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第十一話 スペースモスの野菜しゃぶしゃぶ



「というわけで、ネストさん、どうぞ!」


「おぉー……」


 そして実食。操縦席から呼び戻されたアーネストは、テーブルの上でことこと音を立てる鍋と、その中に満たされた青いスープを前に簡単の声を上げた。


「これが、話してたやつ? すげーな、アントリアと野草でこんなのが出来たの? ……青いのはなんで?」


「手に入れた食材で作った、塩だしスープです。……青いのは、分かりません」


「そっか。わからないのかー。……大丈夫なのかな」


 ちょっと不安になってきたアーネストをよそに、神奈は続いて他の食材を机に並べていく。


 皿に盛られているのは、巣の中にあった多肉植物のようなコケ類、野草の中でも比較的柔らかなものを千切りにしたもの、そして市販のタンパク質ブロックを薄くそぎ切りにしたものだ。見覚えのあるもの、無い物が混在しているテーブルだが、緑色が多いせいか不思議と華やかだ。神奈が青物が欲しい、といった意味が、少しわかってきたアーネストだが、しかし肝心なのは味である。


「これはどうやって食べるんだい? スープを飲むのか?」


「いえ。ご説明しますけど、まずその前にこれを一口、どうぞ」


 そういって神奈が差し出してきたのは、塩を振っただけの肉厚な苔が一口分。緑色のぷにぷにとした葉の上に、きらきらと塩が輝いている。


「? いいけど……こうしてみると、割と美味しそうだな」


 スープが関係ないのか、と首を傾げながら、野草を口に含む。


 まず感じるのは、上にまぶされた大粒の塩の味。つづけて葉を噛み締めると、ぱつっと弾けて水分が口の中に広がるのを感じた。柔らかい葉は柔らかくもしゃくしゃくとした繊維質があり、それに塩粒のカリッとした食感が混じって心地よい。


 とはいえ、いささか味気ないのも事実。また口の中に皮っぽい繊維が残るのもある。


 美味しいのは美味しいのだが、しかし、結局は野草に塩を振っただけで料理とは言い難い。そもそも目の前においしそうなスープがあるのに、何故それを使わないのだろう。


 アーネストは訝しんだが、まあ何か考えがあるのだろうと口の中のものを飲み込んだ。


「うん、まあ。なかなかのお味」


「ふふ。じゃあ、次はこれを、このスープに軽くくぐらせて食べてみてください」


 そういって神奈が差し出してきたのは、数センチ単位で刻んだ同じ苔。アーネストは訝しみながらも、自作のお化けサイズのピンセット(資料で読んだトング、というものを再現しようとしたもの)で野草を掴み、青いスープへと沈めてみた。


「はい。そのまま、しゃーぶしゃーぶ、ってゆっくり湯の中で食材を泳がせてください」


「なにその掛け声。しゃーぶ、しゃーぶ……?」


 言われた通り、鍋の中で食材をゆっくり振り回してみる。と、ぐつぐつ煮えるスープの中で、食材の色がゆっくりと変化した。艶消しのモスグリーンから、透明感のある透き通ったエメラルドグリーンに。ピンセットの先から伝わってくる感触も、少し違う気がする。


「いい感じです。鍋から引き揚げて、お召し上がりください」


「え、もういいの?」


 火を通しきるにはもう少しかかりそうだが、料理人がそういうのならそうなのだろう。アーネストは食材を鍋から引き上げ、手元の小皿に移した。


 ほかほかと湯気を上げる宇宙苔。たっぷりとスープを浴びて、その表面はぬめりを帯びててかてかと光っている。


 ごくり、と息を飲み、アーネストは恐る恐る、それを口にしてみた。




 気が付くと、アーネストは温泉に浸かって寛いでいた。


 広い温泉は透明なお湯で、ごぽごぽと泡を立てている。


 と、そこに上流から、どんぶらこ、どんぶらこ、と大きな食材の塊が流れてくる。大きな葉っぱや、太い根っこ、溺れてもがいているアントリア。それらがアーネストの前を通り過ぎる度に、お湯は灰色に濁り、どろりと泡立ち、やがて青く染まる。


