デスウィーバー。
紗夜さんがそう呼んだ存在は8つの禍々しい眼で、天井から俺達をジッと観察している。
「海成くんっ! 私の後ろに隠れてっ!」
「いや、でも……」
「いいからっ!」
紗夜さんは是が非でも守らんと、俺の前に立ち、そのモンスターと対峙する。
この張り詰めた空気から、ただならぬ緊張感を素人ながらに俺は感じた。
それはさっきのナイトワームの巣の比ではない。
あの時はまだいつでも抜け出せるぞ、と言わんばかりの余裕が見えたが今回は違う。
一瞬でも気を抜くとやられるという危機感をお互いが感じている、そんな様子。
静寂した空気、わずかな隙が遅れをとってしまう。
故に互いが睨み合い、機会を伺っている。
そして紗夜さんがチラリと俺を一瞥した瞬間、その蜘蛛は動きを見せた。
デスウィーバーはその大きな口から、勢いのままに白い糸をはく。
「紗夜さん……っ!」
やばい、彼女を守らないと。
本来ならビビってしまう場面、しかし今の俺は昨日のダンジョン攻略の時同様に、不思議と怖さなど微塵も感じていない。
俺は彼女を守るべく足を1歩動かそうとした時、すでに紗夜さんはデスウィーバーに剣を突き立て、スキルを唱えていた。
「【雷壁の盾】」
すると剣先に凝縮された雷が円盤状に形を変え、まるで盾のように迫る糸を弾き飛ばしたのだ。
全てを防ぎ切った後、雷のエネルギーはゆっくりと剣先へ戻っていく。
紗夜さん、すごい。
一瞬も迷うことなくスキルを発動し、容易に攻撃を凌いでみせた。
しかしこれで戦いが終わったわけではない。
向かい合った2人、次はどちらから動き始めるか。
そんな緊迫した場面にも関わらずデスウィーバーは俺達から目を逸らして……いやそれどころか、背を向けた。
そしてゆっくりと天井を這って、この場を去っていく。
「……追わなくて、いいですよね?」
一応確認だ。
今回戦い自体に参加してない俺に口を挟める問題ではないが。
「そうね。去ってくれてよかったわ。あのまま戦ってたら、多分私も海成くんも殺されてたから」
「え……そんなヤバいやつだったんですか!?」
「そうね、あれはデスウィーバー。B級の中でも厄介な部類。人や動物、モンスターをも痛ぶって殺すと言われてる特別知能の高いモンスターなの」
「B級っ!?」
なんでD級ダンジョンに?
それに人を痛ぶって殺すって、どんだけタチの悪いモンスターなんだよ。
「やっぱりさっきからおかしい。普段臆病なナイトワームが凶暴だったり、D級ダンジョンにB級のデスウィーバー。一体ここで何が……ううぅ、も〜うサッパリ分かんないっ!」
そう言って彼女は両手でワシャワシャ自身の髪を掻き乱す。
「わわわ、落ち着いてください、紗夜さん」
「……っとごめん、取り乱すなんて先輩としてダサいよね」
紗夜さんは俺と目が合ってすぐ一呼吸置いて、気持ちを落ち着かせた。
「そんなことないですよ。紗夜さんの魔法めっちゃカッコよかったです! それに剣も。紗夜さん、2度も助けて下さってありがとうございました」
俺はここぞとばかりに感謝を伝える。
「そんなの、気にしないで? 海成くんを守るのは、先輩である私の務め。だから海成くんは私に思う存分甘えていいんだよ?」
「……え、えっと甘えちゃっていいんですか?」
俺は紗夜さんに感謝の気持ちを伝えようとしただけなのに、まさかの衝撃的なカウンター。
紗夜さんは俺の顔を覗き込みながら、そんな可愛いセリフをはいてきた。
「そりゃもうっ! 目いっぱいにねっ!」
彼女がお茶目なウインクをして肯定してくれたことにトキメキを感じた俺だったが、おそらくここは互いの解釈違いだろうと心に言いきかす。
紗夜さんはあくまで先輩として遠慮なく頼ってくれていいからね、ってことを言っているのだ。
勘違いしてはいけないぞぅ。
「これからも頼りにしてます、先輩っ!」
よし、これでいい。
俺と紗夜さんは先輩と後輩、上司と部下。
それ以上でも以下でもないんだ。
「へへ、よろしくね。ところで後輩くん、コーヒーは好きかい?」
突然の話題変更。
紗夜さんは首を傾げて俺に問いながら、何もない空間から缶コーヒーを2つ取り出してきた。
「……好きですけど、それよりも取り出した空間の方が気になるんですが」
さっきまではドタバタしていたため完全に忘れていたが、さっきも剣を取り出してたよな。
たしか、インベントリ、とか言って。
待って、冒険者みんなできるんなら俺にも教えて欲しいんだけど。
「あぁ、これね! まだ説明受けてないんだ。冒険者みんなできるから安心して」
よっしゃ!
