ボクは、死んだはずだった。
「――んっ」
寝覚めの直前のような感覚。このまま瞼を開ければ覚醒できるという確信がある。
(なんだか、いい匂い……)
どこかで嗅いだことがあるような。とても幸せになれるような。そんな、春の日のような柔らかい香りが鼻腔をくすぐっていた。
(死んで、ない?)
手足の先に感覚は……ある。起き上がれるという確信もある。――生きている。ボクは、間違いなく生きていた。
あとは目を開ければ、それでいいはずだ。
でも、このまま目覚めてしまうのはなぜだか惜しい気がしてしまって……。
「――ユリィさん、もしかして起きてます?」
聞き馴染んだその声に、思わず瞼を開いてしまった。
目の前にいたのは、優菜。
いつもどおりの、どこか面倒くさそうな表情をしながらボクの顔を覗き込んでいる。
その髪色は、普段通りの黒。
でも、日の光の影響か、なんだかもっと薄い色のように感じられた。光り輝いているような……。ほんの一瞬だから気のせいかもしれないけれど。
吸い寄せられるような赤い瞳。
事実、ボクは囚われたように視線を外すことができなかった。まずは周囲の確認をするべきだというのに。
「……そんなにジッと見つめられると、さすがに照れますね」
まるで照れた様子も見せず、優菜が柔らかく微笑む。教室での彼女からは想像もできない、親しくなってからやっと見せてくれるようになった表情だ。
そんなにジッと見つめていただろうか?
ちょっと気恥ずかしくなってしまったボクはわざとらしく周りを見渡してみた。
大きな窓。白い壁。天井からつり下がったカーテンレールに、並べられたベッド……。
「……病院?」
「はい、正解です。アース・ドラゴンにあっさりとやられてしまったユリィさんは、こうして病院に担ぎ込まれたのでした」
「――アース・ドラゴン!」
飛び起きようとしたボクの身体を、優菜が押さえつける。その細身からは信じられないほどの力だ。
「はい、落ち着いてください。傷は塞がっていますが完全にくっついたわけではないので。また全身から血を吹き出しますよ?」
「そ、それはちょっと大げさじゃな――いっ!?」
優菜からデコピンをされ、あまりの激痛にベッドの上を転がる。正直飛び起きるよりも優菜からのデコピンの方が傷に悪い気がする。
はぁああぁあああー、っと、優菜がこれ見よがしにため息をつく。
「ユリィさんは気絶していたので
「血まみれ……バキバキ……ご、ごめんなさい」
あの階層に向かうことを提案したのはボクなので、もう謝ることしかできなかった。
そんなボクを見て優菜が不満そうにため息をつく。
でも、それ以上責めたりはしなかった。
「さて。とりあえず状況を説明しますが。体調が優れないならまた後日にしますよ?」
「いや、大丈夫そうかな? それにあのあとどうなったか教えてくれないと気になってしょうがないし」
「では、覚悟をしてください」
「覚悟?」
「ユリィさんの惨状を知った担任の先生は、心労で倒れました」
「ご、ごめんなさい」
「私に謝られましても」
「そ、それもそうだよね」
「本来なら担任の先生が説明するところですが、ちょっと無理ですので。パーティーメンバーということで私が代わりに説明します」
ポケットからコピー用紙を取り出す優菜。なにそれ?
「なんか色々と説明することがありますので。『この紙にあるとおりに喋れ』とファルさんから指示が出ました」
「……なんで図書室の先生が?」
「色々あるんですよ、色々と」
「その『色々』を説明して欲しいんだけど?」
じとっとした目を向けるけど、優菜はどこ吹く風だ。
「まず、あの少女ですが命は助かりました。ただしまだ意識は戻っていませんし、片足も失ってしまいましたけど。命に別状はないそうです」
「片足を……」
分かりきっていたこととはいえ、それでも沈んだ気持ちになってしまう。冒険者にとって足は命。足がなければ踏ん張れないし、効果的な攻撃をすることも難しい。なにより、今回のような事態のとき逃げ遅れてしまう可能性が高いのだ。
ダンジョンの初階層に限定して、ダンジョンに生える薬草採取を生業にするという手もあるだろうけど……。冒険者としての未来は、閉ざされたも同じだ。
「たしかに。冒険者としては死んだも同然かもしれませんね」
まるでボクの心を読んだかのようなことを言う優菜。あるいは、考えていたことが口に出てしまっていたのかもしれない。
「ですが」
優菜が微笑む。まるで『勇者』に感謝を伝えるように。
「ユリィさんがあのとき決断しなければ、あの少女は確実に命を落としていたでしょう。二度と家族と会えず、ひとりぼっちのままアース・ドラゴンに喰われ、死んでいたはずです。そんな彼女を救ったのは、ユリィさんなんですよ」
「そ、そうかな?」
「そうですよ。なんでしたら『勇者』と認定してあげましょう」
「ははは、それは光栄だよ」