影になるような場所に、一隻の宇宙船が宇宙ケールに停泊していた。


 真っ黒な塗装。撤去された砲台跡。艦首に刻まれた粗雑な白いサイン。


 “アサイラム・ゲート”でひと騒動起こした無法者の船である。




 争いの予感が、この宙域に漂っていた。





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