第一章
桜咲く、花は満開で、風が吹けば花吹雪、少し大きな制服を身にまとい、僕達は緊張の面持ちで集合写真を撮った。
小学六年まで栃木県の田舎で暮らしていた僕は、親の都合で東京へと引っ越した。僕は弱虫、陰キャで、言葉がなまっている。ついでにチビでガリ。イジメられるんじゃないかなんて、最初はドギマギしていたけれど、一年のクラスの皆は朗らかで優しかった。
公立中学ではなくて、私立中学に入学することになった僕。もちろん試験は受けた。
クラスの中でも一際目立っていた
「よう、優吾、一緒に昼めし食べようぜ」と頭をわしゃわしゃされたり、そういう絡み方。
僕は水谷さんという女子が気になっていた。ボブヘアーにくっきりとした二重瞼の彼女をかわいいという声はクラスメイト共通。そんな僕が水谷さんに気があることに気づいた八郷が、バスケ部に入ろうと誘ってきた。
え、バスケ部? 身長が低くて体重も軽い僕は、クラスの男子でワースト1の身長。百五十五センチしかなかった。バスケなんて背の高い人間しかやらないスポーツだと思っていたけれど、気の弱い僕は八郷の誘いを断れなかった。
バスケットボール部に入部した僕は、身長を伸ばしたくて、毎日牛乳を必ず一リットル飲んで、ヨーグルトを食べてしらすや、小魚を食べていたが、僕の希望とは裏腹に百六十八センチのまま殆どそこから上へと伸びない。小柄でも、小回りの効くプレイができればいい。そう思っていた。
水谷さんはバスケ部のマネージャーだった。だから八郷は僕をバスケ部に誘った。いつもニコニコと誰に対しても優しい、つぶらな瞳の水谷さんは、バスケ部全員の憧れの的だった。
「水谷さんはオレに気があるな」
長身の里見が自信満々に言う。
「何いってんだよ、オレの華麗なプレーに見とれていたんだよ」
バスケ部レギュラーの三年の先輩も、二年の先輩も皆、水谷さんの気をひこうと必死だった。
八郷遊真は、成績優秀、スポーツ万能の彼だが裏の顔を持っていた。
表の顔は、少々派手だけど優等生、誰に対してもフレンドリーだ。裏の顔は、金の猛者だった。
八郷の家は貧乏だったのだ。そのため、クラスメイトや同級生のお坊ちゃん、お嬢様から、少しずつわからない程度に財布からお金をくすねていた。このことを知っているのは僕だけだ。
邑楽学園は私立で、電車通学やバス通学をしている人が大半で、皆、遠方から集まる。そのため、学校に財布を持ってきているのが当然なのだ。
休み時間や体育で皆がいない間に上手に他の人間のカバンの中の財布から、小銭を二、三十円ずつくすねる。
例えば万札が盗まれたとかだとすぐに気づくか、二、三十円だと皆気づかない。ものだ。
ある日、悠真に家に遊びにいっていいかと尋ねられた。僕の家は、築六十八年、僕の祖父と祖母が結婚した時に建てた家らしくて、木製、瓦屋根、プロパンガス、そしてトイレが家の外の庭にあった。引っ越したキッカケは、祖父と祖母が亡くなったことで家を管理するものがいなくなったためだった。
父は全国に支店を持つ企業で働いていたため、引っ越しに合わせて関西に配属されることになった。
家が古いことが恥ずかしくて、友達を家に呼ばないようにしていたが、八郷は貧乏仲間だと思っていたので、家がボロくてもトイレが外でも気にしないだろうと思っていた。
僕の家に招待した翌日から、自分の知らないところで情報がまわっていた。トイレは外にあるが、一応水洗トイレでぼっとんではない。しかし、後々知ることになる。
八郷が僕のことをバカにするメッセージをクラス中に送信していた。もちろん僕を除いてのグループラインでだ。
この学校は私立なのもあって、基本、お金持ちの家の子が集まっている。八郷は僕の家が貧乏で惨めで臭い、ゴミ屋敷みたいな家だったと嘘をついた。
八郷は信頼されていたため、皆が本当のことだと思ったそうだ。
『ハエがたくさん飛び回っていた』
『シロアリに喰われた痕があった』
『畳が腐っていた』
『便所がやばい』
嘘だらけの情報が駆け巡り、僕はみんなから避けられるようになった。この話をクラスのみんなが信じたのは、もう一つの理由があった。
僕の家の二件となりは、本当にゴミ屋敷だったのだ。
