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二話 四霊を祀る国

 本日の仕事を終えた春蘭は、一人後宮内の北の林に向かっていた。

 夕闇と言うにはまだ明るさが際立つ頃合いだが、切りが良かったので少し早めに上がらせてもらったのだ。

 夜間でも燭台の灯りなどで刺繍出来なくはないが、どうしても薄暗いため指を刺してしまう場合もある。

 僅かでも血などついてしまっては台無しなため、切羽詰まった状態にでもならない限り日が落ちるまでには仕事を終えるようにと言われている。


 心なしか早足になって進む春蘭は、茜色に染まる宮中を見ながらなんとなくこれまでのことを思い返していた。

 幼い頃に母を亡くし、父と妹と令国内の片田舎で慎ましやかに暮らしていた。

 父はあんな片田舎にいるにはもったいないほどの学があるのだが、諸事情により要職に就けない立場で、春蘭としてはもどかしい思いをしていた。

 妹も器量好しで、年頃になれば引く手あまたの別嬪となるだろうと周囲からも言われている。

 そんな家族と別れこの志黎城に来たのはほんの二年前のことだ。


 春蘭が十三の年に先帝陛下が崩御し、後宮の人事を一新するという名目で宮女狩りが行われた。

 父と妹がもう少し良い暮らしを出来るようにしたかった春蘭は、引き留める父を説得し宮女として入宮したのだ。

 父に教わっていたため文字が読めた春蘭は、下女としてではなく役職に就くよう指示された。裁縫の才もあったため、尚功局へ配属され着々と官位を上げ、たった一年半で長官である尚功の次の地位・司綵の官位を賜ったのだ。

 怪異のせいで亡くなる者や、体調を崩し働けなくなり宮から出された者が少なからずいるというのも理由ではあるだろうが……。


 怪異の噂は、陰謀渦巻く宮城ではおさまることを知らない。武官たちも尽力しているが、一つの怪異がなくなったかと思えばまた別の怪異が現れる。

 その繰り返しだ。

 本来であれば聖人とされる令国皇帝が即位することで、国内の龍脈が安定し怪異も鳴りを潜めるはずなのだが……。

 正しく聖人であるかどうかの判断は、成人の儀式である冠礼かんれいと同時に四霊からの祝福を得られるかどうかで分かる。

 だが、現皇帝は齢三つの幼児だ。皇位に即くために少々冠礼を早めることも出来なくはないが、流石に三つという幼さで成人というのは異常すぎる。


 それに、建国当初とは違い近代は正しく聖人といえる皇帝が減っているのだ。

 直近で正しく聖人の力を持っていた皇帝といえば、先々代の陽苑ようえん帝だろう。彼は初代皇帝・雷公士らいこうしの再来と呼ばれるほどの賢帝でもあった。

 雷公士は人々に幸福をもたらすと言われている四体の霊獣、四霊に選ばれた聖人だったという。その再来と言われる陽苑帝の世を知っている世代からは、過去を懐かしむ声ばかりを聞く。

 そして、正しく聖人である皇帝を望むのだ。

 下手をすると現皇帝への侮辱となるため、声高には言えないだろうが。

 だが、宮城以外でも怪異の被害は深刻なものとなっているようだ。民が聖人の皇帝を望むのは当然である。


 令国の守護獣である四霊への祈りは日に日に増していると聞いた。

 聖人の皇帝を、という願いももちろんあるが、それ以上にどこそこの怪異をどうにかしてくれといった切羽詰まった願いが多いのだとか。

 それほどに、今の令国は怪異に悩まされているのだ。


(なんとかしなければ、とは思うのだがな……)


 壮麗な後宮の殿舎を通り過ぎ、新芽が付いたばかりの木々ばかりの北の林についた春蘭は、足を止め憂う。

 隠してはいるが、自分には多少なりとも怪異をなんとかできる力がある。とはいえ、国中の怪異を退治することは普通に考えても無理な話だ。

 だからせめてもと、宮城内の怪異だけでもなんとか秘密裏に滅していたのだが……。


「まさか、【花綵の鬼】などという名がつけられていようとは」


 しかも怪異として見られていたことに、苦い笑みが浮かぶ。

 別に正体を明かすつもりはさらさらないため、どう思われていようと大した問題ではないのだが……。

 少々複雑な思いに目蓋を伏せていると、ガサリと草木が揺れる音とともに「春蘭」と呼ぶ声が聞こえた。

 呼び声に顔を向けると、草木の茂みから四体の動物が現れる。

 亀と鳥、そして蛇に鹿と、統一性のない動物たち。

 その中の鴉くらいの大きさの赤い鳥が、同じく赤い嘴を開いた。


「春蘭、どうした?」


 低い、成人男性を思わせる美声で人語を話した鳥に、春蘭は驚くことなく答える。


「どうしたとは……私がここに来る目的は一つに決まっている。そうだろう? オウ」


 言うと、春蘭はオウと呼んだ赤い鳥に向かって両手を差し広げる。

 迎え入れるような体勢に、オウは諦めのため息をついて亀の甲羅の上から春蘭の片腕へと飛び移った。

 すると春蘭はオウの身体にもう片方の腕を回し、潰さない程度にぎゅっと抱きしめると柔らかで滑らかな羽毛に顔を埋めた。


(ああ……癒される)


 鳥であるのに、獣臭さのないオウの香りは白檀を思わせる甘さがある。上級品のような羽毛とともに、春蘭の日々の疲れを癒やしてくれた。

 うっとりとオウの羽根に頬をすり寄せていると、他の動物たちからも声が上がる。


「春蘭、目的は一つに決まっていると言うが……他にも用事があるのじゃろう?」


 爺のような話し方をしたのは黒い甲羅を持つ亀のレイだ。それに凜とした女性の声をした白蛇・リュウが続く。


「また怪異が出たのでしょう? 手伝ってほしいのではないの?」


 リュウの言葉に、オウの人をダメにする羽毛に埋もれていた春蘭は、それもあったなと思い出す。

 だが、答える前に黄色に近い毛並みの鹿、リンが無邪気な子どものように話し出した。


「それとも、僕たちの願いをやっと聞き届けてくれる気になった?」


 声の無邪気さを表わすように、ぴょこぴょこと跳ねるリンは可愛い。だが、問われた内容には頷けないため、春蘭ははっきりと断りの言葉を口にする。


「そんな気は永遠に来ないよ。皇帝を選んでくれ、など……畏れ多いというものだ」

「……皇帝を選ぶのは畏れ多いのに、国を守護する四霊の一体にこうして抱きつくのは畏れ多くないのか?」


 春蘭に抱きつかれたままのオウが苦言を呈する。

 正直痛いところを突かれた春蘭は、抱きしめていた腕の力を緩めてしまう。その隙を狙って、オウは春蘭の腕から逃れて元のレイの甲羅の上へと戻ってしまった。

 離れてしまった温もりを少し寂しく思う春蘭に、オウは改めて願いを口にする。


「春蘭よ。稀なる慧眼けいがんを持つ娘よ。そのまことを見抜く目で、我ら四霊が仕えるべき【天命の子】を見つけ出してくれ」


 おごそかな物言いのオウと共に、他の三体の動物たちも春蘭をじっと見る。

 人語を操り、自らを四霊と称する彼らを見返し、春蘭はオウたちと初めて会ったときのことを思い出した。


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