食後、神奈は残った食材の保存処理に勤しんでいた。今回出汁として使った他にも、アントリアの濃縮スープはいくらか残っている。調味料が無い中、旨味成分を濃縮したこの出汁は貴重品だ。使い道はいくらでも思いつく、頭の中でレシピを広げながら、神奈はるんるんと保存用ケースを冷凍庫に閉まった。
アーネストの姿はない。彼はちょっと用事がある、と操縦席の方に向かってしまった。何か聞かせたくない事があるのだろう。
いくら共同生活をしていてもプライベートはある。神奈は隠し事をされている事には特に不満はなかった。
「……隠し事、かあ」
だが、はたとその手が止まる。
正直言うと、移民船での侵入の手口などから、その予想はしていた。それに加えて、これまでの数々の失言……戦闘薬の使用経験、特殊部隊が使うような装備の運用、射撃の腕と白兵戦の熟練度。ここまで条件が揃えば、もはや疑う余地はない。
アーネスト・チャーチルは軍役経験者だ。それも、恐らくかなり機密度の高い特殊部隊の出身。
特殊部隊というのは、単純に強い兵士の事ではない。特定の用途に特化した、特殊な訓練を受けた兵士の集まりだ。彼がこれまで披露した数々のスキルは、間違いなくその手の類のものである。
「まぁ、だからどうという訳でもないんだけど……船長、どこまで見えてたんだろう」
反対側の床を仰ぎ見ながら、その向こうに神奈は今もどこか遠くを航行中の移民船、マイホームであるヤマトタケル……そしてその指揮を執っているであろう四菱船長の事を思い返した。
アーネストが軍人だろう、という事を最初に指摘したのは彼だ。そして、躊躇いがあった神奈の背を押し、彼についていくように指示したのも船長だ。
一体、彼にはどこまで見えていて、どこまで筋書きを描いていたのだろうか。
神奈がアーネストについていく事で、銀河連邦という社会について情報を得る。そして彼女が銀河連邦において何らかの立場を得る事で、それを足掛かりに移民船員達の社会進出を行う。
だがそれ以上の事を、彼は見ていたのではないか。
ともすれば、心の中で芽吹いていた淡い思慕さえも、彼は見透かし、利用したのではないか。そう。移民船にとって次世代の繁栄は大きな使命の一つであり、同時に血の繋がりでアーネストという優秀な人材を取り込む事が出来れば、それは移民船にとって大きな恩恵になる……。
「……ま、まさかね」
思いついた考えを否定しながらも、神奈は微かに浮かべてしまった妄想に頬を赤く染めたのだった。
一方。
アーネストは紅蓮丸の操縦席で、久方ぶりに知人と連絡を取り合っていた。
通信先は、“美食ハンターの集い”。彼らは皆、アーネストと同じく、料理というものへの憧れと渇望を捨てられない、早い話が変人達だ。
「……つー訳だ。どうだ、吃驚したかお前ら」
サウンドオンリーの通信先に向けて胸を張るアーネスト。トラブルを避ける為、同じ美食ハンターでもそうそう素顔は晒さないのが決まりである。
『吃驚するというよりドン引きだわ』
『あれを? 蟲を? 食べる??? 前からおかしかったけどとうとう本格的に頭に毒が回ったのかしらアーネスト』
「なにをぅ」
前からってなんだ前からって、とアーネストは座席から文字通り飛び上がって憤りを示した。通信先から押し殺したような笑いが響く。
『……まあでも、面白い話を聞けたよ。流石、アーネストだね。僕らの中での切り込み隊長なだけはある』
「そんなのになった覚えはねえぞ」
『またまたぁ。例の、ヤマトタケルだっけ? 皆がどうしようかなって悩んでる段階で後先考えずに乗り込んでいったの、貴方でしょう?』
痛い所を指摘されて、む、とアーネストは口を紡いだ。
確かにあの時は、集いにも声をかけずに単身、勢いのまま乗り込んでいった。流石に後先考えない行動だったと、今は反省している。
とはいえ、それはそれ、だ。結果的にその行動のおかげで、宇宙細菌ブラッキンに移民船が撃沈されるという危機を回避できたし、移民船の乗組員とも良好な関係を築けたのだから、結果オーライという奴である。
とはいえ、成功者が妬まれるのは世の常である。なんでお前が……という意見も、中には混じっている。
『いいよなあ、チャーチルは。移民船、今は厳重な警戒ラインが引かれてて、今じゃ接触しようにもできやしない。地球伝来の食事とやら、僕も食べてみたかったよ……ねえ、ピザとかフライドバターとか、無かったのかい?』
『それよりも珈琲だ珈琲、あの伝説の飲料を飲む機会だったかもしれないのに口にすらせずに戻ってきたとか何考えてるんだ君は、珈琲の事さえつかんでくれれば銀河一万人の珈琲同盟は君への無上の支援を厭わなかったというのに。いやむしろ君は珈琲同盟の敵だ。首を洗って待っていたまえ』
「知るかよお前らの執着なんぞ!?」
一部のハンターから苦情が飛ぶ。とはいえ、彼らも本気ではない。はずだ。多分。恐らく。メイビー。
身の危険を覚えてアーネストは鳥肌がたった腕を撫でさすった。
「ええい、わかったわかった、式部さんにその辺りの話を聞いておくよ! ついでにお前らが集めた食材のデータも送っとけ、代用品にならないか見てもらうよ」
『ホントか!? 心の友よ!』
「調子いいなほんと……」
打って変わって180度掌を返す知人達に、アーネストは脱力しながら操縦席に戻った。まあ、自分も逆の立場だったら似たような事をした確信はある。
さて。無駄話もこのあたりだ。アーネストは意図して硬い口調で話を切り替えた。
