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第九話 手ぶらでは帰れない



「っ」


 ギチ、と異物を挟み込んだ歯車のように彼の動きが止まる。その一瞬を逃さず、神奈は床を這いつくばるようにして彼に飛びつき、その足にしがみついた。


「彼らに戦意はありません! これ以上は、無意味な殺戮です! 必要ありません、ネストさんがそんな事をする必要は……」


 しがみついてくる神奈を振り払う動きはない。ただ、感情の窺えないバイザーが、神奈をただ見下ろしている。その向こうに、果たして神奈の知るアーネストが居るのだろうか、彼女は恐ろしくなった。


 そんな事はない。そんな事は。


 抱き着く腕に、ぎゅ、と力が入った。


「…………。……式部さん、怪我は」


「私は大丈夫です。怪我一つありません、ネストさんのおかげです……」


 語り掛けてくる言葉は、神奈の知る彼のものだった。付き合いは長くないし、何度も聞いたという程でもないけど、耳には確かに残っている、穏やかな彼の声。


 安堵に涙を浮かべながら、神奈はなんどもなんども頷いた。


「そうか……」


 溜息のような返事。アーネストは膝をつき、神奈に視線の高さを合わせると、安心させるようにその肩に優しく手を置いた。


「すまない、戦いにのめり込み過ぎた。申し訳ない」


「いえ……」


「本当に怪我はないんだな? それならよかった」


 ふぅ、と神奈の肩に手を置いたまま安堵するアーネスト。神奈が間近で見る彼の様子は、いつものちょっと抜けた所のある気のいい青年、といった様子だ。さきほどまでの無感情に殺戮に明け暮れるような雰囲気は、今は微塵も感じない。


 何だったのかは気になるが、今はそこへ触れるのはどこか憚られた。代わりに、神奈は部屋の中央にあった巨大な草体に目を向ける。


「持っていかれちゃいましたね……」


「ああ。残念だ」


 部屋の中央に聳えていた巨大な植物組織は、乱入者のローダーによって根こそぎ持ち運ばれてしまっていた。巨大なカッターで乱暴に切断され、外側の葉を残して空洞状になった中央部分は、どこかもの悲しさを感じさせる。周辺に自生していた植物も、雑に踏み散らかされてしまっていた。


 狼藉者の姿はない。彼らはアーネストがアントリア達と戦っている間に、収穫物と共に姿を消してしまっていた。


『ランバージャックの連中は、すでにこの場を離れてしまったようです。追撃しますか?』


「……いや。やめておく」


 宙を漂っているモーターライフルを拾い上げ、アーネストは首を横に振った。これまでの行動を見るに、かなり荒っぽい連中だ。下手をすれば血を見る事になる。


 頭が冷えた今、人間同士で争うのは酷く滑稽に思えた。


 しかしながら、随分と雑な仕事の連中である。刈り取りあとを覗き込んで、彼は酷く悲し気に眉をひそめた。


「まいったな、こりゃ……根こそぎもっていきやがって……」


「…………」


「ま、しょうがない。今回はコイツの遺伝子サンプルを入手できただけでよしとするか。……? 式部さん?」


 そこまでいって、返事がない事に気が付いて、はたとアーネストは背後へ振り返った。


 そこには、居たたまれなさに肩を小さくしている神奈の姿がある。どうやら、結果的にアーネストの足を引っ張ってしまった事に落ち込んでいるようだ。


 んー、と少し言葉を選んで、アーネストは神奈に笑いかけた。


「はい、落ち込むのはそこまで! 気持ちはわかるけどさ、しょうがないものはしょうがない! 何、出かけた先で何も手に入らない、なんてのはこんな事やってたらしょっちゅうさ。今回は奪われただけで目当てのものはあったんだ、それでよしとしよう」


「でも……」


「ははは、一度や二度の失敗でへこたれてたらやっていけないぞ? 元気出して、ほら! 逃げ出した蟻達が気分が変わって戻ってくるかもしれないから、その前に頂くものは頂いて撤収!」


 明るく言い放って、アーネストは残された草体から遺伝子サンプルの採取にかかる。現物は持っていかれたが、遺伝子さえ確保しておけば後々、役に立つことがあるかもしれない。