どうして突然、八郷が僕のことを揶揄し始めたのかは知らない。ただ、彼の裏の顔を知っている僕は、ああ、そういうことをやってしまうヤツなんだと素直に認めてしまった。
私立の中学というのは、校区が定まっていないので、都内あちこちから人が集まってくる。遠い人は埼玉や神奈川からも電車やバスを乗り継いでやってくるが、二件となりの家は近所でも有名な危ない家だった。
単純にゴミ屋敷なだけではなくて、塀ブロックがひび割れて、今にも倒れそうだし、伐採されていない庭の樹木が、家の屋根を突き破ろうとして、瓦にヒビが入り、それが落ちそうになっている。
『危険な家』としてピックアップされていた、その家にはおばさんが一人住んでいるようだったが、詳しくは知らない。ただ、その家イコール僕の家だと思い込んだクラスメイトから次々と嫌がらせを受ける。
ついには仲がよかったはずのバスケ部の連中まで口を聞いてくれなくなった。天涯孤独になった僕は、寂しかったが、登校拒否にはならず一人黙々と学校へ通い続けた。
名門とも呼べない程度の私立中学には、中途半端なお嬢様やおぼっちゃまが大勢いたが、その中でも一際、目立つ存在だったのが、高鳥さくらだ。
彼女の家は、僕でも知っている大豪邸。まるでおとぎ話にでてくるような門扉の奥にはバラのアーチ、そして、噴水まで見える。
たまたまサイクリングをしている時に見かけたその家に見惚れてしまった僕は、表札を見て『高鳥』と書いてあるのに気づいた。そして、学校でも生粋のお嬢様だという噂が流れていた。
当の本人はというと、無表情、友達いない、無口な何を考えているのかよくわからない子だった。一年の時、一緒のクラスだったが一度も話をしたことがない。
僕は、そんな『彼女』が気になったワケではなく、『彼女の家』がとても気になっていた。なんせ、築六十八年の家に暮らす僕にとっては憧れの中の憧れで、どうしたらあんな家に住めるのか。気になって仕方なかった。親は何をしている人なのか。
何気なく見ていたテレビでその答えを知ることになる。バラエティー番組の途中で流れるCMで高鳥グループがスポンサーになっていた。まさか、高鳥グループといえば、スーパー、コンビニ、その他、外食チェーン店、アミューズメント系など様々な店舗を牛耳る親玉だ。ああ、もしかして、高鳥さくらはそこの家の子なのか。
大きなため息が出た。親ガチャなんて言うけれど、資産家の家に産まれた彼女と、平民の僕。
当然、親には何度も懇願した。リフォームしよう。トイレが外なんて嫌だ。冬の夜中にトイレに行きたくなった時に寒くてたまらない。こんなボロい家だったら地震がきた時に危ないだろう。しかし親はリフォームを渋っていた。
「ほら、あの天井の梁を見てごらんなさい。立派な梁でしょう。リフォームしなくても大丈夫よ」なんて母さんは言うし、父さんも「お金がかかるからなあ」なんて言って二人とも貧乏性なので、古い家は古い家のままだった。
「お金がかかるならバイトする」
「何言っているの、あなた中学生でしょう」
親を心配させまいと、クラスでハブられていることは黙っていた。
そんなある日、僕は趣味のサイクリングで、堤防を走っていた。前に見えたのは、漆黒のサラサラのストレートヘアの女の子。まぎれもない高鳥さくらだ。
彼女はぬいぐるみのような犬の散歩をしていた。確かトイプードルとかいうんだっけ。
小さな茶色の毛糸に手足がついたみたいな犬というより小動物に近い……なんて思った。
お嬢様でも一人で散歩するんだな。そんなことを考えながら彼女のあとを追っていると、―別にストーキングしているのではなく歩いていく方向がたまたま一緒だから―、クロスバイクの集団が向かい側からやってきた。1、2、3……全部で八台のそれは、疾風のごとくものすごいスピードでやってきて、彼女の隣を通り抜けようとした。彼女は道を譲ろうと、堤防の端にズレたが、その時に足を踏み外してコケてしまった。
無意識のうちに駆け寄った。
「大丈夫?」
手を出したが彼女は無表情のまま僕の手をじっと眺めて、握った。
「ありがとう」
立ち上がった彼女は履いていたスカートについた砂をはらって、歩きだした。