「で。不埒者の件、お前らの方はどうだ?」
『“ランバージャック”だったかしら。……ええ、私の縄張りでも、その手の奴らが最近、環境保護指定区域を荒らしていたわ。こっちはとっくにお縄になったみたいだけど』
『僕はもっと直情的に襲撃をしかけられたよ。返り討ちにしたけどね』
次々と、知り合い一同からも似たような話が出てくる。
明らかに、宇宙規模で治安が急激に悪化しているとしか思えない報告に、アーネストもまた顔をしかめる。
『原因は……まあ移民船だよね。レーゲンの旦那が、いくつか情報を市場に流したのに、考えなしの短気どもが飛びついたようね』
『食べ物は金になる……そこまで単純な話でもないけど、そこまで考えられないような奴らには関係ないか』
あくまで嗜好として料理を追い求めていた美食ハンターたちとは別に、楽して稼ぎたい、あるいは後ろ暗い事があってまともな職につけない、そういった理由でフリーランスで宇宙を行き来する者達がいる。
早い話が半グレやマフィアだ。
彼らはこれまで鉱石や宇宙船のジャンクを商材としていたが、移民船の一件があってからはどうやら食材にも手を出し始めたらしい。当然、知識も何もなく上手くは言っていないのだろうが、彼らは負のバイタリティに溢れている。10件に1件金になればいいと、手あたり次第に首を突っ込んでいるようだ。
面倒な事になった、とアーネストは手すりに頬杖をつく。
『あまりいい感じではないね。この調子で連中が横暴の範囲を広げていけば、銀河連邦も対処せざるを得なくなる。何かしらの規制や制限が設けられれば、間違いなく僕らの活動にも差し障りが出るだろうね』
『それは困る、現状でも大分お目こぼしあっての事なんだ。参ったな……』
「……面倒だが、可能な限り自警活動に努めるしかないな。こっちから喧嘩を売る訳にもいかないが、連中の活動について互いに情報交換しつつ、パトロールに報告。それでいいな?」
逆に言えば、それ以上出来る事はない。
連中と違って、美食ハンターの集いはあくまで善良な一般市民なのである。例え武装していてもそれは自衛の為であり、商売敵を殲滅する為に使っていいものではない。
『ま、そりゃそうなるわな』
『了解。今度は会合の頻度も増やしていきましょうか』
『とにかく警戒と監視。警戒と監視だ、諸君』
話はそれで纏まった。
これで通信はお開きなのだが……不意に、アーネストの手元の通信端末が、ぶるぶると震え始めた。慌てて手に取ってみると、秘匿通信。それもいくつも。
連絡先は……今、サウンドオンリーで会合している面々である。
内容は、どれも似たり寄ったり。すなわち。
<で、蟲の味は?>。
<調理方法を纏めて教えて欲しい。早急に>。
<蟲のコロニーのあるいい場所しってるんだけどさ>。
爆笑するのをなんとか堪えて苦笑いでこらえるアーネスト。なんだかんだいって、全員興味津々なのである。
「……お前らな」
『? 何かな?』
「いんや、なんでもない。じゃ、また次の会合で」
結局、誰もかれもが似たり寄ったりなのである。
こうして、神奈考案の蟲レシピは美食ハンターの中に広まる事になった訳だが……。
美食ハンターの中に食品会社の社長がいて、(その数の膨大さから)安定供給が可能な宇宙昆虫を食材とした料理にビジネスチャンスを見出し、後々に銀河連邦初のラーメンチェーン店<銀河一番>を暖簾上げする事になるとは、この時のアーネストは想像もしていなかった。
銀河に、少しずつ大きな変化の波が、訪れようとしていた。
~《紅蓮丸冒険譚 著:アウスビッツ・レーゲン》より抜粋~
〇スペースモス
・廃棄された植物プラントから発見された新種の作物。単独では無重力空間では上手く生育しない為、シリコニウム・アントリアの影響を強く受けた品種だと考えられる。彼らとはある種の共生関係にあったようで、巣内の保湿や構造の維持など生活環境を整えるのに一役買っていたようだ。人間でいう、クッションや絨毯のようなものだろう。
非常に肉質が柔らかく、青臭さが殆どない。有毒成分も検出されず、シリコニウム共存体にありがちなケイ素細胞の混入もない。その為生食も可能だが、火を通す事で僅かな異臭も消え、さらに独特の食感が楽しめるため出来るだけ茹でて食べるのを推奨する。
人間が飼育する場合、水分をたっぷりやる事と出来るだけ有重力下で育成する事で簡単に増殖する。その御手軽さから、発見・報告以降、食を楽しむ者達の間では入門食材として広がっているようだ。
〇シリコニウム・アントリア・レッサー
・廃棄された植物プラントから発見された、シリコニウム・アントリアの亜種。厳密には原種と同一の三重遺伝子構造が確認されているが、環境の違いか肉体構造に大きな変化が見られるため、暫定的に別名が設けられた。厳密に原種と同一かどうかは、今後の研究を待つことになる。
アントリアは半ケイ素半炭素と呼ばれる特殊な生体構造を持っている事で有名な有害生物であり、基本的には資源にもならないとされてきた。だが報告により、その肉は直接食材とはならないものの、高品質のタンパク質を煮出す事が可能であると判明した。元々宇宙防疫法の適用対象であった為、駆除費に悩む自治体などでこの利用法が試された結果、爆発的な勢いで市井に調理法が普及した。今やアントリアの蟲ガラを用いたスープは市民食となり、ついには銀河連邦で初めてのチェーン店”銀河一番”が誕生する事になる。