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14 沓沢ほのか

 中間テストは月曜日から水曜日まで三日掛けて行われた。テストの出来、手応えは……残念なことに散々な結果になるだろうと思われる。口から魂が抜ける思いである。返却は多分来週になるだろうから、俺は二度と来週が来なければいいのにと子供じみた駄々を捏ねたくなる。国語は得意だからまだ良いだろうが、数学がだめだ。赤点かもしれない。何問か空白にしてしまった。暗記科目は半分ぐらい取れていると信じたいが、果たして。エンドのEクラス脱出は程遠いな。直前に慌ててやり込んだだけでは駄目だと痛した。しかしそう思ったところで俺はきっと変わらない。またテスト前までろくに勉強をせず、気ままに生きているんだろうなと思ったテスト終わりである。



 今日は木曜日で、休みは明後日。まだ平日が続く。部活に行かなければいけない。習い事のプールに行きたくなくて送迎バスにわざと遅れる小学生の気分だ。せめてこれぐらいは良いだろうと、自販機でミルクコーヒーのペットボトルを買った。甘くて気怠い飲み物。今の自分にはちょうどいい。苦いはずのコーヒーが甘いなんて言う矛盾を抱えているのが、すごく俺に適している。



「ちわーっす」



 いつものメンバーが性懲りもなく迎えてくれる。



「こんにちは、千木野くん。テストはどうでしたか?」


「いや、さっぱり。留年候補筆頭だよ。知花さんは?」


「私は自分にしては珍しく、きちんと解けました」


「そうか。テストは自信あるって言っていたものな」


「はい。千木野くんの結果が良いことを祈ってますね」


「ありがとう」



 この部活は長机一つ、男子の塊が一つ、女子の塊が一つで構成されている。相談者の向かいに女子二人、長机の端に男子三人。俺は男子の塊に座り、与田話を始める。



「化神はどうだった?」


「僕もまあまあかな。留年ってことはないと思うよ。満点も多分ないと思うけど」


「そうか。Cクラスだもんな、成績相応ってところか。いい点数だといいな」


「そうだね」



 風川は……聞くまでもないかな。



「あら、あたしのことは聞いてくれないのね」


「なんだよ、聞いてほしいのか」 


「いえ、別に。言ってみただけ。あなたにとっては聞くまでもないんでしょうから、言ってみただけ。ちなみに、今回のテストはとても簡単に作られていたと思うわ。引っ掛け問題が少なかったもの。幾何の問題に見せかけて実は関数の問題だったとか、そういうのはなかったわ。イージーよ。満点を取らせないための卑怯な問題もなかったしね」


「そうかよ。おめでとうさん。一位キープだな」



 バカはそれこそ聞くまでもないだろう。アホみたいに口を半開きにして空中の上のどこかよくわからないところを見ている。そのまま最下位を独走するといい。留年するぞ。



 コンコン、コン。



「はーい、どうぞー!」



 今日もまたノックが鳴った。知花さんが返事をして、扉が開いた。ミルクコーヒーを一口飲んで迎え撃つ用意をする。



「おーい、失礼するぞ!」


「桜崎先生」



 顧問だ。珍しいこともあるもんだな。何の用だろう。嫌なことでなければいいけど。たとえば停部とか。いや、それは朗報か。部活から解放されるわけだし。



「相談者を連れてきた。いいな?うむ、では入りたまえ。大丈夫だ。悪い奴らではない。君のことを指さして笑うことはしないし、侮蔑も軽蔑もしない。親身になってくれるはずだ。私の信頼できる教え子の集まりだからな。ほら、頑張れ。ここまで来たんだろ」



 そうして時間をかけてゆっくり入ってきたのは、恐る恐る伺うように、疑うように入ってきたのは一人の女の子だった。背が低く、おどおどとしていて怯えているように見える。



「こんにちは。どうぞ、お掛けになって。先生もどうぞ」



 俺はすぐさま椅子を用意した。さりげないグッドな働きだぜ、俺。



「紹介する。彼女は沓沢(くつざわ)ほのかさんだ。クラスはD組。ちょっとクラスメイトと揉めてな。今は学校に行けないでいる。今日は勇気を出して来てくれた。彼女もこの状況を変えたいと思っている。できればチカラになってやってほしい」


「わかりました。沓沢さん、お話はできそうですか」


「……(頷くだけ)」


「私たちの部活は『生徒お悩み相談同好会』と言います。悩みでも、相談でも、何でも聞きます。聞くことを大事にしていますので、何でも話して大丈夫です。もちろん、話したくなければ話さなくて大丈夫です」


「先生からいいか、風川」


「はい、大丈夫です。何でしょうか」


「現状を説明するとだな、まあ、揉めた相手、その、クラスの連中には既に厳しく指導してあるんだ。いわゆる、その、いじめみたいなことはもうやらないことを厳重に誓わせた。それがどこまで効果があるかわからないが、再発しないと信じている。まあ、信じるしかないんだけどもな。このようなことが起きたことは先生も悲しく思っている。そこで、彼女の所属クラスを変えようと思うのだ。できればお前たちのいるクラスにしたい」



 その言葉に俺はすかさず反応する。



「先生、それは、どこですか?」



 風川のAクラス、化神のCクラス、俺と知花さん、実質バカも同じのEクラス。どこだ?