まったく、堤防の上は自転車も可とはいえ、クロスバイクともなれば三十キロくらいのスピードが出るので、車とも大差ないのにスピードを緩めることなく歩行者の脇を通り抜けるからちょっと怖い。
彼女と話したのはそれだけ。何ごともなかったかのように再びリードを持って歩き出した。僕は彼女の三歩あとをただ黙って歩く。
しかし、たったこれだけのことが、僕を救うことになるなんて。
翌日の日曜日の夕方、家にいると玄関チャイムが鳴った。母親が買い物にでかけていたので自分が出ると、黒いスーツを着た男の人が立っていたのでぎょっとした。
借金取りか何か怪しい組織の人か⁉️ 変なセールスだったら断ろうと思ったら突然紙袋を差し出された。
「先日はお嬢様を助けていただき、ありがとうございました」
何のことかわからず唖然とする、僕は家の斜め前に停車してある車の後部座席に高鳥さくらが乗っているのを確認する。
「え、助けたって大したことをしていないです」
慌ててそう言うが
「いえ、お嬢様があなたにお礼がしたいとのことで」
半ば強引に手渡された紙袋を受け取ると、黒スーツの男は無表情のまま去っていった。
翌日、学校が始まると、突然バスケ部で仲の良かった墨田と、岸川が詫びてきた。
「いままでごめんな」
何が起こったのか理解できなかったけれど、二人に聞いたところ僕の知らないところで
『有川優吾の家はゴミ屋敷ではない』という情報がSNSで拡散されたという。
実名での拡散は辞めてほしかったが、誰が書き込んだのか信用するヤツらも出てきた。
こうやって、二年生の僕は仲間はずれから、一転して友達を取り返した。
※
修学旅行のプリントが配られると、クラス内がざわつく。
行き先が沖縄で二泊三日、シュノーケリング体験あり。と記されている。
地元の公立中学校の修学旅行先は確か京都だった。寺や神社より沖縄のバカンスの方がいいのだろうか。僕はどちらでもよかったがそれなりにワクワクはしていた。
沖縄には一度行ったことがある。小学二年の時に、当時まだ元気だった祖父と祖母と一緒に旅行した。
中学三年生といったら世間一般的に受験でせかせかする時期だが、高校がエスカレーター式なので皆、呑気である。
三年でも高鳥とは違うクラスだった。僕が四組、彼女が三組と離れてしまったが、四組は人気のある大倉先生が担任で和やかな雰囲気だった。バスケ部の連中とも一緒のクラスになって、水谷さんとも同じクラスだった。まぁ、水谷さんには、彼氏がいたけれど。再び明るい学生生活を取り戻した僕は、八郷のことなどすっかり忘れていた。
修学旅行の日程は、GWが明けた五月の九日から十一日までの二泊三日で、この時期を過ぎると、沖縄は日本で一番早く梅雨に入ってしまう。
みんなどんな格好でくるんだろうか。そしてスーツケースとキャリーケースはNGというカバン指定ではあるが、どんなカバンを持ってくるのか。
中流家庭の僕の家では、ブランドものを買うなんて無理だけれどシンプルであんまり目立たない服装にしようか。旅のしおりには『派手な服装は避けるように』と書いてあるけれど、クラスの中でも目立っている獅子田さんや橋元さんはきっとミニスカートにラメ入りのサンダルなんかで来るような気がするし、高鳥ほどではないが金持ちの西くんなんか全身ブランド服でがっちり固めてくるのだろうか。
僕はショッピングモールへ行って、無難な黒のボストンバッグと、シンプルなTシャツを購入した。目立たないように平和に無事に行って帰ってきたい。
しかし、その思いは打ち砕かれた。
GWラストの日に僕は高熱を出した。病院が空いていないので休日診療所に行くとまさかのインフルエンザだと診断された。せっかくボストンバッグの中に旅の荷物を詰め込んだのに。
仕方なく僕は修学旅行不参加という形になった。
★ 三年四組 出席番号4番
読書が好きで年間百冊以上読んでいた彼の大好きだった本を読む。感動する小説だった。
★ 三年四組 出席番号8番
同じバスケ部で身長が高かった三田は、華麗なシュートを何本も決めていた。僕とは雲泥の差だけれど、入るまで何度も何度もシュートを打った。
「全員分なんてどう頑張っても無理でしょう」
彼女は冷たくそう言い放った。そうだ、無理に決まっている。だけど、可能な限りやってみようと思った。