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超臨界ナマコの甘辛煮

第一話 依頼



 宇宙の闇を切り裂いて飛ぶ、一振りの刃。


 紅蓮丸は今日も、主の命に従って銀河の端から端へといったりきたり。


 その腹には、ぐるぐると回る居住区が抱えられている。直径およそ10mのこのドラム型の居住区は、回転する事で慣性による疑似重力を発生させる事ができる。


 グラビトロンリアクターによる、重力そのものの操作が一般化した今では、古いやり方だが、これにはこれで一定の利点が存在する。


 一つが、周囲に影響を与えない事だ。グラビトロニウムによって発生する本物の重力と違い、疑似重力は宇宙ステーションなどで密集して船舶を止める際に周囲に気を使う必要が無い。それはすなわち、重力の発生を止める事なく、ずっと動作し続けられるという事だ。


 そしてそれは、植物の栽培にも向いている、という事でもある。


 居住区の一角で、神奈は自分に与えられた机の上に並べたシャーレの中身を確認し、ニコニコと微笑んだ。


「よし、皆少しずつ大きくなってきたかな」


 シャーレの中を満たすのは透明な寒天培地。その上では、植物の組織片のようなものが育ちつつある。


 それらは、前回訪れた植物プラントで回収した様々な植物の組織片だ。それを神奈は培養し、育てていた。これが成長すれば、いつでもこの間の野菜しゃぶしゃぶをメニューとして安定提供できるようになるはずである。それに加え、採取したサンプルにはまだ正体の分からないものもあり、もしかすればまだ未発見の野菜が育つかもしれない。


 あくまでまだ希望に過ぎないが、現状の経過を見る限りは、野菜の培養は順調といっていいだろう。


 神奈はシャーレの一つを手に取り、頭上に掲げて仰ぎ見る。照明の光で緑色の組織の中、葉脈が透けて見えた。


「んー。これはそろそろ、培地から土に植えても大丈夫そうかな?」


 手にするものだけではなく他にもいくつか、生育がやたらと早いものがある。寒天一杯に根っこを張り巡らせ、小さな若葉を出しているそれは、もう組織片というより立派な野菜だ。


 これ以上の成長を期待するなら、土に変えるべきだろう。これらの土は、他の惑星で採取したとかではない。アーネストに分解装置の設定をちょっと弄って用意してもらったもので、正確には土というより乾燥した有機物の混合物、といった方が正しい。それに、砂利の代わりに粉砕したプラスチック片を混入している。偏っているとはいえ使える資源に制限がないのは、移民船に居た時と大きな違いだな、と神奈は頬を緩ませた。


「あら?」


 そうやって移植を進めていると、一つおかしなビーカーを見つけて神奈は目を白黒させた。


 寒天培地は、どうしても植物片だけでなく、他の菌類も繁殖してカビになりがちだ。それそのものは仕方ない事なのでいいのだが、そのシャーレだけは、寒天培地に菌類が一切繁殖せず、綺麗なまま。かといって栽培に失敗しているわけではなく、組織片は元気に成長している。


 寒天培地に問題がある訳ではないようだ。どちらかというと、理由は組織片にあるのだろうか。


 んー、とその組織片から生えている葉の形などをチェックしていた神奈は、ふとある事に思い当たって、ご機嫌に手を鳴らした。


「あ、あれかな、もしかして! いいわ、味付けのバリエーションが増える!」


 ルンルン気分で土に組織片を植え替える。最後に、まだ成長途中のシャーレを培養器に戻し、神奈は観察記録をタブレットに記載した。


「ふふ、ネストさんが喜ぶのが楽しみですっ」


 あれができたらこれが出来る、これが作りたいからあれが欲しいな、そんな風に頭の中でレシピを考えながら、神奈は居住区の出入口に目を向けた。


「そういえばネストさん、どこかと連絡がある、といったけど、どこと話してるのかしら」




 紅蓮丸の操縦席。


 そこでアーネストは、通信機越しにある人物と会話していた。


『お久しぶりです、チャーチル君。三か月前、ホド銀河への護衛をお願いして以来だな』


「ええ、お久しぶりです、オルム先生」


 通信越しに顔を出しているのは、銀色の髪をした壮年の男性だ。彼はセリナ・オルム。シグマ・ステラ大学の教授である彼は、同時に星間生物多様性研究所にも籍を置いている、宇宙を渡る生物学者だ。彼は通信の向こうで、顎髭を撫でて形を整えると、ぎっ、と深く椅子に身を預けた。その背後には、ごちゃごちゃとした本棚や実験設備が並んでいる。


