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第十話 料理は科学



 アントリアの内臓と筋肉、巣の中の緑色の植物、他にも色々と残されていた植物を採取したアーネストと神奈は、そのまま速やかにプラントを後にした。


 宇宙昆虫達の撤退は一時的なものだ。襲撃を受けた事で、今頃はプラントのどこかで身を顰め、肉体の構造を作り変えている事だろう。この低重力の宇宙空間で、完全ガス圧駆動に切り替えた宇宙昆虫を相手にするのはかなり危険だ。


 寄り道せずに撤収したアーネストが乗り込むと、紅蓮丸はそのまま逆進し、プラントから距離を取った。翼を翻し、速やかに宇宙の闇へと舞い上がる。


 モニターの中で、遠く背後へどんどんプラントが小さくなっていく。それを見送りながら、アーネストは操縦席で気を抜かずに注意を配った。


「レヴィ。レーダーによる索敵、怠るなよ。連中がまだ近くにいるかもしれん」


『心得ています。今の所機影は確認できませんが、こちらと同じくステルス装備を持っている可能性もあります。常に警戒を厳にします』


「たのむ。もう少し距離を取ったら、安全な宙域で跳躍航法に入る。準備をしておけ」


 指示を下しながら、コンソールを操作するアーネスト。パチパチと音を立ててスイッチを操作する彼に、少しためらうような間をおいて、AIは語り掛けた。


『あの。ところで、マスター』


「ん?」


『ミス・式部がウッキウキで戦利品を広げ始めたようなのですが……』


 非常に申し上げにくいのですが、という意味合いを含ませてAIが報告してくるのに、アーネストは渋面を作った。


 こういう言い方をするからには彼女が広げる戦利品というのは、黄色い粘液を滴らせる内臓とか、ガチガチの筋肉とか、そういうのだろう。アーネストでもあれはダメだろ、と思っている品に一体神奈が何を見出したのか、彼にはさっぱりわからない。


 心のバイブルであり料理本も、初心者かつ一般的な食材が対象であったので、ああいったワイルドな感じの食材の加工方法は彼の知識にもない。


 一体何をするつもりなのか。


 本来なら未知に対する好奇心が勝る場面なのだが、扱っているものがものなので不安と恐怖ばかりが先行する、というのが正直な感想である。


「……換気だけは注意しておいてね」


 半珪素生物であるシリコニウム・アントリアの内臓には、有毒なガス(シラン類)が含まれている可能性がある。うっかり神奈がそれを吸って昏倒するような事があったら事だ。


『……止めないのですか?』


「怖いっちゃ怖いんだが、本人が自信満々なんだから何か策があるんだろ。それに、負い目に感じてるみたいだからな、名誉挽回の機会は必要だろう」


 本人は明るくふるまっているが、アントリアの襲撃で足手まといになった事を気に病んでいる節がある。その反動で、あの妙な行動的な様子を見せている、というのは簡単に推察できる。ここは、すきなようにやらせておく方がいいだろう。


 それはそれとして、少し……いやかなり不安だが。


「……スマン、レーダーだけでなくて式部さんの事も注意しておいてくれ」


『AI使いが荒すぎません?? まあいいですが』




 一方、その頃調理現場。


 そんな一人と一機の不安をよそに、神奈は気合一杯元気いっぱい、宇宙昆虫とやらの謎肉を前にテンションを上げていた。エプロンと防毒マスクを装着した完全防備体勢で、食材の検品を進める。


「よっし、成分表を見る限りは予想通り! 生物学的な意味合いで興味はあるけど、今は料理学が最優先! 頑張るぞっ」


 ぱちん、と成分分析に使っていたツールをしまい込み、神奈は腕まくり……をしたら危ないので、とにかくそんな感じでガッツポーズをして気合を入れた。安全のためにゴム手袋を装着すると、食材の加工に取り掛かる。


 目の前には、大きなタッパ的なケースに収まったアントリアの内臓。昆虫、というと堅い殻の中に水のような体組織が詰まっている印象が強いだろう。あるいは、乾燥した死体のカラカラになった中身かもしれない。


 だが、目の前に置かれたアントリアの骨格周りの組織は、そういった一般的な昆虫、というイメージを大きく覆すものだ。割れた外骨格を引きはがして出てきたその内部は、大きく筋肉繊維が発達しており、どちらかというと魚肉のそれ……カツオやマグロの赤身が近い。ただ大きく違うのが、筋繊維の間に張り巡らされたワイヤーのように珪素繊維だ。触ってみると針金のように固く、これを直接食べられるようにするのは、恐らく不可能だろう。やはり、他の調理方法が必要だ。


