「さて、と」
残念エルフ一号は無事出勤していった。いや『無事』って何だっけって話だけど、まぁあの残念エルフにしてはまともな方だったのだ。酷いときは何もないところで転んだり、カラスにお弁当を強奪されて泣いているし。
そんなこんなで時刻は7時30分。
登校時間にはまだちょっと早いので、私はもう一人の残念エルフの部屋に向かったのだった。
いや私の部屋の右隣だからすぐに到着するのだけどね。
「ミワ~、起きてる~? お弁当だよ~?」
呼び鈴の代わりに精霊さんが取り次いでくれたけど、出てくる気配はない。
まぁミワのお仕事に出勤時間なんてないので朝起きる必要はないのかもしれない。
でも、彼女の場合はこっちが時間調整しないとすーぐ徹夜をするんだよね。
エルフなので睡眠不足で死ぬことはないのかもしれないけど、徹夜をすると端から見て分かるくらいスペックが落ちているんだよね。つまり普段のポンコツに拍車が掛かる。
隣室であり管理人である私の平穏な生活のためにも、ミワには規則正しい生活を送ってもらわなければ。
というわけで、魔法による施錠を解除。遠慮することなく私は玄関ドアを開け放ったのだった。
「――うふふふふふふふっ」
壁際に設置された机に向かい、珍妙な笑い声を上げていたのは残念エルフ二号・ミワ。
いわゆる、ダークエルフ。
エルフとはまったく別の種族であるとか、元々は同じ種族だったのだとか云われているらしい。あの世界の学術研究なんてよく知らないから又聞きでしかないけれど。
とにかく。ミワはダークエルフであり、その名の通り小麦色の肌をしている。
腰まで伸ばされた髪はアルーと対をなすような銀色で、小麦色の肌がよく映えている。今は仕事中だから視力調整用のビン底眼鏡をしているけれど、その素顔がアルーに負けず劣らずな美人さんであることを私はよく知っている。
いや、中身もアルーに負けず劣らずな残念さなのだけどね。
そして。彼女の外見で最も目を引くのはエルフらしからぬ胸部装甲。なんというか、『ばいーん』だ。『ばいーん』って感じなのだ。
ちなみに外見年齢も身長もアルーと同じくらいなので、『ばいーん』の差はさらに際立っている。
ダークエルフはみんなこんな感じらしいので、エルフがダークエルフを敵視しているのは自分たちが貧乳だからだという説も唱えられているとかいないとか。
そんなミワが着ているのはどこからか入手した学生用ジャージと、どてら。ビン底眼鏡も相まってファッションセンスが死にすぎている。
ちなみに元いた世界では下着よりも布面積の少ない、いわゆるボンデージっぽい服を着ていたので両極端すぎると思う。
「ふっふふっ、ここで『きらーん』となって、顔を真っ赤に染めて……ふふふふふふっ、可愛いですねーうちのヒロインは!」
なんかブツブツ呟きながら液タブにペンを走らせるミワだった。ちなみに液タブとは『液晶タブレット』の略で、パソコンに直接絵が描ける機械らしい。私はよく知らないけど。
現役女子高生より精密機器に詳しいミワを褒めるべきか、エルフに知識で負ける私に呆れるべきか……。
ちなみにミワが描いているのは女性同士の恋愛をテーマとした『百合漫画』というものらしい。なんか編集さんも頻繁に来ているし、続刊とか重版のお祝いもよくするので売れているのだと思う。
(早起きして漫画を書いている……わけがないから、また徹夜したんだろうなぁ)
ミワはアルーのように仕事を嫌がることはないけれど、筆が乗る(という表現でいいのかな?)と平気で徹夜しちゃうんだよね。せめて栄養のあるものを食べてもらおうとこうしてお弁当も作っているのだ。
「ミワ~、お弁当だよ~」
ちなみにお弁当の中身は肉と揚げ物中心。アルーはエルフらしく肉臭いものが苦手だけど、ミワはむしろ好んで食べている。ダークエルフの特性なのかそれともミワが変わっているだけなのかは分からない。
私の声が聞こえたのかミワが『ぴょこん』とばかりにこちらを振り向いた。
「わぁ! ありがとうございます優菜さん!」
両手のひらを合わせ、温和な笑みを浮かべるミワ。ダークエルフってもっと『キリッ』としているイメージだけど、ミワの場合は優しいお隣のお姉さんにしか見えない。
まぁ、もちろん本性はヤバめなのだけど。
「また徹夜したの?」
「やはり夜の方が捗りますねー」
ニコニコとしながら近づいて来て、『へへー』っと頭を下げながらお弁当を受け取るミワ。心の必須栄養素だったり宝物のように扱ったり。エルフにとって私のお弁当は何なのだろうか?
