――気味が悪い人間だった。
誘拐されたというのに取り乱すことなく。私が『優しい』などという戯言をほざいて。
もっと脅すしか無いと思って魔力を発し、杖を突きつけたというのに。それでも余裕は崩れなくて。
何かがおかしい。
私は『何』と対峙している?
普通の人間であるはずだ。
肉体的には美貌以外に変わったところはなくて。内包する魔力も、人間並み。いくら
……いいや。
もしも。
もしも、あえて、
この私が見抜けないほどの手腕か、あるいは魔導具によって……。
私がその可能性に思い至ったところで――
『――ガァアアァアアァアアッ!』
大地が震えたかのような咆吼だった。
「ドラゴン!?」
何度か竜種を討伐したことがある私は即座に反応した。――マズい。今は弱く儚い人間が一緒だというのに。
転移魔法で逃がす? いや、まだお姉様に近づかないよう誓いを立てさせていない。ここで逃がして、お姉様に告げ口されては面倒だ。
それに。
ドラゴンなら倒してしまえばいいのだ。どうせ地下ダンジョンの中に住んでいるのなんてアース・ドラゴンなのだから。上級攻撃魔法を一発当てれば討伐できる。しょせんその程度の『弱い』ドラゴンだ。
私たちの姿を見つけたのか、巨大な『岩』が接近してきた。
ゴツゴツとした表皮。翼のない身体と、短い首。ドラゴンでありながらドラゴン・ブレスを吐けず、ドラゴンでありながら飛べもしない。そんな半端物がアース・ドラゴンだ。
この人間を攫う前にある程度の情報収集はしてある。おそらくはこのダンジョンで討伐されたというアース・ドラゴンの親だ。肉体の大きさも、その推論が事実だと教えてくれている。
でも、問題ない。
アース・ドラゴンの攻撃方法といえば体当たりか長い尻尾を振り回すことくらい。硬い表皮のおかげで防御力は高めだけど、雷系の攻撃魔法なら十分通る。
まだ距離がある。
相手は飛べもしない。
なので私は慌てることなく対象の排除を選択した。
「人間! 目を閉じて、耳も塞いでおきなさい!」
「はぁい」
気の抜ける返事をあえて無視して、上級攻撃魔法の呪文詠唱を始める。
「――
周囲の魔素が激しく動き、魔法現象へと再構築されていく。世界が異なるせいか少し間隔が違うけど、対処できないほどではない。
「――世界を照らす光で
膨張する魔力に、自らの魔力を混ぜ込んで絶対的な支配権を確立する。さすがに上級ともなるとゴッソリと体内の魔力を持って行かれるけれど、一撃で倒してしまえば問題ない。
雷魔法の宿った杖の先を、アース・ドラゴンに向けて振るう。
「――
轟音。
などという表現では生温い。何の対処もしないでいれば鼓膜は破壊され、衝撃で身体は後方に吹き飛ばされるだろう。さらに言えば閃光によって目も潰されてしまうはずだ。
閃光と、落雷時に発生した土埃のせいでアース・ドラゴンの姿は確認できなかった。けれど、心配は要らない。上級攻撃魔法に耐えられるアース・ドラゴンなどいるはずもないのだから。
魔力風によって乱れた髪をなでつけながら、人間に振り返る。
「さぁ、話の続きといきましょうか――」
「いやぁ、フラグ。フラグですよ、それ」
「ふらぐ?」
翻訳はされているのによく分からない言葉。どういうことかと問いかけようとしていると、
『――ガァアアァアアァアアッ!』
再び。咆吼が響き渡った。
アース・ドラゴンだ。
表皮を焼かれながら、それでも死ぬことなくアース・ドラゴンはこちらに敵意を込めた目を向けてきていた。
「はぁ!? なんで生きてるのよ!? 上級攻撃魔法を喰らったでしょうが!」
「ほらフラグ」
「うるさいわよ!」