「Eクラスだ。千木野、お前のところだよ。あそこはバカばかりだからな。一人増えても減っても、たいして気にしないだろ」


「えぇ……いや、それはそうかもしれないですけど、教師がそれ言うのかよ」



 エンドのEクラスといえば、右向けば休み時間に駄弁るやつら、左向けばカードゲームに興じるやつら、真ん中を見ればサイコロ転がしているやつら、隅を見てやるのは孤独を愛する彼、つまりそれは俺。おい、失礼だぞこっち見るなよほっとけ。



 つまり、みんな思い思いに過ごしているクラスだから、桜崎の言う通りひとり増えても気にしないだろうな。クラスの風潮のおかげで俺もひとりぼっちを維持できているわけだし。肩肘ついて読書できる。



「それと、お前らが面倒でなければ彼女をこの部活、『生徒お悩み相談同好会』に入れようと思っている。ひとつでも居場所を作ることができれば、学校生活に対する不安を分散できるかもしれないだろ」


「(頷く)」


「それでいいか、千木野」


「いや、俺に聞かれても。部長は風川ですし」


「風川からは既に承諾を得ている。知花にも話をしてある。だからお前には直接会って貰って、了解を貰おうと思ってな。お前に根回しとか、どうせ聞かないんだから意味ないだろ。この中では、どう考えてもお前が一番面倒だ。無駄な言い訳をして受け入れを拒否しそうな奴は、お前しかいない。ほら、直接会うとお前でも断りにくいだろ」


「そうですか?まあ、そうですか」


「それで、どうする」


「風川が認めてるのに、俺の意見がなければ入部出来ないなんて。部員の同意なんか要らないだろ?桜崎先生が良いと言って、風川が良いって言うならそれでいいだろうに。面倒だな。まあ、いいや。話をするか。そういう部活だからな。とりあえず入部したいって言うなら、本人の意思を聞きたいかな。沓沢さんと直接話して大丈夫?」


「ああ。大丈夫だ」


「どうも。じゃあ、一つだけ。沓沢さんはこの部活にどうして入りたいの?」


「え?」


「言い方を変えよう。入部すればそこが居場所になるから入ったほうが良い、桜崎先生が顧問をしている部活だから庇護下に置けるのために入部すると安心感を得られる、諸々都合が良いからこの部活に入ったらどうだ、の言葉に対して無条件で頷いてここに居るならそれは辞めとけって言う話。そんな言い訳は正直聞く意味ないだろって言いたい。新入部員候補生に名乗り出るなら誰であれ、どうしてこの部活に入りたいのかくらいは喋ってもいいだろ。俺の意見で入部許可拒否が決まるのは本意じゃないし、忍びないから必須じゃないけど。一応補足すると、ここにいる男子二人はこっちから入部を提案して承諾したが、自分の口で『やりたい』と口にして入部している。そこの女子二人は、俺が桜崎の先生に強制異動を命じられ、扉を開けた教室に居た初期メンツ。俺以外は全員意思がある。俺と同じく入ることができる部活が無く、校則のために止むを得ず入部を検討しているのならそう答えてくれ。それで十分な理由になる。風川が承認しているのなら、それで良い。さっきも言ったけど俺に拒否権はないからね」


「(……困惑)」



「じゃあ、もう少し考える時間を作ろうか。学校に来る来ないは、部活には関係ないから聞かない。何があったのかも、それこそ沓沢が赤の他人である俺たちに打ち明けたいと思ったら喋れば良い。どちらにしても俺には関係のないことだ。部活だけ来ても、学校にも部活にも両方来てもどっちでも良い。嫌々なら、本音はやりたくないのにやらなくちゃいけないから何とか自分を奮い立たせてこの部活の扉を今後開けるつもりなら、それはやめろ。高校通学が義務じゃないのと同じ。嫌なら辞めちまえ、他の生活を送れる何かを探せと言う。冷たい大人たちは高校は義務教育ではないと言うだろうし、温かい大人たちは学校だけが生きるすべてじゃない逃げても良いんだよ、と冷酷なことを言うだろう。沓沢が学校に通いたいのか、学校生活をしたいのか、学校を卒業したいのか、何のためにこの高校に来ているのか。どうして部活なんてやるのか。俺は半ば強制で嫌々だけどな。やる以上はきちんとやるけど。いずれにせよクラス変更を好機だな。新しい部活を始めるのもまた、好機としたいなら質問に答えてほしいと思う。みんな知りたいと思うぜ。学校に通えるか通えないかの悩み相談ではなく、この部活に入部すらかどうかの相談を持ってきたのかって。もう一度。自分の意思としてこの部活に入る気持ちがあるか。念の為に付け加えておくと、この部活は他の人の言葉を聞かなければいけない部活だ」