 すると、再び食材が、彼の前へと流れてきた。


 ぷにぷにした宇宙コケ、シャキシャキとした刻み野菜、ぐにっとした食感が特徴のスライスブロック。アーネストはニコニコしながら、流れてくる食材に囲まれると、ぐびぐびと温泉を飲み干した。




「……はっ!?」


 そこでアーネストは我に返った。


 手元には、何か液体が満たされていた小皿が一つ。口の中にはあっさりとした後味を残し、目の前に並べられていた食材はきれいさっぱり消え去っていた。


 にこにこと微笑む神奈が語り掛けてくる。


「お口に会いましたか? 良い食べっぷりでしたね」


「え? えと、え?」


 困惑するアーネスト。さっきまで山盛りだった食材はどこに?


「し、式部さん。もうちょっと、貰ってもいいかな?」


「どうぞどうぞ。おかわりはたくさんありますよ」


 差し出されてくる追加の皿。しゃぶしゃぶした具材を、今度こそ気をしっかり持って口に運ぶ。


 ぱくん、ぷるるん。


「……!」


 食感の違いに目を見開く。


 生の苔は水気が多く、しゃっきりとした食感が心地よかった。だが軽く熱を通した事で、繊維がしんなりとし、ぷるぷるとしたゼリーのような食感へと変化している。それでいて、芯にはこりこりとした独特の噛み応えがある。


 それに加え、ぼこぼこと凹凸の多い表面にはよくスープが絡んでいる。塩の効いた、多重層的な旨味の共鳴。口に含んだ瞬間に、砂糖とはまた違う、どこか懐かしい甘味がいっぱいに広がり、続いて舌に染み込むような旨味を感じる。


 そう、旨味だ。この銀河連邦においてはすっかり忘れ去られ、アーネストが料理を通して追い求めていたモノ。ビタミンCやクエン酸のサプリメントを口に含んだ訳でもないのに、唾液が次から次にあふれ出てきて止まらない。


 さらに旨味は単一のものではない。いくつもの違う旨味が重なり合って、全体で一つの味を形成している。その一つ一つをアーネストの語彙で形容するのは不可能だ。甘い、旨い、一言で片づけられるはずの味に、いくつも種類があるという事を彼ははじめて知った。


 そんなスープが、火を通したコケにたっぷり絡みつき、噛みしめる度に口いっぱいに広がる。独特の食感を楽しみながら、塩ベースのスープを楽しんでいれば、皿に盛られていた山盛りの宇宙コケは気が付けば消えてなくなっていた。


 名残惜しく思うも、次は刻んだ野草をひと塊掴んで、鍋で泳がせる。火が通りきらず、少ししんなりした所で引き上げて皿に通す。


 こちらは、スープに通した事で野草の臭みやえぐみが消え食べやすくなり、少ししんなりしたもののシャキシャキ感が強く残っている。口の中で噛みしめると、じゅわっ、とスープと野菜そのものの水分が染み出してきた。こってりしたスープの味と、さっぱりとした野草の香りと食感が上手く馴染んでいて、これもいくらでもいけそうだ。


 そして最後に、薄くスライスしたタンパク質ブロック。アーネストも覚えがある、火を通すとゴムのように固くなってしまうやつである。紙のように薄くスライスされたそれを一枚つかみ取り、鍋でさっと泳がせると、熱できゅっと縮むようにスライスが縮んだ。噛み切れない程硬くなる前にさっと皿にあげ、口にする。


「これはまた……」


 ぱつぱつとした食感。火を通すと硬くなるとはいえ、薄くスライスしている事で噛み千切れないほど、という事はない。むしろ歯切れよく、それでいて僅かにもちっとした食感がある。こちらもよくスープに馴染み、元々味が無いに等しいせいで、スープの旨味をより一層感じる。続けて数枚をくっつかないようほぐしてスープにくぐらせ、纏めて口に含んでみる。もちっとしたスライスの間にたっぷりとスープが絡み、熱々とアーネストの舌を楽しませた。