アルーの部屋のように物が散乱している部屋を歩き、かろうじて床が見えている部分に置いてあるテーブル&座椅子セットに座るミワ。
「きゃあ今日も素敵なお弁当ですね!」
キャッキャッと嬉しそうに声を弾ませながらミワが「いただきます」をする。何とも可愛らしいお姉さんなのだけど、お弁当の中身がなぁ。ガテン系なんだよなぁ。
いやまぁそんなお弁当を作っているのは私なんだけどさ。野菜マシマシだと嫌そーな顔で食べるんだからしょうがないじゃん? だからメンチに刻んだ野菜を入れたり肉詰めピーマンにしたりと色々な工夫を……野菜が嫌いな子供かっ。思わず一人ツッコミをしてしまう私だった。
「――ごちそうさまでした」
上品に手を合わせるミワ。いや、相変わらず食べ終わるのが早いね? たぶん普通の女性の1.5人前はあったと思うんだけど?
一人虚しくツッコミをしてから時計を確認。うん、そろそろ家を出てもいい時間だね。
「じゃあ、ミワ。お弁当箱は洗っておいてね? 私は学校に行ってくるから」
「――いえ、今日の優菜さんはお休みです。むしろ学校も辞めてしまいましょう。ずっと私と一緒に暮らすの、いいと思いません?」
にっこりと笑ったミワが、また妙なことを言い出した。ま~た徹夜の影響で思考がポンコツになっているみたい。
「いやぁ、将来のためにも学校は通わないとなぁ」
「大丈夫です。私には稼ぎがありますし。いざとなれば元の世界に戻って生活するという手もあります。優菜さんが働かなくても、将来のために学校に通わなくても、一生養ってあげますよ?」
「……う~ん、それはそれで魅力的かも?」
私には家賃収入があるからそんなに頑張って働かなくてもいいとはいえ、生活費全部をまかなえるほどではない。ミワのヒモになってのんびりまったりスローライフを送るのも……。
…………。
……いやいやダメだって。私の性格からして一度そういう堕落した生活を始めると抜け出せなくなっちゃうのだから。
「では、そういうことで」
ぱん、っと。
ミワが両手を打ち鳴らすと、それを合図としたかのように床から蔦が生えてきた。一本や二本ではない、視界を埋め尽くすほどの蔦の壁だ。
そんな蔦たちは私を逃がさないとばかりにドアや窓を塞ぎ、それでも足りないのか私の足や腕までも絡め取っていく。
「ふふふふふっ」
私を身動きできなくさせてから、ミワがビン底眼鏡を外し――私の頬に触れた。こうまでしてやっと触れるのだからヘタレというか口だけというか。
ミワの手が私の頬から髪の毛へと流れるように移動する。
「やはり、優菜さんに黒髪は似合いませんね」
「そうかなぁ? 気に入っているんだけど。金髪とかにしてみる?」
「とても似合いそう――いえ、ダメです。それではあのポンコツエルフとおそろいになってしまうではないですか。やはり銀髪。私とおそろいの銀髪がとても似合うと思います」
アルーをポンコツ扱いするけど、ミワも
「まぁいいや。遊ぶのは放課後にして、そろそろ解放してくれない?」
「だ~め~で~す~! 優菜さんはずっとここで暮らすんです~!」
「いやまぁずっと
私がツッコミを入れていると、ミワは今度は両手で私の頬に触れた。
「……優菜さんは何もしなくていいですよ? お金を稼ぐのも、身体を清潔に保つのも、入眠のお手伝いも全て私がやってあげますからね? もう一歩も部屋から出なくていいですからね?」
ふふふふふっ、と。尋常じゃない目つきをするミワ。そんな彼女の物言いに、一つの疑問が。
「ゴハンは?」
「……ゴハンは、その、コンビニ弁当とかありますし……」
「そこは自分で作らないのかぁ」
さすがにそれはなぁ。健康面とかエンゲル係数でなぁ。
やれやれとため息をついた私は、『パチン』と指を鳴らした。
途端、私に巻き付いていた蔦も、窓やドアを塞いでいた蔦も全て
「さすがに一日中部屋で過ごすのは退屈かな」
「ああん、いけずです~」
人を監禁しようとしたくせに、悪気がなさげなミワだった。
「…………」
さすがに反省がなさ過ぎなので、ミワの額に本気のデコピンを。
「――っ! ぐ、ぐのぉおおぉおおおお……っ!」
普段のおっとりした感じのミワからは想像すらできないような野太い声。さらには額を両手で押さえながらしゃがみ込むとか、ちょっと反応が過剰じゃない?
「この、自覚なし怪力ゴリラ……」
「あ゛?」
「……い、いえ、何でもありませんわ。おほほほほっ」
引きつった笑みを浮かべるミワだった。