「ネストさんが諦める訳です。ちょっと、なかなか、難儀な食材そうですね」


 保存容器に入れていたとはいえ、時間経過によるものかその表面には粘ついた粘液が染み出している。まずはこれを何とかしなければならない。


 とりあえず、樹脂製ナイフでその表面の粘液をこそぎ落としていく。落とした粘液は後で使うのでステンレスフィルターを通して、異物をこしとって容器に貯めておく。


 表面をきれいにしたら、ナイフでぶつ切りにする。とても肉を切っているとは思えないゴリゴリの感触は、珪素繊維によるものだろう。肉というより、ワイヤーを切っている感触だ。


 ぶつ切りに切り刻んだら、鍋へ投入。がっ、ごっ、と硬い音がして、レヴィが不安そうに語り掛けてくる。


『その、本当に大丈夫なんですか? 食べ物の音じゃないんですが』


「だいじょーぶだいじょーぶ」


 続けて、内臓類を取り出す。こちらも黄色い粘液に塗れているのを樹脂製ナイフで取り除き、本来の姿を露にする。一見すると、牛や豚の内臓によく似ているが、物々と小石のようにケイ素の結晶が点在している。ナイフを通すと、砂利混じりの粘度のような、ざりざりとした手応えを感じる。成程、筋肉繊維と違って一見食べられそうに見えて、これでは食べたら大分酷い事になりそうだ。恐らくこれを齧ったであろうアーネストの遭遇した体験を想像して、神奈は思わず苦笑いを浮かべた。


 内臓も切り分けて手ごろなサイズにすると、続けて鍋へと投入する。


 一通り鍋に放り込んだところで、水を投入。浸るほどに注いだら、弱火で鍋を泡立たせる。ぐつぐつと水泡が浮かび上がり始めると同時に、黄色みのある白い泡がブクブクと湧き出してきた。流石に灰汁が多い、神奈はそれをかたっぱしから網ですくいつつ、時折水を追加して煮込み続ける。


 予想通りというべきか、AIが異常を警告してきた。


『有毒ガスの発生を確認、換気を強化します』


「ありがとう、レヴィさん」


 ちょっと慄くような人工音声の響きにも頓着しない。彼女の注意は目の前の鍋だけに注がれている。


 しばらく煮込むと、灰汁の噴出が一時落ち着く。のぞき込むと、黄色く濁っていた水面が、今はかすかに青みを帯びた色へと変化していた。


「レヴィさん、有毒ガスはどうなりました?」


『先ほどから発生は検出されておりません。あらかた揮発したようです』


 念のため成分をチェックするが、有害な成分は検出されなかった。甲殻などに沈着する色素の影響だろうか?


 とにかくそれなら、ガスマスクの役目は終了だ。顔を覆うそれを外すと、鼻にふんわり、ちょっとクセのある香りが漂ってくる。


 いい感じだ。


 小皿にひとさじ、鍋の中身を取り分けて味を見る。


「……ふむ」


 試食してみた限り、やはり地球の食材に勝てるほどではない。アンモニアのツン、とした、甘い泥のような、とでも言うべき匂いに加え、僅かに鼻をツンとつく臭気もある。だが、その向こうに、確かに旨味のようなものを微かに感じる。見た目通り、鶏肉などと比べると甲殻類よりだが、あえて近いものを言うなら鮮度の落ちたシャコを泥臭くしたような感じだろうか。シャコは自己分解酵素が強く、鮮度が落ちると自己分解が進んでしまい、味が急激に落ちる。


 つまりあまりおいしくはない。が、臭みや独特の刺激臭を取り除く事ができれば、それなりに旨味は引き出せるはずだ。もとより食用の家畜でもないものを食べようというのだから、これぐらいは許容範囲である。


 何より、まともな料理がないという銀河連邦の常識でいえば、これでも十分、食べ応えがあるはず。


「うん、計算通り」


 納得した神奈は火をさらに弱めてとろ火にすると鍋を煮込みつつ、次の準備を始めた。


 保存ボックスから野草類を取り出す。群生していたもののうち、香りは強いが青臭くない大きなニラのようなもの、青みの強いネギのようなもの、アーネストも気に入っていたハーブのようなもの。有毒な成分が無い事を確認済みのそれらも、手早く刻んで鍋へと投入。