「あと、説明しますと、この世界って魔素が薄いので。攻撃魔法は自動的にランクが下がっちゃうんですよね。アース・ドラゴンを一撃で倒したいなら最上級攻撃魔法じゃないと」
「何よそれ!? 聞いてないんだけど!?」
「
「…………」
「……あぁ、
「そんなことはどうでもいいのよ!」
私が怒鳴りつけると同時、アース・ドラゴンが突進してきた。
非常にまずい状況だ。
私は魔法使いなので接近戦なんてできない。
魔力の残りは少ない。
人一人連れてダンジョンまで転移したあと、上級攻撃魔法を放ったのだからそれも当然。しかもダンジョンというのは魔法が通りにくいのでなおさら消費が大きかったのだ。
今。転移魔法で逃げられるのは一人だけだ。
ならば、と私は即断する。
「人間。あなたを転移させるわ。歯を食いしばって、着地できる態勢を取りなさい」
「アミーさんはどうするんです?」
「あれを倒してから合流するわ。こんなところにいられると、邪魔なのよ。私にお
「なるほど。二人一緒に逃げられるだけの魔力はないと?」
やれやれと肩をすくめる人間。――不気味だ。何を考えているか分からない。この危機的状況を理解できないのだろうか?
『――ガァアアァアアァアアッ!』
「っと! そんな場合じゃない!」
人間に手のひらを向け、魔力を集める。
「私がここまで連れてきたのだから、逃がしてやる責任があるの! 転移先でちょっと転んでも――は?」
手のひらに集中させていた
何をバカな、と思う。
まだ自らの魔力を注ぎ込んでいないとはいえ、暫定の命令権は私にある。自然に消滅することなんてあり得ないし、誰かが介入することなんて不可能だ。
でも、霧散した。
人間が、
「先日は勿体振って失敗しましたから。今回は最初から全力でいきましょう」
「は?」
「いや、
「なにを、いって……」
ドラゴンが近づく。きっとあのまま轢き殺すつもりなのだ。
早く逃がしてやらないといけない。
私が連れてきたのだ。
まだ10年ちょっとしか生きていないのだから、短い生を謳歌させてあげないと。
でも、魔力を集めることができなくて。
迫り来るドラゴンの『圧』に、手が震えてきてしまって。
何度もドラゴンと戦ったことのある私でもこんな状態だというのに。人間は。矮小であるはずの人間は。笑いながら虚空へと手を伸ばした。
「私、あなたみたいな優しい人間は大好きですよ?」
人間ではほとんど使える者がいないはずのスキル。そんな
その手に握られていたのは、柄。
剣の柄。
冷や汗が吹き出した。
呼吸が止まった。
あれは、駄目だ。
人間が手にしていいものではない。
きっと、神たる存在が作り上げし、神話の剣。
神話そのものの剣が、引き抜かれる。
日の光を反射して煌めくは、銀色の刃。
それと、同時に。
人間にも変化があった。
銀の刃が引き抜かれるのと合わせるように。黒かったはずの長髪が、だんだんと――
銀髪。
それは、『勇者』たる人間の髪色。史上最速で魔王を討伐した、歴代最強勇者の髪色。
「この髪色、目立つから嫌なんですよね」
そんな、理由で。
誇らしき髪色をごまかしていたとでも言うのだろうか? 勇者たる証を隠していたとでもいうのだろうか? 勇者であればどこでも歓迎され、国の決定すらねじ曲げ、一生遊んで暮らすことも可能だというのに……。
『――
無感情な声が響き渡る。おそらくは神話たる剣――聖剣から。
『ガァアァアアアァア!?』
その偉容に。その異様さにやっと気づいたのだろう。アース・ドラゴンが突進を止め、逃げ出そうとする。
だが、遅い。
何もかもが遅すぎる。
人間が、人間では扱えないはずの剣を振りかぶった。
そして、
「我が敵を燃やせ――レヴァンティン!」
世界が、炎に支配された。