 今日は、珍しく大学の研究室に居座っているらしい。


 彼は宇宙に存在する様々な生物の研究結果を民間に公開し、その知的好奇心を刺激する事で支援を受けている。そのせいで大学にはほとんどおらず、もっぱら宇宙を駆けまわっている。


 フィールドワークといえば聞こえはいいが、問題も多い。この宇宙には武装した宇宙海賊や、攻撃的な星間生物、最も危険な脅威を上げれば宇宙怪獣の襲撃などもある。そういった脅威から身を守る為に、ある程度の武装を備えた護衛がどうしても必要だ。


 つまり、アーネストのような人物を必要としている訳である。


『今日は顔なじみに新しい仕事を頼みたくてね』


「つまりちょっと危ない所に顔を出すと」


 アーネストは露骨に眉をしかめた。


 何を隠そう、彼らはアーネストのお得意様だ。同時にアーネストからも彼らの存在は非常に重要なツテである。なにせ、宇宙を駆けまわり妙な生物を調査して回る彼らについてまわれば、未知の食材をゲットできる可能性がある。勿論、勝手に好き放題持っていく事は出来ず、彼らの監視下で持ち帰る量は制限されるが、それでも一人宇宙をうろつくよりはよっぽど成果が見込める。よって、アーネストは発見した生物の一部と引き換えに、格安で彼らの護衛を引き受けてきたのだ。


 最も、これまでの入手物はイマイチ成果が出ていない。


 宇宙鮭という生物の捕獲に協力したのはまだ記憶に新しいが、正直その時の事は思い出したくもない。


 危険は比較的薄いという話だったのに、狂暴な宇宙怪獣が出現したのだ。そして調査団を守る為に、機動力に優れる紅蓮丸が単身囮になる羽目になった。


 人類のテクノロジーを嘲笑うような巨大怪物に追い回された経験は、そのあと一週間ぐらいアーネストの夢見を脅かした。


 おまけにせっかく手に入れた宇宙生物、食べる所が何もないという落ちである。宇宙鮭とか名付けた奴の顔を見てみたい。


 そんな忌まわしき記憶を思い返し、アーネストは渋面を作った。正直、仕事の依頼は当面キャンセルしたいというのが本音である。


 一方、それに対し、通信先のオルムは全くそんな事で懲りた様子は見受けられなかった。


 少なくとも、一度や二度、命の危機に直面したぐらいで反省するつもりはないらしい。


「それで、今回も護衛を行う感じで? 正直もう勘弁してほしいのですが」


『ははは、信じてもらえないかもしれないがね、我々も荒事は懲りたよ、次はもうちょっと平和さ。ただ、今回は特別な機材の用意で予算が尽きてしまってね……船を自前で用意できそうにないんだ。だから、チャーチル君がよろしければ、我々スタッフと機材を、君の船に積ませて欲しいんだが……』


 言葉と共に、依頼料が提示される。断るつもりでいたアーネストは、その金額にぐらりと決意が揺らいだ。


 なかなかの額である。神奈を船に迎えて色々と余裕がないアーネストとしては、魅力的な話だ。


「……わかりました。依頼は前向きに考えますが、それはそれとしていいんです? 同乗なんて」


 基本的に、護衛は別の船に乗るのがお約束だ。金で契約しているとはいえ、結局、無頼漢である事は変わらない。学者先生からすれば、荒くれと同じ空間で過ごし、あまつさえ大事な機材を預けるのは不安ではなかろうか?


 特に、これまでの付き合いでチャーチルが人に明かせないような経歴持ちである事をオルムは察している節がある。


『はははは、チャーチル君とはもう何年もの付き合いだ。そういう事をする人ではないと信じているよ』


「……信頼って、ある意味大金よりおっかないですよね」


『はっはっはっは、それが分かっているならよろしい。それに、噂で聞いたよ、美人のスタッフを雇ったんだって? これからもよろしくという事で、顔通しといこうじゃないか』


 そんな事をいう銀髪の紳士は、全くそんなつもりではない事が画面越しでもバレバレだ。


 こいつもかよ、とアーネストはげんなりとする。ちらり、と背後を見て、彼女が操縦室に入って来ていない事を確認する。


「言っておくけど、式部さんとはそういう関係じゃないからな。彼女はあくまで大事な預かり人だ、便宜上、スタッフって事にしてるだけ。いいな?」


『わかった、わかった。そう怒らないでくれたまえ。それでは、よろしいという事でいいかな?』


「ああ、問題はない。スペースには余裕があるからな。ところで、次はどこにいくんだ?」


 跳躍航行があるから、座標さえわかっていればどうとでもなる。それとは別に、純粋な好奇心からの質問だ。毎度毎度連れていかれた妙な場所を思い返し、アーネストは軽い気持ちで確認した。


