『この先です。この扉の向こうが、目的の遺伝子研究設備です』
レヴィの案内が、ついに終点に辿り着く。別の階層から床の亀裂を通って降りてきたアーネストと神奈は、閉じられたままの扉を見上げた。
このあたりは人間が利用する区画でありプラント区域ではないせいか、採光管の類が無い。その為野生化した植物が生い茂っておらず、比較的かつての原型を留めている。それでも植物の影は皆無という訳ではなく、漂っているゴミに目を向けてみると、それはわずかに根を伸ばし始めた小さな若葉のようなものだった。繁茂している区域から流れてきたのだろう。
眼前に漂ってくるそれを払いのけて、アーネストは研究室の制御端末に目を向けた。壁に埋め込まれている、ボタン操作式の簡易な端末。そのカバーは外され、内部の基盤がむき出しになっている。自然に脱落した感じではない。
どうやら間に合わなかったらしい。
「行くぞ。俺が呼ぶまで、扉の影に」
「はい」
いそいそと神奈が隠れるのを確認して、アーネストは慎重に扉に触れた。案の定ロックは解除されている。すこしだけ扉を開くと、その隙間から彼は内部を覗き込んだ。
内部はLEDによってある程度の光量が確保されているようだ。それだけ確認すると、直ぐにアーネストは扉を閉じて壁際に退避した。
「レヴィ」
『室内の照明器具への接続を確保しました。合図と同時に最大光量で点灯します』
「……今だ!」
流石に長年の相棒というだけあり、以心伝心である。合図と同時に、アーネストは扉を蹴り飛ばすように開け放って、内部へと転がり込んだ。同時に、室内照明がフラッシュのように強く点灯する。内部に人間がいれば、これで不意を突かれたはずだ。
踏み込んだアーネストは、バイザーの明度を調整しながら、照明に照らしだされた室内を見渡す。
研究室と聞いていたので小さな小部屋を想像していたのだが、目の前に広がるのはかなり大きな空間だった。部屋の中央には何やら塔のような巨大な構造物があり、奥の方には二階のような構造もある。壁際にはいくつもの埋め込み式の棚のようなものが並んでおり、培養槽のようなものも見えた。思った以上に大がかりな設備だったようだ。
だが今は、そのすべてが地衣類のようなものによって覆いつくされている。培地から発生したと思われるそれらが時間をかけて広がり、部屋を覆いつくしてしまったのだ。外の白いリノリウムの造りを見ていなければ、もしかすると植物に覆われた洞窟だと思ったかもしれない。
そして中央部の構造物は、表面を緑で覆われるだけにとどまらず、中央部で大きく倒壊、傾いていた。その破損部分からは、見上げるような巨大な草体が葉を広げている。
これまで見てきたのと違う植物だ。無数の巨大な葉が重なるようにして大きな塊を形成しており、葉は一番外が濃い緑で、内側に向かうにつれて柔らかな黄色へと変色している。ほぼ葉と根で出来ている植物らしく、構造物の外装を突き破って縄のような根が張り巡らされているのが視えた。
アーネストは巨大植物から目を逸らし、部屋を隅々まで見渡す。他にもいくつか気になる植物の姿はあるが、人間の姿はない。
「……? ドアロックが解除された形跡はあるのに……?」
宝物庫に押し入っておきながら、宝には手を付けずに引き返したという不可解な状況に、アーネストが首をかしげる。最初に目が付いた巨大植物に目を向ける。確かに外側は硬くて不味そうだが、内部の葉は見た目も柔らかそうで、可食に適していそうである。これまでの道中の所業を垣間見れば、連中なら根こそぎもっていってそうだが……。
何か嫌な予感がする。
アーネストは慎重にモーターライフルを水平に構えた。
「……式部さん。扉のほうに隠れていて」
「? ネストさん……?」
神奈から訝し気な声が返ってくるが、アーネストはそれには答えず、ライフルの先を中央構造物の下部、ひび割れた床面に向けた。
ギッ、ギッ、と。
小さな。硬い何かが軋むような音。
罅割れから、灰色に光る鉤爪が姿を見せる。それは床にがちり、と爪を立てて、続けて硬質の殻に覆われた腕を引き上げた。
ガチン、ガチン、と複数の腕が床を捕らえ、続けて本体を引き上げる。
灰色の、隕鉄に似た色合いの外骨格。八つの足に、頭部には刀剣のような大きく伸びた顎が縦に一対並ぶ。その間には、結晶のような目玉が一つ。
