突然事務所に入ってきたベージュ系のスーツを着た美女。
黒のショートボブで袖口をまくり上げているところ、冒険者として動きやすくするための格好として洗練されている気がした。
「紗夜先輩、おかえりなさい」
「あぁ瑠璃ちゃん、ただいま……って言いたいところだけど、このまますぐ出なきゃなのよねぇ」
そんな彼女はまたも深くため息をつくが、その後バッチリ俺と目が合った。
「え、もしかして……新人さんっ!?」
そう言って再び目に輝きを取り戻す。
そしてソファに腰をかける俺の顔を、彼女は前屈みになって覗いてきた。
おっふ、距離が近くていい匂い……。
しかしこんな至近距離に美女などあまりない経験、俺は肌で感じる羞恥から自然に体を仰け反らせつつ自己紹介に入った。
「あ、えっと、はい。今日からここでお世話になる戸波海成と申します」
「そっか。……つまり私の後輩さんになるわけだ」
「そう、なんですね。よろしくお願いします」
「うんうん、よろしくだねぇ。私は相羽紗夜。気軽に紗夜って呼んでくれたらいいからね」
「紗夜さん、でもいいですか?」
「紗夜……さんか。うん、そうだね、私先輩だもんね。じゃあこれからよろしく、海成くん!」
「こちらこそ、です」
どうやら出勤初日、俺にとんでもなく可愛い先輩ができたらしい。
困ったな、瑠璃に紗夜さんに。
ちょっとここの事務所、女性のレベル高くない?
しかも2人ともなんか距離感近いし。
果たして俺の理性が持つかどうか……。
「ちょっと紗夜先輩? もう少し離れないと、戸波さん可哀想じゃないですかねぇ」
瑠璃は俺と紗夜さんの間に割って入り、彼女を正面から押し戻す。
「アハハ、ごめんね海成くん。初めてできた後輩だからさ、ちょっと嬉しくて」
「あ、いえ」
……いや、本当全然良かったんだけどね、近くで。
しかし一方でプクリとむくれた顔の瑠璃。
きっと彼女は俺の困惑した表情を即座に察知し、善意のつもりでしてくれたことだろう。
そう思うと、めちゃくちゃよく出来た後輩である。
そんな瑠璃の表情を見て、紗夜さんは突然ニタリと口角を上げた。
「へぇ〜瑠璃ちゃんがこんなに早く手懐けられるとはねぇ。さては海成くん、プレイボーイだな?」
そしてなぜか矛先は俺に。
「え……っ!? 紗夜さん、何言ってるんですか!」
「紗夜先輩……っ! やめてくださいっ!」
俺の咄嗟のひと言とほぼ同時に、瑠璃は顔を赤くして反論していた。
「あはは、ごめんごめん。2人とも可愛くってつい」
「……もうっ! 紗夜先輩は次、ダンジョンがあるんですよね? 早く行ってきてください!」
「あっ! 忘れてた! 瑠璃ちゃんありがとう。じゃあ久後さん、次のダンジョン行って……ってまたゲーム」
紗夜さんはここを出ていく前に久後さんのデスクを一瞥し、ガックリ肩を落とし、ため息を吐く。
しかしその嘆息も彼には届かず。
久後さんはヘッドフォンをしてどっぷり世界に浸かってるが故に全く気づく素振りすらない。
「……もうっ! 瑠璃ちゃん、ゴメンだけど久後さんのことは後は任せていい?」
「……はい。どのみち先輩にスキルの説明をした後、どうにかするつもりでしたから」
瑠璃もやや呆れ気味でそう言う。
俺の上司になるお方、久後さんはこの空間にいる女性達から冷ややかな目で見られている。
……マジで、この人大丈夫か?
そんな唖然とした現場の空気など気にも留めず、といった様子の久後さん。
まぁ瑠璃がどうにかするって言ってたし、きっと大丈夫なのだろう。
それから紗夜さんはダンジョンへ向かったようなので、俺と瑠璃は再びスキルの話へと戻った。
とはいえ俺のすることはすでに決まっている。
【隠蔽】スキルの獲得だ。
上位職への異質な進化を果たしてしまった俺は、絶対に隠さなきゃならないからな。
ちなみにこの【隠蔽】スキル、【鑑定】スキルと対になっているらしい。
冒険者が基本的に獲得するのは、もちろん【鑑定】スキルの方。
なぜかというとスキルの獲得レベルにはよるが、敵対するモンスターのステータス情報を得ることができるからだ。
つまりダンジョン攻略には必須ということになる。
そして獲得レベル、それは【鑑定】、【隠蔽】ともにレベル1から10まであり、冒険者がダンジョン攻略をする上で必要なレベルは5まで。
《レベル1》モンスターのレベルは分かるがステータス全般は視えない。
《レベル2》それに加えてモンスターのHPやMPが視えるようになる。
《レベル3》モンスターのステータス部分が視えるようになる。
《レベル4》冒険者にも鑑定が適応になる。
《レベル5》冒険者含めて習得済みのスキルや弱点などが視えるようになる。
こんな感じで効力が変わるので、冒険者は皆レベル5を目指すのが一般的。
レベル6以降は大きく能力は変わらず、効果といっていいか分からないが、同スキルレベルの【隠蔽】を見破ることができる。
ほとんどの場合必要はないが、S級ダンジョンにもなればモンスターに【隠蔽】スキル持ちもいるようで、それ目的で習得している冒険者もいるって話だ。
ちなみに【隠蔽】スキルはいくらレベルを上げても同スキルレベル
ってことはスキルレベル10の【鑑定】には見破られてしまうが……瑠璃いわく、そんな物好きはいないとのことだ。
仮にこの【鑑定】【隠蔽】をレベル10にしようもんなら、進化時に得られるスキルポイント全てを掃き出すくらいは必要。
そもそも上位職へと進化を果たせる冒険者など、全体の1割にも満たないレベルらしいし、普通の冒険者であれば、戦闘に必要なスキル獲得にポイントを使用するはず。
つまり俺が【隠蔽】レベル10を習得すれば、実質バレる心配はほぼゼロになるというわけだ。
「というわけで先輩、全てのスキルポイントを吐き出しましょう!」
テーブル越しに腰を掛ける瑠璃は、笑顔でそう言い放った。
なるほど。
えっとたしか俺のステータスにあったスキルポイントは、初期にあった500と冒険者レベルが3になったことで得た40ポイント、進化した後に増えていたのが10000ポイントだったよな。
それで、【隠蔽】に必要なスキルポイントがレベル1で100ポイント、レベル2で300ポイント、レベル3で500ポイントと200ポイントずつあがっていくらしいから、レベル10までいくと……うん、10000ポイントってことか。
つまり残りは……540ポイント。
しかし俺に迷う余地などない。
マジックブレイカーという上位職を隠し通すことはもうすでに自分の身の安全だけじゃない、瑠璃やここの事務所メンバーの人達の身を守ることにも繋がるかもしれないのだ。
みんなを守るため、俺はレベル10の【隠蔽】獲得すら厭わない。
厭わないのだ。
……本当に厭わないぞ。
「よ、ようし……ポイント、吐き出ずぞぉ」
俺は景気よく瑠璃にそう言った。
「あれ……先輩、泣いてません? 大丈夫ですか?」
「あぁ、だいじょゔぶ……」
「は、はぁ。それなら話、すすめますね」
悲しくなんかない。
別にカッコイイスキル名とかいっぱいあったから取得したいなとか別に思ってないし。
そんな内心とは裏腹に止まらない涙を俺は手で拭いながら、瑠璃の言われるとおりステータス画面を開き、【隠蔽】獲得を行ったのだった。