『ああ。今回向かうのは、ビナー銀河の外れの外れ、ハピタブルゾーンから遠く離れたヴォイドゾーン、そこに存在する惑星ニヴェアリスが今回の調査対象だ』


 ヴォイドゾーン。


 それは宇宙の間隙。銀河や銀河団が存在しない、広大な虚無に満たされた空間だ。宇宙の大半を占める領域でもある。生命体の存在しうる、恒星からの適正距離であるハピタブルゾーンとは全く逆の存在だ。


 そんな所に、果たして生命体の存在する惑星が存在するのか? アーネストがまず抱いたのはそんな疑問だった。


『はは、顔を見ればわかるよ。そんな凍てついた惑星に生物がいるのか、だろう?』


「それはまあ、はい。宇宙空間そのものを拠点にする宇宙鮫だの、宇宙怪獣だのは居ますが、これはそれとはまったく別の話でしょう? そもそもどんな所なんです、そのニヴェアリスって」


『まあ、ちょっと待ちなさい』


 アーネストの疑問に、通信の向こうで机の下に潜り込んだオルムがガサゴソと何かを漁っている。画面に戻ってきた彼の手には、一枚の写真。そこには、果てしなく広がる大氷河が映されている。


『5年前の事だ。跳躍航行装置のトラブルで、一隻の宇宙船がこのヴォイドゾーンで難破した。漂流の果てに、その宇宙船は水を求めて、たまたま近くにあった惑星へ不時着。それがニヴェアリスだった訳だ。この通り、ニヴェアリスの表面は分厚い氷に覆われている。ヴォイドゾーンに存在する惑星にこれだけ豊富な水資源があるのは珍しい、一説によれば銀河形成時に何らかの要因ではじき出された惑星であるという可能性が……』


「いや、そういうのはいいので。生き物がいるのかいないのかだけお願いします」


 アーネストは気持ちよさそうに語るオルムにストップをかけた。学者先生を好きにしゃべらせるときりがない。


『おっと失礼。まあとにかく、場所が場所だから、水は全て凍り付いているに違いない。そう思って、ある程度の量を確保するべきドリルを突き刺したんだが……なんと、僅か10kmも掘ったら、そこから液体の水が噴き出してきたそうだ。それも、小さな水中生物と一緒にね。びっくりした船のスタッフが、カメラを氷の下に沈めてみると見えたのが、これだ』


 言って、オルムが端末を操作すると、通信画面が切り替わる。


 それは一言でいえば、深海のような写真だった。真っ暗な光の無い海に、一筋のライトの光が差し込んでいる。


 頼りない小さな明かり……にも関わらず、その光の中には、無数の生物らしき影が照らされていた。


 アーネストもすぐに理解する。


 生物の生存に適さない環境に、生き物が生まれる事はある。だが、それにしてはあまりにも個体数が多い。


 見た所、光に集まっているという感じではない。単純に水中の生物密度が高く、たまたま適当に照らしただけで複数の生物が確認できているという事なのだ。


 それは、確かに妙な話である。


「……なるほど。先生方が調べたがる訳です」


『うむ。惑星の地熱などによって氷が解け、そうして出来た海に独自の生態系が構築される、というのは実は広い宇宙では珍しくない。恒星からの熱は届かなくとも、宇宙線はヴォイドゾーンにも満ち満ちている。氷を貫通して届くそれらをエネルギー源に代謝を行う生物も居れば、海底の火口近くで硫黄等を代謝して生きている生き物もいる。生物というのは全く逞しいものだが……いずれの場合も、生物群が偏るか、個体数が少ないのが殆どだ。このように、一目見ただけで多様な生態系が豊富に存在しているという例は、古今東西聞いたことが無い。非常に興味を惹かれるね』


 饒舌に語るオルムはいかにもご機嫌だ。よっぽど、そのニヴェアリスへの調査が楽しみらしい。


 話を聞いている内に、アーネストの中でも惑星への興味が増していくのを感じる。上手く乗せられたともいえるが、それだけ豊富な生態系が構築されているというのなら、食べておいしい生物もいるかもしれない。宇宙の美食を探し求めるアーネストにとってはまたとない機会だ。


「わかりました。詳しいスケジュールを詰めましょう」


『お、やる気になってくれたみたいだね。では早速』


 その後、オルムとアーネストは一時間ほどかけてスケジュールを詰めると、今回の通信を終えた。真っ暗になったディスプレイの表面に反射する自分の顔を見ながら、アーネストは神奈になんて伝えるべきかな、と少し考えを巡らせるのだった。




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