「それにまあ、やりかたが雑なだけで、アイツらが悪党って訳でもないし、結局は俺らも同じ穴のアントリア、ってな。腹を立ててもしょうがないさ」


 自分に言い聞かせるようなアーネストの言葉に、納得はしないものの、神奈は小さく頷き返した。


「はい……。……そ、その! 私も何か探してみますね!」


「おう、よろしく。レヴィ、ちゃんと見てろよ」


『了解しました』


 注射器のような器具でサンプルを採取する彼を尻目に、神奈は周囲をきょろきょろと見渡しながら、部屋の様子を見て回った。


 先ほどの戦闘とローダーの乱入で、部屋は破壊され、宇宙昆虫の残骸が漂い、得体の知れない液体がぷよぷよと漂っている。まるで特撮映画の撮影現場のようだ、と神奈は半分現実逃避気味にそんな感想を抱いた。彼女の価値観、知識においては、宇宙というのは生物の存在しない虚空の闇だ。あんな宇宙生物の存在など、それこそ空想や想像の世界の話であって、現実に存在していたというのがいまだに信じられない。現実は小説より奇なり、というが、限度というものがあるよ、と神奈は内心でぼやいた。


 近づいてきた黄色い雫に首を竦めながら、神奈はおずおずと自分を監視しているであろう電子の保護者に問いかけた。


「あの、レヴィさん、周辺はまだ安全なんですよね?」


『はい。周辺に、動態反応は確認できません。アントリア達は一時的に巣を放棄したようです。まあ、彼らのような生態では、ままある事です。卵や幼体は大事ですが、生殖能力をもった成体が一番大事ですからね』


「そうですか……」


 安全を保障され、神奈は地面の割れ目をのぞき込んでみる。ここからあの怪物達が這い出してきたのを、確かに見た。


 地面の割れ目は、何やらコケのような緑色の植物がびっしりと生えそろっている。怪物達と共生しているという植物だろうか? ハオルチアに似ているが、小さなつぶつぶとした葉が構造物の表面にわさわさと群生しているのは神奈からすればなかなか興味深い光景だ。彼らはもしかしてこれをクッション材として利用しているのだろうか。


「レヴィさん、これは?」


『シリコニウム・アントリアが好んで栽培する……なんていうか、地衣類のようなものでしょうか。地球外の植物に該当する生命体で、環状構造の遺伝子を持っているのが特徴ですね。人体に有害な成分は含まれていないと思われますが、栄養価が特段高い訳でもありません。彼らはこれを、有害な放射線や物理的な刺激に対するクッション材として活用しているようですね、無重力空間にも関わらず構造体に這うように増殖しているのは、彼らがそう植え付けた為です』


 そういえばアーネストが、この施設の植物は彼らが手入れしている、的な事を言っていたな、と神奈は思い返す。


 危険はないという事なので、小さく宇宙コケ的なそれを千切って手にしてみる。手触りはぶにぶにしていて、どことなく海藻に似ている。ちょっと力を入れるとぱちん、と弾けて、内部の水分が外に噴出した。周囲のパラメーターが生存に適したそれである事を確認して、バイザーを解放して少し食べてみる。


「あむあむ」


『……それは、まあ。食べても大丈夫だとはいいましたが……』


 呆れたようなレヴィの声。


 宇宙コケの味は、それなりに悪くはないものだった。青臭さは殆どなく、かすかにハーブのような、ミントのような爽やかな香りがする。口の中で葉をかみつぶすと、爽やかな香りと共に水が弾け、口の中を潤す。思ったよりも葉は皮が分厚く、ちょっと口の中に残るが、シャクシャクとした食感が心地よい。総じて柔らかい肉厚で、火を通すとまた違った感じの食感になりそうだ。地球の多肉植物は食べてもそんなに美味しくはないが、これは少なくとも食べて不味い、という事はない。


