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綵皇后瑞獣伝~花綵の鬼と呼ばれた宮女は後宮にて天を導く~
綵皇后瑞獣伝~花綵の鬼と呼ばれた宮女は後宮にて天を導く~
緋村燐
異世界恋愛和風・中華
2025年02月21日
公開日
1.6万字
連載中
令国後宮の尚功局に勤める楊春蘭は、特殊な異能を持ち、国を守護する瑞獣・四霊にあることを頼まれていた。 だが、力を隠しておきたい春蘭はその頼みを断っている。 そんな中、宮中で噂になっている【花綵の鬼】の正体を探っていた武官・貴惺陽に春蘭は気に入られてしまうのだが……? 繊細な美しさを持ちながらも少々男らしい性格をしている宮女が織りなす中華風ファンタジー!

序章

一話 鬼の噂

 馥郁ふくいくたる梅の香りが、風に乗って房内しつないへ流れ込む。

 ほのかな甘さを含んだ風が鼻先をかすめ、楊春蘭ようしゅんらんは刹那、針を刺す手を止めた。

 雪解けもはじまったばかりでまだ冬という感覚が強い中、不意に訪れた春の気配に、春蘭は小さな蕾のような唇に軽く笑みを乗せる。


(早く、暖かくなってくれるといいな)


 凍える冬は指先がかじかみ、針を上手く刺せないことも多い。暑い夏は汗が土台の布に滴り落ちそうになり困るが、指が動くので冬よりは幾分ましなのだ。

 梅の花が咲く時期とはいえまだ雪が降る日もある。炭火で暖を取らねば仕事にならないため、早く暖かくなってほしいと春蘭だけでなく同僚である尚功局しょうこうきょくの女官たち皆が思っていた。

 集中して刺繍を刺していたため、指が冷たくなっていることに今更ながら気付いた春蘭は、立ち上がり数名が休憩している火鉢の近くへと向かった。


「あら、楊司綵しさい。やっと休憩? あまり無理をしては指を刺してしまうわよ?」


 休んでいる同僚の中で、はじめに春蘭に気づいたのは自分と同じ正六品の女官である司製しせいの地位である叙果鈴じょかりんだ。

 からかいと呆れを含んだ言葉は、寝所が同房である上での気安さもある。そんな果鈴に同意するように、他の女官たちも頷いていた。

 彼女たちが火に当たれるよう開けてくれた場所に収まると、春蘭は人形のように整った顔に笑みを浮かべた。


「流石に刺す前には休憩するよ。だが、桜花祭おうかさいまであとひと月しかないんだ。あまり休憩してもいられないだろう?」


 繊細でたおやかな外見とは裏腹に、娘らしからぬ口調。公の場であればしとやかな口調で話すこともできるが、素でいるときはいつもこの話し方だ。

 幼い頃に母が亡くなり、父とばかり話していた所為だろうか? もしくは母が亡くなったため、強くあらねばという思いからこの口調になってしまったのか。

 どちらにせよ、この外見ならば娘らしい口調の方が良かったのかもしれないと思ったころには定着してしまっていて、周囲も特に直せと言わなかったためこのままとなっている。

 それはここ、令国れいこく首都・陽泉ようせんにある宮城。志黎城しれいじょうの後宮に来てからも同様だった。

 眉を顰める者もいないではないが、それは初めだけで皆すぐに慣れてしまう。なので直す機会もなくいつまでもこの口調なのだ。

 しかも、何故かこの口調だと女官や妃たちの受けが良い。

 今も、ともに休憩している女官たちは「ほう……」と見惚れるような吐息を零す。果鈴だけは慣れてしまったのか、普通の同僚としての対応をしているが。


「そうね。特に貴女は宇貴妃うきひ様の衣を一手に引き受けているもの。……ねぇ、本当に手伝わなくても良いの?」


 眉を寄せ心配の言葉を口にした果鈴に、春蘭は「問題ない」と迷いなく答える。


「宇貴妃様の衣は小さいし、刺繍の面積も少ないから大丈夫だ。今最後の羽織に取りかかっているから、少なくとも間に合わないということはないだろう」


 宇貴妃は、齢三歳の現皇帝・暁明ぎょうめいの妃たちの筆頭ではあるが、まだ十と幼い。

 年の割に小柄であるため、尚のこと衣は小さいのだ。


「私よりも、他の妃様方の衣の方が大変だろう?」


 間に合いそうな自分よりも、宇貴妃以外の妃たちの衣を仕立てている皆の方が大変だろうと心を砕く。

 尚服局しょうふくきょくより指定された刺繍の柄は、それぞれの妃を象徴する花を主に置き、妃たちの希望を元に設計されたものだ。

 特に薔薇そうびを象徴としている王淑妃おうしゅくひは派手好きで、いつも凝った柄を求めてくる。

 みな黙々と針を刺しているため房内は静かだが、見渡せば王淑妃の衣の刺繍を刺している者達は鬼気迫る表情をしていた。

 昨今は人手が足りず、本来は備品の管理が仕事である者達まで縫製に駆り出されている状況だ。

 人手が足りない理由に思考が傾き、春蘭は表情を僅かに曇らせた。

 皆同じことを思ったのだろう。火鉢を囲む同僚たちが先程よりも声を潜めて話し始める。


「少し前には人手も足りていたのですけれど……また怪異でしょうか?」


 一人がぽつりと呟くと、重苦しい空気が場に漂う。

 怪異とは、人の悪意が集まるところに多く出現する異形のもののこと。影響は様々だが、人に害をなすという部分はどれも同じだ。

 権謀術数けんぼうじゅつすうが飛び交う宮城では致し方ないとは思うが、悪意の巣窟とも言える城内は怪異が多く出現してしまうのだ。

 今回は誰かが亡くなったという話は聞かないので生きてはいると思うが、倒れたという者が再び仕事に復帰したという話も聞かない。

 怪異の仕業であれば、その怪異を滅しなければ状況は良くならないだろう。


(怪異……か)


 視線を火鉢に戻した春蘭は、銀朱に似た色合いの明かりを見つめ思考する。なんとかしなければ、と心の内で呟くと、一人の女官が何かを思い出したように「あ」と小さく声を上げた。

 皆が黙っている中で発した声なので、小さくとも際立ち火鉢を囲む者たちは彼女に注目する。

 注目を浴びた女官は、気恥ずかしそうに一度唇を引き締めてから口を開いた。


「【花綵はなづなの鬼】……という怪異をご存じですか?」

「【花綵の鬼】? 怪異の名なの?」


 初めて聞く言葉に、果鈴が問い返す。春蘭もはじめて聞く呼び名に小首を傾げた。

 花綵とは作り物の花のことだ。その鬼とはどういった怪異だろう? 花綵を身につけた幽鬼のようなものだろうか。

 分からぬまでも想像しその怪異のことを考えていると、女官は続けた。


「見た者の話では、花綵の髪飾りをつけた女の幽鬼が、夜中に大きな獣や怪異と共にいたのだそうです。噂では怪異を操っている存在なのではないか、なんて話も……」


 内緒話をするように片手を添えた女官の言葉に、春蘭は驚きからぐっと息を止める。

 なので応えたのは果鈴だ。


「怪異を操るだなんて……恐ろしい」


 若干顔色を青ざめさせた果鈴は、不安げに揺れる眼差しを春蘭に向けた。


「楊司綵は知っていた? その【花綵の鬼】という怪異のこと」


 問われた春蘭は、止めていた息をゆっくり吐き出してから答える。


「いいや、知らないな」


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