 気が付けば、おかわりの皿も空になっている。野草がメインとはいえ、これだけ食べればお腹も膨らむ。アーネストは満足げにお腹を撫でおろした。


「ごっちそうさん……! 美味しかったよ。なんだか不思議な料理だね、スープに具材を潜らせて加熱調理したのをそのまま頂くなんて。聞いたことが無いよ」


「私の故郷ではしゃぶしゃぶ、と呼ぶ料理です。本当は御出汁で茹でた食材に、さらにタレをつけたりもするのですが、つけダレまでは用意できませんでした」


「え、何それ、まだまだおいしくなる余地があるの?!」


 てっきりこれが完全版だと思ったアーネストは驚愕する。


 神奈はそんな彼の反応に嬉しそうにしながらも苦笑した。


「今回は野菜メインでしたけど、本当はお肉とかを食べるのがメインなんです。あ、でも、つけダレがなくても、御出汁の味を楽しめる素のままも、私は好きですよ」


「へぇ……」


 なんだかピンと来ないままに、アーネストは鍋に目を向けた。


 食材はもう無いが、スープはまだそれなりに残っている。食べ方を考えると仕方ないが勿体ない。しゃぶしゃぶというのは贅沢な、それこそ上流階級の食べ物なのだろうか。


「でも具材がなくなっちゃったな。残ったスープはどうするの? なんなだったら、全部飲んでもいい?」


「ふふ。実はまだとっておきがあるんですよ」


「まじで?!」


 身を乗り出すアーネストに、神奈はテーブルの下から何やら袋を取り出した。それは今回手に入れた食材ではないようで、銀河連邦で流通している事を示すラベルが張られている。


 アーネストも覚えがあった。というか、彼が買っていたものである。


「速攻性凝固ゼラチンでーす。マテリアルそのものは結構凄いものがあるんですね、銀河連邦。んで、これを、スープに投入しまーす」


「ええええええ」


 神奈は容赦なく、その袋の中身をスープに投入した。


 ゼラチン粉末は、本来はサプリメントを飲むのが苦手な人向けに販売されている栄養補助食品だ。それそのものには栄養も味もまったくないが、水を加える事で即座にゲル状になるので、サプリメントをそれに加えてちゅるんと飲み干すものである。


 それがスープと混ざり合い、固まり始める。神奈がぐるぐると鍋をスプーンでかき回すと、忽ち青い煮凝りゼリーが出来上がった。


「はい! おじやならぬ、おじやゼリーです! 鍋物では鉄板ですね、スープに加え具材の旨味が溶け出しているので絶品のはずですよ!」


「おやじ……いや、おじやか。変な名前……」


 地球時代の語彙に首をひねっていると、ひょい、と神奈がスプーンを差し出してきた。


「はい、あーん」


「…………あ、あーん」


 大胆な事をしている割に神奈は笑顔で、気分が乗って自分の行動に自覚がないようだった。


 そこを指摘してまた微妙な距離感に戻るのも嫌だったので、アーネストは覚悟を決めて差し出されたスプーンを口に咥えた。


 途端、口の中にスープの旨味が固形物として広がった。


 しゃぶしゃぶで食材に絡まっていたのとは違い、煮詰めて濃くなった鍋の旨味。さらにそこに、火を通す過程で食材から溶けだした野菜の甘味が加わって、一筋違う味わいを醸し出している。


 それを、ゼラチンで固めて残す事なく最後まで頂けるというのは、なるほど。考えられたものだ、とアーネストは感嘆した。


「はぐっ、はぐはぐっ」


「ホントはご飯があれば最高だったんですけどねー。あとは卵さえあれば。これは今後に期待ですね……って、聞いてませんねこれ」


「はぐはぐはぐっ」


 夢中になって取り皿にとったおじやゼリーをかっこむアーネストに、神奈は自分もひとさじ鍋から掬い取ると、ぱくりと口にした。


 思った通り、彼女からするとまだまだ味気ない、薄味にも程がある。


 が、それでも目の前の人が喜んで食べてくれているなら、それは作った甲斐があるというものだ。


 少しは、名誉挽回が出来ただろうか。


「ふふっ。これからも、よろしくお願いしますね、ネストさん」


 神奈は皿を置き、にっこりと微笑みを向けた。





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