扉の向こうから好奇心で顔を出していた神奈が、その姿を目の当たりにして「ひっ」と小さく息を飲んだ。
それは、一言で言えば昆虫に酷似した姿を持つ宇宙生物であった。
緊張感と共にアーネストがライフルを構える。
「……ここの番人という訳か」
『宇宙防疫法行使対象一覧に該当する特徴を確認。宇宙昆虫“シリコニウム・アントリア”の亜種と推定されます。本来は有害宇宙漂流草体“オキシゲニアン・コニャック”と共生する、極めて凶暴な宇宙昆虫です。特徴は、大多数で群れる事』
レヴィが解析結果を報告してくるが、徹底した冷静さは時に他人事のようにも聞こえる。相棒の言葉通り、次から次へと姿を表すアントリア達。彼らは鋭いかぎ爪で床や壁に張り付き、カチカチと牙を鳴らしてアーネストを取り囲むように威嚇する。
「放棄されたにしちゃあ植物の生育が良い訳だ。こいつらがガーデニングしてた訳だな!?」
宇宙空間では対流が起きない。酸素濃度が均一にならない以上、植物の生育には不適な環境だ。にも関わらず植物がよく生育していたのは、彼らの存在によるものだろう。
もしかしたら、植物達の先祖返りにも宇宙昆虫が影響しているのかもしれない。
が、それを考えるのは後だ。
防疫法の行使対象になるだけあり、アントリア達は狂暴だ。鋭く突き出したセンサーのような瞳がまっすぐアーネストを捉え、一斉に襲い掛かってくる。
相手が人でないなら遠慮はいらない、アーネストはモーターライフルを構えた。バイザーの中で敵との距離が即座に認識され、視界の片隅に距離と起爆信管の起動カウントが表示される。それを確認し、彼は引き金を引く。
発射の反動は殆どない。自己推進弾頭を採用したモーターライフルは、宇宙空間の不安定な足場でも片手で運用ができる。発射された弾頭は、ヘルメットの制御システム、銃のFCSと連動し、シチュエーションと彼我の距離から起爆タイミングが設定される。今回の起爆時間はおよそ0.5秒。光の尾を引いて撃ちだされたロケット弾等が自爆し、指向性ベアリング弾を射線上にばら撒いた。
貫通よりも衝撃で相手の行動を制限する、あるいは生命維持機能に損害を与えるのを目的とした散弾だが、相手が装甲を纏わない宇宙生物の類であれば十分な殺傷力を見込める。散布されたベアリング弾の大半はアントリア達の珪素外骨格に弾かれるものの、何体かは運悪く関節部の被膜を打ち破られ、体内から黄色いガスを噴出しながらその場にひっくりかえった。それだけで動けなくなるほどではないようだが、動きは格段に鈍くなる。
立て続けにバースト射撃を行い、さらに数体のアントリアを撃ち倒す。
だが、仲間を殺されたにも関わらず、アントリア達にはひるむ様子が無い。激昂も怯えもなく、淡々と押し寄せてくる灰色の波。
アーネストの目がちらりと弾の残りを確認する。マガジンを素早く入れ替え、残された弾丸は心もとない。このまま射撃戦で制圧できるだろうか。
「俺は害虫退治に来た訳じゃないんだがな……っ」
『マスター。新手です。接近する熱源を確認、これは宇宙生物ではありません。作業用重機のエンジンと推測』
「ネストさん、あれを!!」
レヴィの指摘と神奈の声に顔を上げる。それと全く同時に、部屋の片隅が外から突き破られた。
破片をまき散らして出現したのは、一機の人型重機だ。払下げ品の古い型で、あちこちに継ぎ接ぎの修繕跡が見受けられる。カラーリングは、一切合切を雑に塗りつぶした黒一色。両腕部分は片方がドーザーブレード、片方が巨大なロータリーカッターになっている。操縦席には、やはり真っ黒な宇宙服を着た男の姿。
そして、その装甲の一部には見覚えのあるマークが、白い塗料で乱雑に描かれている。そのマークに、二人は見覚えがあった。
「ステーションで事故を起こした連中……!!」
『第二種指定迷惑集団、“ランバージャック”と認識。どうやら我々と同じく、情報屋がマーケットに上げた資料を元にここへ訪れていたようです』
アーネスト達とは反対側の壁を突き破って出現したローダーは、そのままノシノシと中央に向かう。その先には、巨大な草体がある。
タイミングが良すぎる。即座にアーネストは相手の狙いを看破した。
「アイツ……俺たちを囮にしやがったな!? お宝を横取りする気か!?」