 中火に切り替えるとぐわあん、と鍋の中身が泡立った。


 それをかき混ぜながら馴染ませる。鍋の中では、野草に加え得体の知れない肉塊が転がりながら、スープの対流の中で泳いでいる。


 それに伴い、香りが少しずつ変わっていく。鼻をつくアンモニア臭が薄れ、その陰に隠れていた甘く柔らかい香りが表に出てくる。香味野菜の代わりに投入してみた野草達だが、思った通りの仕事をしてくれたようだ。香りというのは、味を大きく作用する。どれだけ旨味に溢れていても、臭みやえぐみがあると、その味わいも半減するのだ。特にこういった、煮込む料理においては特に。


 数分煮込むと、再び弱火にしてことこと煮込みつつ、味を確認。


 宇宙昆虫の持つ独特の臭気や雑味が中和されており、想定通り大分クセが取れている。それに加え、先ほどと比べると、野菜の甘味が加わった事で味に深みが出ている。うまく行ったようだ。


 だが、まだ味が単純だ。旨さの段階を上げるために、もう一押し欲しい。


 そのための準備は、すでに進んでいる。


 ことこと煮込み続ける鍋の監視をAIに任せ、神奈は一旦調理場を離れた。


 向かうのは自分に与えられたスペースの端に置かれたインキュベーター。扉を開いて、中にずらりと並んだ培地の一つを取り出して手に取る。


「育ってるかなー?」


 光に透かすようにして、液状培地とそこに育つ白い粘菌を確認。


 この培地は、銀河連邦で流通しているタブレットの主原料であるグルタミンを含んだ培地である。そしてそこに、移民船から持ち出した麹菌を植え付けた。日系人にとって、麹菌の生み出す味わいはなじみ深いものであり、移民先で故郷の味を再現できるよう、それなりの量が船に保存されていた。そのうちの一部を、餞別として持ち出したのである。


 そして狙いは、グルタミン酸である。グルタミン酸は昆布などのうまみ成分の主要成分であり、日本食からは切っても切り離せない、旨味の神髄その一つ。だが、この銀河連邦では当然、昆布など流通していないし、グルタミン酸も精製、流通は行われていない。


 だが、グルタミンは容易に入手できる。


 グルタミンは非必須アミノ酸ではあるが、特定条件で効果を発揮する条件付き必須アミノ酸というやつである。筋肉の修復と成長に大きな効果が見込めるというのがその性質で、宇宙空間ではその需要が大きく高まる。無重力空間では筋肉が衰えやすいので、それを補うためにはグルタミンを多めに摂取するのが一番手っ取り早いのだ。よって紅蓮丸にも当然、多く備蓄されている。


 そしてグルタミンを麹菌で分解する事で、グルタミン酸を生成できる。とはいっても言葉ほど簡単ではないものの、幾度かの失敗を経て、神奈は麹菌の培養に成功した。それはすなわち、培地に含まれるグルタミンも分解され、グルタミン酸が生まれているはず、という事である。


 培地を遠心分離機にかけ、フィルターで分離。アンモニアを除去。生成されたグルタミン酸を、アンプルに抽出する。すこしだけ舐めてみるが、やはりかなり味が薄い。少しだけ残っているアンモニアの香りの方がまだ強いぐらいである。まだまだ培養には改善が必要なようだ。


「……なんか味気ないけど、いっか」


 少なくとも旨味はある。あとは宇宙昆虫とやらの肉から染み出した旨味、野草の香りと、この地球由来のうまみ成分がうまくなじむかどうかだ。


 最後のピースを鍋に注ぎ、中火で再びコトコトと煮込む。灰汁をあらかた取った鍋のスープは、灰色に濁った泥沼のようにごぽごぽと泡立っている。


 十分に加えたグルタミン酸が馴染み、少量残っていたアンモニアも揮発したのを見計らって、神奈は鍋を火から降ろした。水をためたタライの中に置き、荒熱を取っていく。


 その間にごっぽごっぽしているスープから、大きな具材を取り出していく。刻んだ内臓、野草や、肉を収めた鉄の篭。それらは全て廃棄処理だ。


『……あの、ミス・式部? 何故具材を捨てるのですか……?』


「これらはあくまで、スープに味を出すために煮込んでたの。最初から、直接食べるつもりはないんです」


『はぁ。しかし、そのスープも凄い色合いしてますけど……』


 レヴィの疑問ももっともだ。灰色に濁ったスープは、一見すると汚水とそう変わらない。取り切れなかった細かい肉片や野草屑が浮いているのもあいまって、まるで洪水のあとの川のようである。


 それも全て想定通りだ。


「大丈夫、まだ仕上げが残ってるから」


『仕上げですか?』


 そう、と頷き返し、神奈は粘液のつまった容器を手に取った。最初にフィルターに通した、内臓周辺の粘液だ。フィルターを通しても粘つくそれは、かすかに白みがかってはいるが、概ね透明である。それを、荒熱をとった鍋の中へと注ぎ込み、再び火にかける。