「(怯えるようなか細い周囲を窺うように言葉で)き、き、聞かなければいけない……?」


「ああ。お悩み相談同好会だからな。扉をノックした人間が誰であろうとその悩みを聞くのが俺達の義務だ。そう云う名前を持つ部活だ。名前に嘘はつけない。ここにいるメンバーも、たとえどんな経緯で参加することになったとしても、この部活を〝やる〟と決めたからには話を聞かなければいけない。でも俺達は高校生だからな。全部の悩みに的確、最適、ベストな答えは出せない。だから最低限話は聞いてやろうぜ、ってそういうこと」


「……」


「先生の申し出を風川は受諾した。だから俺がここでいくら屁理屈を並べて惑わせても、問い詰めても、意味はまったくない。入りたいと一声言えば無条件で入れるし、ここで働かせてくださいと言えば働けるだろう。賃金でないボランティアだけど。だからといって風川が握った先生の沓沢の代わりに差し出した手を右に倣えでその手を取る義理はない。取るなら桜崎先生の手じゃなく、沓沢の手だろうよ」


「……(沈黙)」


「もう一度。沓沢。お前が手を伸ばすならその手を取ってやる。短い高校生活だが、三年もある。六年通う小学生の半分だ。十代の若者が成長するには十分な時間だろ。その時間を俺たちと一緒に過ごす事を選ぶなら、簡単にはその手を離さないから覚悟して選べ。長い付き合いにしてやるからな」



〉他の部員が全員辞めて、最後の一人になっても俺は卒業までここを辞めないから廃部にはならない。安心しろ。俺にとっても都合の良い部活はこの学校には他に無いだろうから。



 俺は再び手を差し出した。これは少し強引かもしれない。急な話かもしれない。急展開かもしれない。面倒かもしれない。執拗かもしれない。でも、必要なことだと思った。今見ている彼女を見る限りでは、引っ張ってやる手が必要だろうと、そう思った。



 差し出したこの手は、本来誰にも望まれない誰もが嘲笑する偽造の優しさの押し売りに過ぎないと誰もが分かるからだ。俺の性格を考えれば誰であろうとこの救いの手を差し伸べることはおこがましいのが事実だと分かる。



 俺は初対面の彼女に対してとりあえず良い人間のふりをして、良い性格であることを印象付けて、良い人間であるように思わせるための〝誰にでもする良い顔〟の意味でこの手を差し出しているわけではない。ただ、彼女が仲間になるのであれば、長い付き合いになるような気がしたのだ。クラスなら無視を決め込んで同級生との関わりを断ち、寡黙を貫き通すことで大人しい子として扱わせることができるけど、部活じゃそうはいかない。特に俺たちみたいな少人数、家族経営みたいな部活なおさら。気も、性格も、考えも、何一つ合わない人間と三年間過ごさなければいけないのは苦痛でしかないって、それくらい誰でも分かるだろ。



「今決められないなら、一回帰ってもいいぜ。もう二度と来られないだろうけどな」


「ちょっとあなた、千木野くん!」


「言うな。わかってるよ、風川」



 最初、先生に連れてこられた彼女では半数は見放す俺の手を握ることは出来ない。ごめんなさいって言って、引っ込むだろう。人間に対して恐怖を抱いている現状で、同性ではない野郎の手を掴むなど無理だ。助けを求めて必死に手を伸ばしている彼女の手を、俺が崖から落ちないように握るのではなく、俺は彼女に自ら掴みに来いと言っているのだから無理もない。冷たい大人でも温かい大人でもそんな事は言わない。少なくとも、これから一緒にやっていこうと、友達とは言わずとも仲間になっていこうという人間の言葉ではない。そこには突き放すような意図を誰もが感じるし、そしてそれが本意ではないことも誰もが感じている。俺は俺の覚悟をきちんと示し、これに対してきちんと覚悟を見せてくれて初めて仲間になれるし友達になれると、そう思うのだ。多くの人間には理解されない言動なのは間違いないけど。



「いや、別に試すつもりは全く無くてさ、だからさ、その、つまりだな」


「お、お願いします」



 彼女は俺の手を勢いよく取った。弱々しい、怯えるような小さく震える手で。しかし確かに。その勇気をしかと受け止めた俺はそれをきちんと掴み直す。助けを求めて手を伸ばした彼女の手を、俺は正式に掴んだ。他のメンバーは笑顔になり、小さくまばらな拍手をした。



「もちろん。こちらこそよろしく」



 沓沢ほのか。



 斯くして『生徒お悩み相談同好会』に新入部員、沓沢が加わることになった。




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