『マスター、今は戦闘に集中してください!』
「っ!」
レヴィの言うとおりである。アントリア達は背後の重機に気が付いた様子はなく、目の前のアーネストに夢中になっているようだ。視界を埋め尽くすように群がってくる怪物達に意識を戻し、アーネストは引き金を引き続けた。
せっかく目当ての物があるというのに、手を出せない。仕方ないとはいえ、屈辱に歯を食いしばる。
ガチン、と音を立てて残弾が底をついた。バイザーに映る接近警報をよそに、アーネストは腰裏からナイフを抜いた。漆黒の刀身が、ギラリと光を受けて艶めかしく輝く。
白兵戦の間合い。顎を振りかぶって襲い掛かるアントリアの牙へと自ら飛び込み、アーネストはその目にナイフを突き立てた。
悲鳴こそないが、怯んだようにアントリアが後退する。入れ替わりで出てきた個体の牙に裏拳を叩きこんで、仰け反った隙に頭部の隙間に刃を突きこむ。黄色いガスを噴き出して、アントリアの下額がくたりと力を失った。
怪物達相手に力比べをすれば勝ち目はない。いかに相手の有利な戦いに付き合わず、こちらが一撃を与えるかが白兵戦の肝だ。大仰な武器はいらない、ナイフ一つがあればいい。明らかに素人ではない動きで、アーネストはアントリア達を制圧していく。
必要以上に殺す無駄な手間はかけない。次々と怪物達を無力化し、これならこの場を凌げる、とアーネストが安堵したその間隙を縫うように、少女の悲鳴が無線の向こうで響き渡った。
「きゃああ!?」
「式部さん!?」
振り返ると、扉の影で隠れていた神奈を、数匹のアントリアが取り囲んでいるのが見えた。恐らく、外に出ていた個体が巣への襲撃を感知して戻ってきたのだ。
カチカチと牙を打ち鳴らすアントリアに神奈は無力だ。ただの一般船員、それも宇宙昆虫の存在すら知らなかった世界の人間に、抵抗は期待できない。
鋭い牙が、神奈に迫る。
数秒後に訪れるであろう末路が、アーネストの脳裏に白黒で弾けた。
色あせた世界。
倒れる白い人影。うつ伏せに倒れる誰かの胸から、広がっている黒い染み。
「ぁぁああああ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
獣のような遠吠えが聞こえる。
アーネストの左手が胸元から引き抜いたスローイングダガーを振り返りざまに投擲。それは今まさに神奈へ襲い掛かろうとしていた怪物の頭に突き刺さり、動きを止める。そこへ地を駆け、瓦礫を蹴って上からアーネストが襲い掛かった。彼は一瞬で有無を言わせず怪物の顎の一つを切り落とすと。それを目へと突き刺した。
目を潰されて仰け反る怪物を踏み台にして次の怪物へとびかかる。迎撃の爪をナイフで弾いてその場で回転、横顔に蹴りを叩きこんだ反動でさらにもう一匹へ。反応できていないその個体の眼窩にナイフを突きさして抉り出すと、さらにその牙へと手をかけて、捩じるようにして引き千切った。足をかけて完全にもぎりとった牙を手に、まだ生きているアントリアへと襲い掛かるアーネスト。
それは、一方的な戦いだった。
アントリア達の攻撃は一発とてアーネストに掠りもせず、代わりに彼の攻撃はアントリア達の目を、関節を、腹を切り裂いた。苛烈ではあるが、獣のような暴力的なそれではなく、淡々と、工作機械が作業工程を処理していくような戦いぶり。
黄色いガスと体液が無重力に漂い、床や壁を汚していく。
その有様を、座り込んだ神奈は至近距離から見上げていた。
「ネ、ネスト、さん……?」
目の前で機械のような効率性で怪物を屠っていくのが、自分の知っている人間と同一人物だと認識できない。
言葉遣いがちょっと変だけど、気遣いができて、優しくて、わざと三枚目を演じている節のある変わり者の青年。それと、目の前の殺戮機構がどうしても合致しない。
バイザーに隠されたアーネストの顔は見えない。無線越しにも、かすかな呼気と唸りが聞こえるだけだ。
やがて、アントリア達ですらじり、と怯えを感じたかのように攻め手を緩める。感情の無いはずの昆虫たちが、怯懦を成したのだ。
一歩、二歩と下がり、ついには背を向けて逃げ出す昆虫たち。だが、アーネストはその背に向けてナイフを構えた。
防衛戦が虐殺へと転じるその一瞬前。
震える神奈の舌が、辛うじてそれに間に合った。
「……ダメです! ネストさん!!」