 弱火でことこと煮込みながらゆっくりかき混ぜると、粘液が熱で白く濁り、固まり始める。鍋の中の肉片や野草を巻き込んで白い塊が出来上がりつつあるのを見て、AIが困惑に声を上げる。


『あ、あの……ミス・式部? どう見ても物体Xが錬成されているように、見えるのですが……』


「いえいえ、これでいいんです。これがいいんです」


 ぐるぐると鍋をかき混ぜながら、白い塊がしっかり固まったのを確認して、神奈は新しい鍋を用意した。大きなザルをその上に重ねて、レヴィが言う所の“物体X”をそこへ注ぎ込む。ドドド……と白い塊と共にスープが網で濾されて、鍋には青く澄んだ液体が溜まっていく。


『なんと……アメイジング……』


 感嘆したようにAIが呟く。器用に感情を示すAIに苦笑しながら、神奈は自分の知る知識を語りながら作業を進めた。


「これはクラリフィケーションといいまして、地球のフランスという国で考案された、透明なスープを作る為の技法です』


『なるほど……言葉からおおよそ何が起きたか理解できますが』


 クラリフィケーション。直訳すると、浄化、説明という意味。


 転じて液体状のものから浮遊物などの不純物を取り除く手法を意味する。


『察するに不純物を宇宙昆虫の体液を用いることで固め、取り除いたわけですね。そして、このスープだけを抽出した、と』


「ご明察。まぁ、本来は卵の白身なんかを使うんですが」


 当然、宇宙では鶏卵は手に入らない。だが、卵白がそもそもクラリフィケーションに適している理由は、オボアルブミンというたんぱく質がその用途に適しているからだ。


 一方で宇宙昆虫の内臓を保護する粘液にはヘキサメリンが確認できた。これには脂質や他の分子と結合する性質があり、オボアルブミンの代用になり得ると神奈は推察したのだ。


「地球にはこんな巨大な昆虫型生命体は生存していなかったので、試験例がなくてちょっと不安でしたけど、うまく行ってよかったです!」


『というより、よく試そうと思いましたね……』


 ちなみにヘキサメリンは、昆虫の体内で変態時消費するエネルギーを供給する役割を持っていると考えられている。本来は幼虫が蓄えるタンパク質ではあるが、シリコニウム・アントリアは環境に合わせて体内構造を変化させるので、その補助の為に内臓に豊富に蓄えられていたようだ。


 そうこう説明している間に、スープの濾過が完了する。ザルに残った残留物「ラフト」を片付けると、本命の鍋に溜まった煌びやかな青いスープが目に入った。事前の調査では、このように濃い青い色素は確認できていなかった。何か、神奈の知らない理屈が働いているのだろうか。


「綺麗……」


 青は普通、あまり食べものに使われる色ではないし、食べ物から出てくる色ではない。だが、コバルトブルーに輝いて鍋の中で揺れる液体は、食欲を誘う良い匂いをしていた。メイラード反応による香り、肉や野菜の様々な複雑な香り、脂質の旨味。そういったものが混然一体となって蒸気の中に溶け込んでいる。


 先ほどと同じように、お玉で皿に少しだけ味見をしてみる。


「……ん!」


 口に含むと、まず口に広がるのは柔らかい甘味だ。野草から溶け出した、加熱されてキャラメル化した糖分。それが口一杯に染みわたったところで、一瞬遅れて深い旨味が舌にしみ込んでいく。野菜と肉、そしてグルタミン酸が作り出す多重層。それらが過ぎ去った後には、爽やかな香りが残る。


 残念ながら、やはり神奈の知るそれと比べれば大幅に劣りはする。グルタミン酸は確かに昆布のうまみの主成分ではあるが、昆布の味はそれだけではなく、非常に複雑な無数のうまみの組み合わせによるものだ。それに培養も十分でもないのか、舌に感覚を集中させてようやく感じ取れる程度の薄味でしかない。


 それでもあり合わせの材料で作った事を考えれば、十分な出来と言えるラインだ。むしろ、意外にも宇宙昆虫が独特の風味を醸し出している。イノシン酸を期待しての投入だったが、思わぬ結果だ。これはこれで、アリである。


 あとは、塩を加えて味を調整。塩の添加は一発勝負だ、入れすぎたからと減らす事は出来ない。


「よし!!」


 数度の味見を重ね、塩の量を調整。旨味と甘味に塩味が加わり、全体的な味が引き締まってメリハリがつく。


 完成だ。





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