 難点があるとすれば、味が無い事だろうか? 先ほどアーネストと一緒にかじったベビーリーフ的なモノと比べても、かなり味が薄い。


 とはいえ面白い食感だ。味付け次第、調理次第で、かなり化けそうな素材だと言える。


 ぴん、と神奈の脳裏で閃く者があった。


「……これって……」


 もう少しむしって、もぐもぐ。


 いける。


 少なくとも、神奈はそう判断した。頭の中に、いくつか即興でレシピが展開される。事前に調達していた材料だと、いけそうなのは”あれ”だ。


 だが、いくつか足りない、否、欲しいものがある。味に深みを出すにはできるだけ複数のタンパク質、アミノ酸が欲しい。


「となると、あと欲しいのは……」


 神奈は巣から這い出すと、その辺に漂うアントリアの残骸に目を向けた。


「ねね、レヴィさん。この、シリコニウム・アントリアってどういう生物なの? 炭素生物?」


『シリコニウム・アントリアは炭素系生物の特徴も持った、ケイ素系生物ベースのハイブリット生物です。もともとはケイ素系生物であったのが、進化の過程で炭素系生物の特性を取り入れていったものと考えられます。遺伝子構造は三重螺旋構造で、根本的に異なる二種の生体組織はシロキサン等が仲介となって維持されていると考えられていますが、研究中です。頑強なケイ素系の外骨格の内部に、柔軟で効率のよい炭素系筋組織を持っており、この特殊な体構造は、数年から数十年スパンで惑星間で渡りを行う彼らの生態が大きな影響を与えていると考えられています。彼らは低圧環境では筋組織を肥大させそれによって運動を行いますが、十分な大気圧が確保されている場合、筋組織を分解し生成したガスを用いたガス圧駆動を行います。どうやら、このプラント内は与圧されているものの酸素不足や無重力空間という事もあって、ガスと筋肉、両方が半端に維持された状態だったようですね』


「ふーん、なるほど……」


 軽く床を蹴って、宙に漂う大きめの残骸に近づく。格闘戦の最中、胸部から腹部にかけてざっくりとナイフで引き裂かれたのが死因のようだ。


 残骸に触れて、裂けた腹から内部を覗く。言われた通りに、きらきらした結晶のようなものを含む組織と、獣の肉のような部位が混在していた。神奈はナイフを取り出すと、炭素系の部位の切り分けを始めた。


『ミス・神奈!? 何をしているんです?!』


「え、だって炭素系っていうなら、食べられるんでしょ? それとも毒があるの?」


『いや、そもそも人間が食べるものでは……間違いなく美味しくないですよ??』


 人間の味覚に興味が無い、というAIがそれだけいうのだから、本当に美味しくは無いのだろう。だが、神奈の狙いは、これそのものを食べる事にはない。


「いいのいいの、いろんな具材から出汁を取った方が美味しくなるから!」


『?? 出汁? ミス・式部が何を言っているのか、私には分かりません』


 困惑するレヴィに構わず、神奈はナイフで昆虫の残骸の中から、黄色い粘液の纏わりつく臓器、脚の筋肉等を切り分けて取り出すと、アーネストに声をかけた。


「ネストさん!! これ、いいんじゃないでしょうか!?」


「うん???」


 遺伝子サンプルを採取しおえたアーネストは神奈の声に振り返り、きょとん、と疑問符に溢れた笑みを浮かべた。目の前で何が起きているのか分からない。


 事実を陳列すると、年下の可愛い部下が、転がっている宇宙昆虫の死体を笑顔で解体して腑分けしている。


 何それ怖い。


「し、式部サン? その、それは、食べるものじゃないんですけど……?」


 ちょっと腰が引けた様子でアーネストが警告する。何を隠そう、彼は食べた事があるのだ、アントリアを。


 その事は数多い失敗の中でも、特に思い出したくない記憶の一つだ。アントリアの内臓には珪素由来の有毒ガスや結晶成分、繊維が含まれている。それを処理しても、じゃりじゃりとした食感に味わう事など出来ず、味もえぐみや苦みが強くとても飲み込めたものではない。さらに筋肉はワイヤーのようにガチガチに硬く、煮ても焼いても文字通り歯が立たない。


 かといって銀河連邦のやり方で資源として活用しようにも、その外殻は非常に頑強で、そのまま分解機に放り込むと分解機が壊れる。


 有機物資源を分解機で分離するのが基本となっている銀河連邦では価値がないのと同じである。ましてや、料理の食材なんぞになる筈がない。


 そういう風に説明するアーネストに、しかし神奈はにっこりと微笑んだ。


「大丈夫です! 問題ありません!」


「そ、そう……?」


「はい! 持ち帰りますので、保存ケースをお願いします!」


 頬に黄色い返り血をべったりとつけた神奈に、アーネストはおずおずと、バックパックから折りたたんだ収納ケースを取り出した。





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