今日と昨日で、未だに冒険者の魅力にあり付けないでいた俺だったが、今日初めて感じることができたわ。
それからさっそく説明に移る紗夜さん。
やり方は意外と簡単で「インベントリ」と唱えるだけらしい。
つまり「ステータス」といえば目の前に画面が現れて、「インベントリ」と唱えれば4次元的な空間が現れる。
……これだよ、これこそファンタジー。
インベントリ使えるなら冒険者頑張るわ。
いやよく考えたらステータスもスゴいか。
……と今になってようやく非現実感を噛み締め始めた俺だった。
そして一頻り話を終えた俺達は、引き続きダンジョンを進み始める。
道中ちょくちょくモンスターが現れたがさっきほど異様な敵はおらず、E級の俺でも容易に倒せるものから紗夜さんの協力を得てなんとか倒せるものまで、よりどり緑だった。
おかげで俺のレベルは早6だ。
しかしまぁこのマジックブレイカー、モンスターに対してはあまり有用じゃないな。
なぜかって?
あいつら、魔法を使ってこないからさ。
昨日、自分のステータスを見て各スキルを確認したんだが、マジックブレイカーはパッシブスキル【魔力吸収】で魔法を吸収、その威力をそのまま自分の力へ置き換えて放つことができる攻撃スキル【アークブースト】でぶん殴るのがおそらく基本の戦い方っぽい。
その他【自動反撃】は名の通り敵の攻撃を自動的に避け、加えて反撃してくれるもの。
これはわりと対モンスター戦で活かせたが、なんせ魔法を吸収しないとただ低レベルの打撃攻撃。
この辺りはRPG同様、レベルとステータスがものをいうってところか。
そしてこうやって堂々と戦えるのは全て【不屈の闘志】のおかげ。
パッシブスキル:【不屈の闘志】
困難な状況や自身が敵と認識した相手と直面した時のみ、効果が発動。決して挫けず常に戦い続ける、そんな鋼の精神を持つことができる。発動者の物理的な疲労や精神的な負荷を軽減させる効果あり。
こう書いてあった。
だから昨日のE級ダンジョンでも恐怖に臆することなく、あの冒険者と戦えたのだ。
最後にこの【貯蔵】スキルだが……。
「海成くん」
紗夜さんは、俺の名を呼んで立ち止まる。
「……どうしました?」
彼女の視線の先を見ると、そこには下へ続く階段があった。
ダンジョンに階段?
D級にもなると、こういった仕組みもあるのか。
「多階層ダンジョン……やっぱりこのダンジョンはC級以上ね」
「えっとつまり?」
「海成くん、ダンジョンには複数階層のものもあるの。それを多階層ダンジョンっていうんだけど、今までの流れだと階層を進む度に敵は強くなる。おそらくこの先はC級以上のモンスターも現れるはず」
え、まじ?
聞いてないんだけど。
D級のモンスターでさえ紗夜さんに助けてもらってやっとなのに、これ以上強いの出てきたら俺死ぬって。
「どう、しましょう?」
「……さすがにあの数の凶暴なナイトワームは相手にできないし、進むしかなさそうかな」
「ですよね」
ゲートがある場所はナイトワームの巣になってるわけだし、戻るのもリスク。
紗夜さんの考えはごもっともだと思う。
「大丈夫だよ、海成くん。私が君を守るから」
紗夜さんはそう言いながら、前に進んだ。
なんてかっこいいセリフなんだ。
それ俺が言いたいくらいだけど、ダンジョンでは今のところ足を引っ張っているのは事実。
しかしこの先何が起こるか分からない。
今度は俺が紗夜さんを守る――
今はこんなこと口に出せないが、俺は心に誓ってから紗夜さんの後を追った。